月冠の巫王

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062110556

作品紹介・あらすじ

縄文と弥生――ふたつの文明が衝突し、罪なき人々の血が流された時、運命の子らは、雄々しく起ちあがる!
『月神の統(す)べる森で』に始まる長編4部作、ついに完結!

ポイシュマたちの物語はこれで終わりです。かれらが築いたとした千年王国のありようは、私が世界はこうなってほしいと願う理想の提言でもあります。でも、たがいに認め合ったうえでの、話し合いと助け合いをルールとして動く社会というのは、けっして夢想の中の絵空事ではありません。
世界中の、現代文明とは遠い伝統的な生活を営んでいる人々の中などに、実例はいくらでもあるのです。また、先進国といわれる国の人々も、みんなそうした世の中を目指してはいるのです。
それなのに、戦争などが起きてしまう矛盾を、どう解決するのか。それは、私達みんなで考えることです。――「あとがき」より

感想・レビュー・書評

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  • 全編を通して、ヤタカが良い。アテルイや、ムラの長たちの高潔さ。異文化との衝突。共存への手探り。神やカムイ、人との関係。感謝の心を持って生きたい。

  • 完結編。大団円でよかった。

  • 良かった。堂々たる完結。

    ここにきてもホムタが影響するとは。
    いかに彼の存在が大きかったかということだ。
    彼の考えさえ変わっていれば違った道もあっただろうに、どこまでも悲しい結末だ。

    しかし、人がまだ朴訥で純粋であれた頃の結末に相応しい終わりだった。
    そして、その繋がりが千年守られたということが、素晴らしい。

    戦いの描写は圧巻で、大蛇の様などは臨場感が凄かった。
    神と人との世界のふわっとした描写が、少し気になるところではあった。

  • 20160120
    ポイシュマがどうこうで終わりにしないで、もっとその後をゆっくり書いてくれると嬉しかったなぁ。
    あと、アヤのクニでの戦いを、向こう目線でも描いて欲しかったなー
    なんか絶望的な感じとかかもみてみたかった。
    でもそうなると勢いがなくなるか…
    3巻が一番盛り上がったのかな。
    ホムタはいい感じに悪役でよかったです。

    私はこういう話が好きなので知っていたけど、あまり有名ではないから、長い割にそうでもないのかなと思ってたら、そんなことなかった。
    いいまとまり方だったと思う。
    共生なのかな、そうやって落ち着くのは。
    足るを知る、ということなんだろうね。

  • 助け合うのが当たり前で、嫉妬をせずに、うらまずに。常に前を向き、孤独に戦うことをしない。
    アテルイの大人らしさ、気高さに感涙
    ポイシュマのまだまだ不安定な部分は、しかたがないことで、でも彼の糧になり、アテルイのように成長させてくれることだろう
    ワカヒコの聡明さは智の王としてよい国を作れることだろう
    損得で考えない、思いやり、お互い様、ありがとう、欲をかかないこと。知略と卑怯は違うこと

    でも殺さない。自分を責めたりもしない。こう生きたい、と思わせてくれる人たちばかりだった。
    面白かったー!

  • シリーズ最終巻。縄文から弥生の過渡期に神話も絡めて「全く価値観の異なる者たちが遭遇した時の軋轢をどう乗り越えるか」「善き心と悪しき心のせめぎ合い」「自分の命を含め自然と他者を敬う気持ち」と言う事を始終訴えかけていた物語だったように思います。よい物語でした。でもこの時代、この土地でなくても、同じような事が繰り返されているのは人が進歩してないからでしょうか。そう思うと悲しいですね。

  • “犯してはならなかった罪を犯したモノたちよ その罪の重さを罰として背負い 罰の重さに引かれるままに落ちるべきところに落ちよ”

    落ちていったモノたちと残ったモノの境界はどこにあるのだろう。
    私にはホムラとポイシュマの間に線を引くことができない。

  • 2巻の終わりくらいからかなり引き込まれていった
    感じ。

    縄文?弥生の頃。
    日本書紀や古事記に消された(?)超古代神話を
    描いてみたらしい。なかなかおもしろかった!

