- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062153614
感想・レビュー・書評
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困惑とふわふわ感。最近読んだ多和田さんの中では一番読みづらかった。多重言語話す人の連想や駄洒落みたいな事を理屈でなく流されるまま読めばいいのかな?
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装丁が綺麗なので手にとって頁を捲ってみたら、日本人の小説にはない空気感が面白いと思い読んでみた。
漢字一字の反転がタイトルの日記のようなナンセンス小説のような話で、面白い?どうかな、好きな人は読んでみたら?という感想。ストーリーは繋がっているけれど、どこに着地するのか、行きずりの日々が不安定な主人公(優奈、というそぐわない名前)の心のようで、どこにも繋がらない感じがした。 -
短い断章形式の冒頭に章題のように付された鏡文字で表された漢字。作中で主人公・優奈が日常の出来事を漢字一字で記録するという習慣に因っているのだろう一文字の漢字は、反転していることで違和感を持ちながらも読むことが出来、意味を解し、その状態に慣らされていく内に、次第に普通に記されている本文の文字に対しても見慣れぬものであるように思えてくる。言葉遊びや言語的なズレや齟齬、異化作用を捉え続ける多和田さんらしい知略。
作中、優奈が読んだハンガリー人作家の本からの引用として出てくる「人類にたくさんの言語が与えられたことは幸せだと感じた。たった一つの言語では、高い塔を建てることくらいしかできないだろう。高い塔というのは危ないものだ。」という言葉。通常人間の混乱と不和の起源として語られる伝説への、逆転した肯定的な見方。これは多和田さんにとっての見方でもあるに違いないと思った。 -
ドイツだけではなくフランスのことも書かれていた。
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これはやはり二ヶ国語で小説を書いている作家らしい言語感覚なのだろうか。ヒロインの優奈は英語もドイツ語もできるらしいのに、フランス語だけ習得できないというのは不思議だ。はっきりは書いていないけど、優奈は同性愛者なのかな?
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いつも登場人物が名前とともに、突然現れる。ぼんやり読んでいると、この人誰?とパニック。新しく現れた事情を、読み落としたのか??と思うほど、突然わけがわからない空間に追いやられる。きちんと読んでも、「あ、理由がわからない」と、迷路に入ったように戻ったり飛ばしたりして読み進んだ。そういうところにはまり、2巡目からは面白くなっちゃった。これが魅力では決してない。私が読解力が無いせいでこんなことを考えている。誤解されぬよう願う。で今、5巡目読んでいるけれど、気になっているのは、題名はストーリーとどういう関連で決められたんだろうかなぁ・・・と・・・
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言語も性別も場所も時間も、全ての概念の狭間に落ちて、不安定だけれど自由自在に動き回る、そんな多和田葉子ワールドが全面に出ている作品でした。
鏡文字になった漢字の居心地の悪さが、読みすすめていくうちにどんどん快感に変わっていき、概念から解放されていくかんじ。
凝り固まった脳みそが解きほぐされていきました。 -
作者の企みも装丁もすばらしい。言葉の海を泳ぐ。正にそんな体験。小口のマゼンダと栞のボルドーが効果的。血の色だ。本という綴じられた印刷物であること。これが重要。
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日本語の裏側のことを考える。
ええとなんだっけ。そんなもんあるんだっけ。
多和田葉子である(←「江田島平八である!」みたいに読んでね)。
それならあるかもしれない、と思う。
こまぎれになった文章のあいだあいだにはさみ込まれている反転した漢字たちからすけてみえるのはそういうところかも、しれない。
文芸誌に載ってたときに読んでたわ、と読みはじめて思い出したけど、また違った印象。って忘れてたんだけどね。 -
鏡文字となった漢字から文章が連想されたり、文章から逆に漢字が立ちのぼってくるようであったり。多和田さんらしい「字」そのものに対する、喚起されるイメージとの戯れとか言葉の根源的なところを探ろうとする動きを楽しめる一冊。それにしても漢字って左右を逆にしても、意味がとれるから不思議だ。逆にすることで、その文字を「よく見てみなさい」と逆に注意を促される結果になっているような気がする。意味をとろうとする私は多和田さんの術中にはまっているのか。漢字をドイツ語にしたらひょっとして辞書みたいになるのか?とか思って各漢字のドイツ語を調べたりしてしまった(関係なかったけど)
多和田さんのものでは『飛魂』が一番印象に残る本なのだが、そこでの試みが何となく思い出される。紙の周縁を赤くしてあるのも、内容と合わせていいです。