- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061983038
作品紹介・あらすじ
中原中也、富永太郎らとの交友関係、未発表の書簡や広汎にわたる資料を駆使して、小林秀雄の批評の成立、構成、その精神に迫る。『夏目漱石』『作家は行動する』などで出発した批評家江藤淳の自身への問いは、確固たる地位を築く記念碑的評伝となった。新潮社文学賞受賞。
感想・レビュー・書評
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江藤淳 小林秀雄 評伝 小林秀雄の批評構造を明確にして、そこに至るプロセス(宿命)や個々の批評の目線を論じていく構成。
中原中也、その恋人、ランボオにより 批評家 小林秀雄が誕生したというのは そうかもしれないと思うが、彼らとの葛藤や相剋から 死を所有したとする論調は 共感できなかった。以後、自殺の理論や死の所有と小林秀雄の批評と結びつけているのだが、小林秀雄の文章に 生の否定や死への情熱を感じるだろうか。どちらかと言うと、著者の江藤淳氏の文章に 虚無的な印象を受けるのだが。
小林秀雄の批評は「対象となる作者の心を通して 自分を見つめる構造を持つ」というのは、なるほどと思う。批評というより、私小説のように感じることはあるのは せのせいなのかもしれない
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-人は詩人や小説家になることができる。だが、いったい、批評家になるということはなにを意味するであろうか。あるいは、人はなにを代償として批評家になるのであろうか-
「江藤淳」という人は、私の中で、かぎかっこ付きでくくりたくなるような人。賢いのか間抜けなのか、弱いのか強いのか・・・判断できかねて・・・思考停止。かぎかっこでくくって一旦保留したい。でも、、、「バカ」がつくくらい、My Wayを貫き通した人なんだろうな。
批評家小林秀雄について論じているこの一冊は、冒頭の一文からガツンとくる。これは、同じ批評家である、江藤自身への問いでもあり、いいかえると「私って何?私って何を代償に存在していいの?」という究極の問いかけに思える。
応えとしては、何かに対して「批評」「評価を加える」ということは、自身の能力というより「存在」=「生命」そのものを賭して行うもの、ということ。
潔い。
私などがこの本に対してレビューをかくのはおこがましい。
人を指導する、少なからず影響を及ぼす立場にあるマネジメントの立場にある方々にご一読いただきたい、と思う。 -
2009/
2009/
読みたい。 -
完全におもしろいね。なんか頭がかなり、ビビとくるね。
探偵、江藤淳が小林秀雄という巨像を浮き彫りにしていくみたいな。
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何がスゴイって、一人の人間をここまで語ることが出来るのかっていうのがスゴイ。
しかも当代一の評論家を! -
まあ小林秀雄読む人は読んでるから今さらですけど。