  • 「月神の統べる森で」から始まった、月神シリーズも、この巻で終わり。
    ポイシュマはカムイの息子としてカムイらしい心のままオオモノヌシになったと私は思う。
    カムイらしい心とは、私たち人間が思う美しい心のありようとはちょっと違くて、善いことも悪いことも、鏡のようにその身にありのまま映し、泥が混じれば容易く濁ってしまうような─常は透き通っているけれども─水のような心ではないかな、と思うのだ。
    神様は菩薩様とは違う。祟る神様だっているわけだし。

    また、清濁併せのむワカヒコは、あくまで人間として立派な王となった。
    人間として、目指すべき高みにのぼったような。
    哀しいかな、人はきれいごとだけでは生きていけないからだ。

    確かにアヤの国との闘いは、一番の見せ場だろうけれど、
    闘いが終わったあとのエピソードは、慌ただしく駆け抜けたような印象。
    もう少し丁寧に描写してもらえたら、良かったな。

    それにしても、全編通しての東逸子さんの絵は、見ているだけで、心が潤っていく感じだった!
    この先、約500年後の「裔を継ぐ者」を読むのも楽しみだ。

  • 結局は人間のみならずこの世に生きとし生けるものはすべて他の生き物の命 or 領分を食らい、侵すことによってしか生きていけないのだから、そこに現代的な価値観である「純粋」だの「穢れない」だの「善意」だのを持ち込むことに居心地の悪さ(読み心地の悪さ?)を感じました。  どうせならもっと開き直ってその穢れに首の中までどっぷりつかって、その中で「清きもの」を求めて工夫をこらす人々の努力や葛藤を描いてくれた方が、KiKi には感銘できたように思います。

    もう一つ全作を読んでみてどうにもはっきりしないのが、「神」と「カムイ」の位置づけなんですよね~。  万物に宿る西洋的な表現をするなら「精霊」とでも呼ぶべきものが「カムイ」なのか、それとも「神(但し一神教の神とは異なるもの)」とほぼ同義のものが「カムイ」なのかがよくわからない・・・・・。  これはシクイケルを「カムイ」と呼んでみたり、「月神の息子」と呼んでみたりするうえに、地上にある宿るべきもの(川とか木とか石とか)のそば近くに常駐しているらしい「カムイ」がいるかと思えば、シクイケルのように「神のお膝元(≒天上)」にいる「カムイ」もいるし、ポイシュマの父である「ほうき星の神」とシクイケルが同列に扱われたりすることによってますますこんがらがってしまいます。

    挙句の果てに、この「ほうき星の神」が結局のところ「オオモノヌシ(≒ 古事記の神代篇の神様)」の父であるとまで言われちゃうと何が何だかさっぱりわかりません。  著者が第1作のあとがきで「記紀が編まれる際に取りこぼされてしまった大事な神話」と仰っていたことから察するに、月の神様を頂点とする神話体系の中に「ほうき星の神」もいて、その子供が「オオモノヌシ」という文字で書かれた神話体系(こちらは太陽神を頂点とする)の神様につながったという落としどころっていうことなのかなぁ・・・・・。  う~ん、わからん・・・・・ ^^;

    意欲的な作品で扱っているテーマももっともっと掘り下げれば素敵な物語になる要素をいっぱい持っているのに、何となく中途半端感が残り、小奇麗にまとめ過ぎた感もあるうえに、ついでに言えば唐突にすぎるプロットも多くてちょっぴり残念な作品だと思います。  これが児童書の限界だ・・・・と言ってしまえばそれまでなんですけどねぇ。 

