- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061844889
感想・レビュー・書評
-
この小説の世界では、いつの頃からか時代が逆流してゐるやうです。例へば今日が1月2日なら、前日は1月3日で翌日は1月1日になる。一日の朝⇒昼⇒夜の流れは変らぬものの、人間の成長も退化となり、社会人は4月の入社式を終へると学生になり、知識もどんどん少なくなつてしまふ。以前大人だつた頃は知つてゐたのに。
主人公の「ぼく」も同様で、時代背景は1964(昭和39)年のやうですが、市川崑監督の映画「東京オリンピック」を観た後に「感動の閉会式」を実際にテレビで鑑賞するといふ塩梅。この「ぼく」もかつては老人で社会人を経て、学生になつて童貞になつたといふ。そしていづれは母親の胎内に入つて一生が終るのでせう。
かつては経年とともに齢を取つた、といふことがもはや「ぼく」には想像できない。こんな会話があります。
「でも、変だね。人間がだんだん大きくなっていくなんて。せっかく子供で遊んでいられるのに、年を取ったら働かなきゃいけなくなっちゃうんだもん。体はだんだん古くなってあっちこっち痛んでくるしさ」
「その通りさ。やっぱり人間はだんだん新しくなる方が幸せだよね」
「兄ちゃんもそう思うよ。これから起こることに不安を持って生きなくていいからね」
この作品が発表されたのが1986(昭和61)年。まさにバブルを迎へんとする、皆が浮かれてゐた時期であります。そんな時代に清水義範氏は、将来を既に憂へてゐたのでした。もう時代を戻つた方が人類は幸せだ。強く否定したいところですが、全く根拠のない反論になりさうで寂しいのであります。
本書にはその他、「黄昏の悪夢」「もれパス係長」「また逢う日まで」など、SF色の濃い八編が収録されてゐます。何でも刺激を求める現代読者には、これらの読むほどにじわじわと迫つてくる哀愁(ペエソス)の味はひは理解出来ぬかも知れません。
本書の解説を書いてゐる人も恐らく同様で、『グローイング・ダウン』の解説の筈なのに「永遠のジャック&ベティ」や「国語入試問題必勝法」の話ばかりしてゐます。
極めつけは、傑作「靄の中の終章」を「霧の中の終章」と間違へて覚えてゐるらしい事。何度も繰り返して出てくるので、誤植ではないでせう。もう少し清水作品に愛情のある人に解説を書いていただきたいと感じた次第であります。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-735.html詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初めて読んだ清水義範の一冊。
「また逢える日まで」のような心温まる話からゾッとするような「白昼の幻想」や、特殊な能力を持つ主人のミステリアスな「暗殺の孤影」。
「ひとりで宇宙に」は読み終わったあとに切なくなりました。
短編集なので飽きることなく一気に読み終えました♩ -
清水義範の天才っぷりがちらほら見え隠れする秀作。
オチは見えやすいが、もちろんドラマも見逃せないものが多い。
これが後の清水義範につながっているのだと思うと、何とも感慨深い作品である。 -
清水義範は時期が後になって行くほど面白い気がする
-
短編集。「ひとりで宇宙に」が好き。タイトルどおりの内容だし、もしかしたらオチはこうかもと予想できつつも、最後まで読んで「はぁ〜」って感じ。
-
<B>明日が今日で、今日が昨日で・・・・・。
未来がどんどん遠ざかり、今という今が次々と過去へと進む。
読者よ、諸君はいま、清水義範のステキな短編を読んでいる。
だが時が経つと、諸君はその短編を知る以前の諸君となり、
それどころか清水義範を知る以前の諸君となるのだ。
いざ覚悟して読みたまえ。</B>
(文庫裏表紙)
表題作を含む9つの短編集。
どの物語も 意表をつく設定でありながら、どこかほのぼのとした雰囲気をかもし出している。
たとえば、生まれる前の記憶の中に存在するかもしれない、というようないつかどこかで見覚えのある出来事であるような。