由煕 ナビ・タリョン (講談社文芸文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061975842

作品紹介・あらすじ

在日朝鮮人として生れた著者の、37歳で夭逝した魂の記録。差別と偏見の苦しい青春時代を越えて、生国日本と母国韓国との狭間に言葉を通してのアイデンティティを探し求めてひたすらに生きた短かい一生の鮮烈な作品群。芥川賞受賞の「由煕」、そして全作品を象徴するかのような処女作「ナビ・タリョン」(嘆きの蝶)、「かずきめ」「あにごぜ」を収録、人生の真実を表現。

感想・レビュー・書評

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  • ゆひ から読み始める。
    なにこの人の文章の透明感。頼りなさそうにみえたら守ってあげたいってなるのかな。

    ナビタリョン 京都の旅館が印象的。ナビタリョンってなんの意味だろう。優しさってなんだろ。人種でなんで人は争うのだろう。

    あにごぜ ここにも人種の壁。兄弟っていったって知らんことだらけだろうな。


    かずきめ 姉といもうと。

  • 重いけれど惹き込まれた。良書。

  • ようやく読めた、李良枝。そして、その世界の混沌感にびっくり。「ナビ・タリョン」「かずきめ」「あにごぜ」「由熙」のどれもに彼女や彼女の家族が色濃く投影されているんだろう。それを書いてしまう、あるいは書かずにいられないものは何だろうか。在日朝鮮人として生きてきたということも関係しているのだろうか。とにかく激しい話たちだった。
    ソウルに留学してきた在日朝鮮人のことを書いた「由熙」は、鷺沢萠の「君はこの国を好きか」を思い出させる。そして「由熙」がほんの数年前に芥川賞をとっていたことを思えば、やはり「君は~」が届かなったこともわかる(ただ自分は「君は~」のほうが断然好き)。由熙自身も病んでいるかのような混沌感は読んでいてわけがわからなくなりそうだった。うまくいえないが、こういった題材で書くことしかできなかったのであれば、彼女が早逝したのもわかるような気がする。

  • 強烈な違和感の存在を心に留め置くことに

    平成元年、しかも第100回の芥川賞受賞作。

    平成になって1週間くらいで発表だったみたいですね。

    冒頭ナビ・タリョンという作品が李さんの生き様を表す基本の作品。両親の離婚調停、長兄が医療ミスのような形で動けなくなり、次兄が突然死。

    生まれも育ちも日本である主人公はルーツのある韓国へと旅立ち、そこで韓国の踊り、歌を習う。

    街並みで歌い踊るラストは愛子自身がナビ・タリョン、嘆きの蝶であるようです。

    続く「あにごぜ」「由熙」も同様に、きょうだいと、ルーツと日本との狭間で居場所を探し傷つく主人公たちの話なのですが、「かずきめ」だけ異色な、この本の中では小説色の強い話で、美しくも病的な姉の生きざまが強烈でついついページを行きつ戻りつしながら読みました。引き込まれました。

    最後の芥川賞受賞作の「由熙」は韓国に留学しソウル大学と思われるS大学に通った「由熙」ユヒが、韓国になじめず、頭では理解できてもそれを使えないとか、感覚として、五感で韓国の違和感を感じざるを得ない辛さが書かれた作品で。
    日本にいても恐怖に震え、韓国に行くと日本に馴染んでいる自分をいやというほど痛感し。

    そんな李さんが居場所を求めるための求道は、日本語で文学を記すことだったと、由熙でもエピソードとして日本語の原稿が出てきます。

    それが結実したのがまさにこの本なわけですが、巻末、年譜を見ると芥川賞受賞から3年後、軽い風邪の症状を訴えてから4日で急死しているのです。

    兄2人に続き、お姉さんまで急に亡くしたこの李さんの2人の妹は、親御さんは、と思うと胸が締め付けられます。

    人生がまさに、小説になるべくしてなっているような方ですが、他の方がたは、今も続く違和感と共に過ごしているのです。日本で、韓国で。

    この本を読むことで、その強烈な違和感の存在は、心に留め置くことが出来ると思います。

    まずは知るために、手に取ってみて読んでみてはいかがでしょうか。

    そしてまた、読みたい本たちが。
    じっくりと、読んでいきたいと思います。

  • 不思議な、
    でも心を掻き乱す話だった。

  • 在日と韓国 葛藤

  • 四つ作品があるこの本ですが、どの作品にも同じ登場人物が出てきてる気がしてならなかったです。
    それってきっと作者の李良枝さんの中にある何かが反映されたのでは?と思いました。
    僕は日本人の親の元に日本で生まれ、偏見差別等の感情や問題を2年前ぐらいから考えるようになった子供なので、李良枝さんの中にある何かをわかってあげれないのですが、先日読み終わったブラックボーイもそうですけど、『生きることは戦うこと』ということ理解できました。
    ありがとうございました。

  • 収録作が何作かあるが段々とよくなる感じ、決して芥川賞に阿っている訳ではございません。
    この作家を産み出してしまった日本社会・歴史について、考えを巡らさざるを得ない。それ位悲痛な声が聞こえてくる。
    作品の出来からすれば、あまりに直接的で声高であったり、技巧に走り過ぎたりした面が、最終収録作で抑制が上手く効いていて読ませる感じに昇華している。
    作家の成長も見てとれ、そして日本社会を、人間を考えさせてくれる良い文庫です。

  • m

  • 二人の韓国人の目に映った一人の在日朝鮮人の姿が半年間ともに暮らした家の中の様子や近所の景色、思い出話などの中から蘇ってくる。日本に帰ってしまった彼女がまるで亡霊のように浮かび上がる。
    日本語を第一言語としている在日の彼女が韓国語に馴染めなかったのは、たんに韓国への嫌悪が原因ではないと主人公は考える。彼女の日本語へのこだわりはおそらく、それが生まれた時から体に染み付いている言葉だからだろう。しかし、かと言って日本語を使っていれば事態は丸く収まるというわけでもない。本人の言葉を借りるなら、言葉の杖が掴めない。彼女とのそんな会話を思い出した主人公は、まるで亡霊から一撃を食らったかのように、話に聞いていた通り言葉がでなくなってしまい、小説は終わる。
    ここから分かるのは、二人が突き当たったのは人間と言葉の間に横たわる溝、に関わる根本的な問題であるということだ。母国語であろうが外国語であろうが、言葉を自明のこととして使っている自分を疑わずにはいられなくなったとき、人は思わず言葉を失い、主人公はたとえば小説を語り続けることができなくなったりするだろう。しかしそんな危機の中で由熙が膨大な量のエクリチュールを生み出したという実績は確実に残っている。

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著者プロフィール

李良枝(イ・ヤンジ)1955年3月15日~1992年5月22日
作家。山梨県生まれ。1964年、両親の日本帰化により日本国籍を持つことになる。早稲田大学中退。韓国の琴、カヤグムと出会い魅了され、韓国舞踊も習う。1980年、初訪韓。89年「由ヒ」で第100回芥川賞受賞。作品に『かずきめ』『刻』など。

「2023年 『石の聲 完全版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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