    「ワカヒコ」がとにかく素晴らしい!!  清らかな面を持ち続け、しなやかな逞しさを示し、異文化の良さを理解してその世界観に敬意を持ちつつも己の場所を知っている・・・・・。  彼が「ムラ」での生活を懐かしみながらも「クニ」に身を置いたときにそこに漂う空気に嫌悪感を感じつつも落ち着くというくだり、そんな嫌悪感を抱く世界の中での生き方がわかる自分の中に見え隠れする「毒」を自覚しながらも、その中での泳ぎ方を冷静に考える成熟。  2つの価値観の間で苦悩に苛まれる彼の姿ほどこの物語の中で胸を打つものはないと感じます。  日本民族が持つと言われ外国からは「曖昧 & どっちつかず」と揶揄される性分はそんな精神性を持つ人の末裔であるからこそと信じたいし、そしてそう信じることを誇ってもいいのではないかと夢想したくなってしまうようなキャラクターだったと思います。

    (全文はブログにて)

  • 「月神の統べる森で」
    に始まる、たつみや章の縄文ファンタジー。

    アニミズム思想に基づく、すべてのものには「カムイ」が宿ると考え、人を、ものを大事にする北の国のムラ。
    対して、弥生文化が始まり、貧富の差も生まれて人が人を虐げることを覚え、それを常とした西のクニ。

    相容れない考えから勃発する対立、戦はさながら現代の宗教戦争のようでもある。


    中々に壮大な内容で楽しめた。
    ただ、児童書であるが故か、曖昧な表現が多すぎる部分もあり、4部作の最後である本書では結論を急ぎすぎた感も否めない。


    ファンタジー、古代スキな方は読んでみて損はしないとは思う。

  • <シリーズ読了・総評>
     日本の縄文~弥生期に光を当てた、超古代ファンタジーの連作。
     一巻「月神の統べる森で」は序盤止まりで、随分と消化不良を起こした。
     神と共に生きた人々の慈愛と闘争、憎悪と和解を、時代に跨って描くコンセプトは壮大だけれど、全体的に小綺麗に収められている気がした。
     主人公が属するムラ(縄文文化共同体)と、対するクニ(弥生文化国家)の設定が、極端に善悪に二元化されており、胡散臭かった所為もある。
     ムラの使用言語に盗む・奪う・騙す等が存在しないほど聖域化するのは行き過ぎで、一種の選民史観に近い。
     一方のクニを無知で無信心な自然を冒涜する邪悪な者たちとして、最初から枠に嵌めて話を展開させるので、頭を押さえ付けられている感が拭えなかった。
     稲作と集団体制の強化、延いては貧富の差は切り離せなくとも、『自然に働き掛けて食糧を生成する』システムそのものを自然への凌駕と即座に決め付けることもないのではないか。
     狩猟だけで増え続ける人口を賄いきれるかと考慮すれば、作物育成の普及は無理からぬとも言えるわけだし。
     シリーズ後半に登場する北方からの侵入者(“木の衣を着たやつら”)にしても、略奪行為を非難するのは解かるが、「焼畑農業」までも咎める対象と安易に見なして良いのか疑問。
     海辺の塩作りのムラを例に、一つの産業が共同体の経営を支える反面、その産業に縛り付けられもする事実の指摘にまで及ぶなど、行き届いた面もあるにはある。
     しかし、自然との共存の説明に『他の命を食べることで生きる実感』を用いるのは、事実、それだけで食物連鎖が成立するのかと首を傾げてしまう。
     少なくとも、人間は他の生物に食べられる為には生きていない。
     作中でも、人を喰う獣は心の捻じ曲がった存在とされ、あくまで基準は人間の側で書かれている。
     人の所業を下手に順序立てて正当化するよりも、『生き物を食うことでしか生きていけない』根本を最初に認めてしまう必要があるのではないか。
     その辺と併せ、『カムイ』の概念の規定も今一つ不明だった。
     『神』ほど絶対的ではなく、良くも悪くもなりうる自然や生物の『精霊』の位置付けかと見当をつけると、神と同義に擦り替わっていたりする。
     時折、神の世界が出てきても、断片的な描写に留まる。
     最後まで神々の具体的な構成は語られず、ムラやクニによって解釈が異なると示唆されるのみ。
     人の祈りを聞き届ける基準は曖昧だし、人間同士の闘争を神の力で収めたりと御都合主義な展開もしばしば出てくる。
     結局のところ、日本における神概念は体系的に理論化されているわけではないから、創作ごとに認識が分散するのはやむを得ないのだろう。
     余談ながら、言語の異なる民族間の会話を成立させ(というか読者に認知させ)る為に片方をカタカナ表記にする工作は、所詮は文法や用語が同じなので、単に読み難いだけで滑稽にすら見えてくる。
     それでいて、言葉が通じない状況を示そうと無理に片言表現をされると、どうしても不自然で痞(つっか)える。
     超古代設定の物語に、現代の外来語が出てくるのも気になってしまう。

     キャラクターについては、主人公・ポイシュマには正直言ってあまり面白みは無い。
     感情の起伏が唐突過ぎて附いていけなかった。
     『美しく賢く優しい』という作中の評を後から故意に裏付けようとするような、取って付けたイイ子ちゃんぶりが、読み手に好感を強制してきてむず痒い。
     初見の対象を悪しきものと決めて掛かり罵る子供の、どこが賢いのか。
     復讐心がないと褒められていた筈が、自らを正義と思い込み、恨みをぶつける対象として適当との理由で他国への制裁は務めと言い切る、幼稚で短絡的な戯言は設定が矛盾する。
     最たる不自然は、後に友人となるヒメカのクニの少年・ワカヒコとの出逢い。
     彼の命を救ってほしいと必死に神頼みしておきながら、その為にシクイルケが死んだことで態度を豹変させ、ワカヒコを殺そうと画策する流れは無理がある。
     その言動は、完全に己を棚上げした、自分本位な愚痴と逆恨み。
     心根の純粋さを打ち出したい少年像なら、尚更、初めて経験する憎悪の根拠が不充分。
     憎しみに限らず、この子の喜怒哀楽は、デフォルメされた感情のピースとして羅列されるに過ぎない。
     悉く言動に説得力が欠け、共感を呼ぶには程遠い。
     人物造形における力の入れ具合が、的外れに感じる。
     シリーズ本編を通し、彼はいつも同じやり方でしか事態に対応できていない。
     独り合点で行動し、賢明さを鍛えられず、右往左往して難儀する印象ばかりが残る。
     安易な暴走と単純な自省を繰り返し、最後の最後、アヤのクニとの闘いでのオロチ体現に至るまでも、『心の成長』は見られなかった。
     オロチを鎮める自己犠牲の嘆願すら衝動的に聞こえ、所謂泣かせ所にはなっていない。
     説き伏せる言い分も上滑りで、身勝手な憐憫を振り翳す。
     矢鱈に彼の澄んだ魂とやらが強調はされるが、そこに説得力がないから感情移入できない。
     優しさだの憤りだのを、中途半端な断片のまま両立させようとするから、人物像が寸足らずで定まっていない。
     (フォローとして添えるなら、番外編「裔を継ぐ者」の彼は、カムイとして人を惹き付ける個性が描かれていたが。)

     それでも最後まで読み切れたのは、偏(ひとえ)に相棒役・ワカヒコの魅力の甚大さに尽きる。
     一巻で敵役として登場し、背景は曖昧であった為人(ひととなり)は次巻「地の掟 月のまなざし」以降で語られる。
     渡来系民族国家・ヒメカの王統の血筋を唯一継ぐ彼は、無実の罪を着せられ逐われ、ポイシュマのムラで生活を共にする。
     クニの巫女王である叔母のヒメカに疎まれながら、国家再建を担う微妙な政治的立場と、家族の情愛を知らぬ孤独。
     敬愛するシクイルケを自分の為に死なせてしまった苦悩。
     打算で接近してきた臣下・ホムタとの、複雑な感情の縺れ。
     諸々の想いに絡み付かれる少年の、理想を失わぬ強さと哀しさ・気高さが胸を直撃した。
     特に、三巻「天地のはざま」中盤。
     政治力の復活を賭けて乗り込んだアヤのクニで、ホムタの謀殺に直面した瞬間。
     義兄弟の契りも交わしたこの男とは、必ずしも心が通い合ったわけではない。
     利用され失望することも多かった男と、それでも彼は真っ直ぐに向き合ってきた。
     策略の首謀者・タヂシヒコの前で、義兄の遺体を抱きしめ、伏せた顔に湧き上がる憤怒と怨念の笑み。
     激情を微塵も悟らせず、静かに敵を遣り込める手管。
     心の闇、黒い毒を描かれた瞬間、思わず膝を叩き、感嘆した。
     綺麗なだけの心など嘘臭い。
     胸の奥を引き毟られる衝撃を受けた先を、如何に生きていくか。
     その論理と描写にこそ、創作の真髄の一端がある。
     ポイシュマの空虚で上っ面な無垢さに対し、ワカヒコの清さと昏さのバランス加減は絶妙だった。
     彼の指針は常に、人々を統率し、健全に国家を運営する意味と意義。
     正しく公平に物事を運ぶ術(すべ)を知るべく模索し、実行する為の清廉で強靭な心を鍛え、知識でなく身体で体感し吸収できる謙虚で誠実な素質を持つ。
     クニ人が自分を大事にする表向きの根拠を出生と身分故と冷静に解し、だが卑屈には陥らず、周囲への細やかな目配りも嫌味がない。
     育ちの良さにも関わらず、ムラ人に混じって不服も零さず働き、他人の価値を率直に認める。
     人心や社会構成を適確に比較し、洞察できる聡明さ。
     願いや命を背負う重さを理解し、生き抜こうとする健気さ。
     穏やかに、堂々と、誓いを守る度胸と清々しさ。
     どれほど境遇が変わろうとも、苦しみを糧とし、文化や制度を越えて、人や神に感謝することのできる人間だと窺える。
     そんな彼の信念は、時に痛々しい。
     己の立場や役目を十二分に承知し、必要な時と場合には虚々実々の駆け引きを駆使する。
     そうした遣り方で生きる者たち相手には、同じ土俵に乗り、凛と渡り合ってみせる。
     本音で付き合えるムラの暮らしを懐かしみつつ、気を張り詰めるクニの生活に馴染んだ己を自嘲しても尚、誠実さを失くさぬ純粋さが眩しい。
     他者の我欲や保身、損得感情に晒され続けても、同じ場所には堕落していない。
     人を騙し陥れる企みも方法も知る身を忌む反面、それらを理解できない友の心を濁すまいと配慮する器の大きさがある。
     多くの悲しみに襲われ、人の心の裏も知り尽くし、裏切られた傷を生々しく抱えても、信ずるに足る者を見抜く眼力がある。
     顕著な四巻「月冠の巫王」、アヤの侵略を防がんと、少数の供を連れてヒメカを脱出する逃避行。
     掌を返したような部下・オシホミの言葉に、咄嗟の疑心を乗り越え、誠意を感じ取れる判断に微笑んだ瞬間。
     人を信じられる己を喜ぶ、清澄な笑顔が目に浮かぶ。
     その爽やかな力強さに魅了された者たちの感激も、察するに余りある。
     悲嘆や苦節によって培われたワカヒコのしなやかな逞しさは、誰より美しい。
     おそらく、彼ら主従が真実、胸襟を開いて結ばれたのはこの時ではなかったか。
     幼馴染みのユツとの夫婦ぶりもお似合いで、こんな王と王妃を奉るクニの前途は、安らかで輝かしいだろうと想像できる。

     優れた巫女であり、後にワカヒコの妻となる清廉な美少女・ユツに関しては、変に勿体振らず、最初から女主人公として貫いた方が話がすっきりしたと思う。
     主役がポイシュマと言えど、その恋人のネユンより、内容における重要性からしてヒロインは完全にユツなのだから、彼女とワカヒコの情愛の過程をもっと丁寧に描くべきだった。
     ネユンを巡るポイシュマとワカヒコの鞘当めいた展開を、いきなり持ち出されても拍子抜けする。
     その上、クニの女性と結婚すべき立場だからネユンには求婚する気がないなどとワカヒコに言わせてしまうと、政略のみで妻を選ぶ印象を与え兼ねない。
     読者の想定を外そうとした小手先の目晦ましなのかもしれないが、結局はユツと相思相愛で結ばれるなら、腰を据えた描写の方が混乱を招かない(頁数の制限もあるのだし)。
     定番路線とは、それを望む読み手が多いことでもある。
     少なくとも、浮付いた奇抜さよりは、奥行きのある定番物にこそ、自分は軍配を上げたい。
     結び付きの深さ・切なさからしても読者の心情を引っ張れるし、人物の輪郭を掘り下げるにもワカヒコ&ユツの方が深い。
     神おろしの才を非道なアヤに狙われ、ムラに災いを呼ぶことを恐れる彼女は、自らの命を武器として闘うべく、生死によって出来うること・使い方を見極めようとする。
     そこには、控えめなだけの娘ではない、毅然たる意志が満ちている。
     兄妹のように育ったワカヒコと、互いの距離を自覚しない近さで励まし信じ合う、仲の良い二人が微笑ましくてとても好きだった。
     だからこそ余計な脱線をせず、シンプルにでも少しずつ、互いを異性として意識し惹かれ、結ばれる過程を採ってほしかった。
     男女の関わりがクニよりも開けっ広げなムラでの生活を経て、相応の進展が見えてくる方が自然な成り行きであるし。
     最後に幸せそうな婚儀の様子があったとはいえ、途中の一部がかなり不満だった。
     しかし、タヂシヒコ暗殺の汚れ役を遂げる決意や、オロチの暴走に巻き込まれて死を覚悟した際、反射的にあるいは強い意思でもって、ユツへの想いを表明してくれたワカヒコの姿は凄く嬉しかった。
     彼の存在とユツとのカップルが、自分をこの物語に惹き付けた最大の要因だったと言って良い。

     もう一人、ワカヒコに添う義兄・ホムタの性格付けも面白かった。
     憎まれ役の小悪党の要素が強調されがちだったが、ムラの人間を妙に善人振らせて対比させた分、個性が浮き彫りになった。
     特に三巻、塩のムラとの談判の場面。
     交易によるクニの発展を考える彼には、友情による融通と同義の、ムラ同士の『交換』の有り様が納得できない。
     こうした損得計算は越海の民の狡猾な理屈と蔑まれたが、全く的外れの言い分ではないのがミソ。
     ムラごとに渡す分量の判断は持ち込まれる交換品の良し悪しだろうと追及され、結果的に話題が逸れたのを見ても、交易での駆け引きの要素を完全に払拭するのは難しい。
     ムラの生き方には暮らしをより良くする努力がないとの指摘も、ある意味では妥当。
     他人に認められようとあがき、才覚を活かす場に恵まれなかった、若き野心家の末路は哀しくも、ムラ人よりも強烈な印象を残した。

     本編ラストは大団円で、月の神を祀る民は、大和王朝以前の幻の古代王国(出雲・吉備・丹後・筑紫・日向)のどれかとされ、いきなり現代日本に連なる物語となって終わる。
     多くのムラやクニが交易や婚姻・相互扶助で結ばれた千年王国が理想的に説かれ、戦争や摩擦の絶えない現代世界の諸問題を改めて意識させる、スタート地点に立ち返った心地になる。

  • アテルイはかっこいいなぁ。信じるもののために自らを投げ出すなんてかっこいいな。

  • 2010.6 再読。
    昔読んだときと、記憶違いが結構あった。救えた人、救えなかった人。ヒメカの奴や女奴も、自由に結婚できるようになれていればいいけれど。願わくば、ワカヒコが「奴」という身分を撤廃してくれますように。

  • 『月神の統べる森で』から続くシリーズの完結編。
    ムラとクニの文明の衝突に罪なき人々の血が流される。調和を目指しながらも戦争が起こってしまう矛盾をどうすれば解決できるのか。
    児童文学ながらこの作品が訴えているものはとても深いです。

  • あとがきで著者が書いているように、
    日本の歴史や文化を基盤に創造された話を
    ファンタジーというカタカナのジャンル区分と
    同じくくりにするのは、少し違和感が残る。

    高校の古典の授業中にもよく思ったことだが
    当時の会話や、昔もきっとあったであろう、通訳や翻訳が
    どんなふうに行われていたのか、見て知ることができたらどんなにいいか。
    本文中にもヤタカ達が通訳する場面がいくつかあるが、またそう思う。
    昔の日本列島の言語の分布って今とは全く違っただろうし、
    山一つ、川一つ、海一つ越えただけで
    全く違う生活習慣を持っていたかもしれないし、
    物々交換と貨幣経済の過渡期や混在期も
    もめごとや人情がたくさん行き交っていたのだろう。
    情報が少ないだけに、古代の日本に生きたご先祖様
    の暮らしぶりを想像するのは、とても楽しい。

    次に美術館で土器や矢じりを見たら、きっとこの物語を思い出すと思う。

  • 縄文文化と弥生文化をここまでよく対比させて書いてるよなー。
    ムラとクニ、平等と奴隷、狩猟と農耕、月と日、対話と神懸かり、見えない国境と柵などなど。それがぶつかりあって、最後には融合してしまう、その筆致に驚くばかり。

    序章
    第一章 よくない知らせ ムラでの不安
    第二章 暗雲 立ち上がるムラの人たち
    第三章 婚礼 ワカヒコの結婚
    第四章 始動 ポイシュマ、アヤへ
    第五章 アヤへ アテルイとの語らい
    第六章 助力者たち 穢された川のカムイなど
    第七章 凶星 タジシヒコヒメカへ
    第八章 合流 脱出したワカヒコ、ムラのものと
    第九章 偵察 ポイシュマとワカヒコ合流
    第十章 襲撃 ワカヒコの決意
    第十一章 血戦
    第十二章 オオモノヌシ
    終章

    日本の文化の中から発信するファンタジーも必要だと感じた、とあとがきに。同感!

  • 思ったより王道であっさりな終わり方だったような。
    ポイシュマがんばったね。

  • ラストは少しまとまりすぎた感じがしてしまった。
    シクイルケの優しさがあたたかく、関係性はとてもステキだった。

  • はるか昔に起こったこと。
    血で血をあらう激しい争い。
    二つの文明が交錯したとき、二人の少年は、仲間に、友人に、支えられ、運命を生き抜く。

    すべてを信じる心と敬う心。そんな気持ちが今でも持ち続けられるだろうか。話しあうことがルール。わかっていても、今の時代で、それだけではやって、いけないんだろうな。

  • はっきり言ってしまいます。
    この本は、ハリーポッターやダレン・シャンと肩を並べるくらい面白いです!
    縄文だとかそういう古い舞台なのですが、本当に面白い。お勧めです。

  • 月神シリーズの4。
    大きくなったねポイシュマ。

  • "月神の統べる森で"同じく。

  • 古事記や日本書紀が大和朝廷という支配者によって編纂された神話だとは知っていた。その奥にもっと古い物語があるだろうとも思っていた。それをこういう風に描いたことに感動。オオモノヌシをそうもってくるかあ。なるほどなあ。忘れられた月神の物語。憎しみも悲しみも消えない、けどそれでもそれを越えて生きることはできる。生きられたらいい。

  • 月神の民シリーズ最終巻。アヤのクニを舞台に大きな戦いが起こり、ムラだけでなくヒメカのクニも巻きこんだ大きな動乱になっていきます。その中で和解の道を模索するポイシュマとワカヒコ。二人の築く未来はどんなものなのか…。 4冊続いたシリーズもいよいよ完結。ずっと見守っていたシクイルケと流れ星の神の漫才が面白かったです(笑)

  • 月神シリーズ最終巻。
    ポイシュマとワカヒコの戦いはどうなるのか!!??

  • 「守り人」などに並び称さるるべき内容。

  • 2003
    外伝、読みたい。ってか、作者あのヒトなんだ…ぇ…(汗

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