聖地にはこんなに秘密がある

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062164757

作品紹介・あらすじ

神の正体は何だろう?国造り伝説がひっそり伝えられ、祭祀によって神を呼び出した地。どこにでもある山や岩が、なぜ神聖なものに変わったのか?誰も知らない「もう一つの日本」。

感想・レビュー・書評

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  • 宗教学者が日本の8ヵ所の「聖地」と呼ばれる場所についてその歴史やしきたり、現代の立ち位置などを解説している。

    比較的近代に創設された天理教本部のような場所から、神話の時代にまで由来が遡る沖ノ島など歴史の深さも様々。現代でも宗教上の重要な拠点だったり、パワースポットと呼ばれて観光客を呼び込む場所もあり、訪れる人たちの目的もまた多様化している。

    各地にあるしきたりや「封印」、伝統行事は誰がいつ、どのようにして決めたのだろうと思う。後の世の人達に不要と判断されればなくなってしまうものが今でも続いているのには、それだけ人々を惹き付ける物があるからだろう。

  • 楽しそうなタイトルですが、著者は宗教学の第一人者。
    表紙のやわらかそうなイラストに引かれて手に取ったものの、中身はきちんとした専門的な内容でした。

    もともとはどこにでもあるような山や岩が、人の手によって神聖なものとされ、聖地として作り上げられていったそのきっかけと過程に興味を持ち、8つの日本の聖地を巡った記録です。

    著者は奈良の三輪山と伏見稲荷を訪れ、どちらも神の住む聖域として、人々の強い信仰に支えられてきたという共通点を上げつつも、決定的な差異も上げています。
    それは、三輪山の方は厳重に封印されており、稲荷山は人々に開かれた山だということ。
    三輪山は、そのために雑多な信仰が入ってくることなく、古代的な聖地の雰囲気を漂わせたままになっていますが、伏見山の方は、庶民の信仰を受け、どんどん変貌しているそうです。
    伏見稲荷には民衆の作った数多くの塚があり、六十年の間に十倍以上増えたとのこと。
    特に戦後急増したそうで、千本鳥居の数も同じように急激に増加しているそうです。

    伏見稲荷の奥の塚で蝋燭を灯し、般若心経を唱えている人がよく見られるとくくだりを読んで、神社でお経を唱えるという、神仏混淆の日本的な信仰形態を感じました。
    天皇家が神道のみを催事に取り入れている伝統は、天皇制発足以来ずっとだと思っていましたが、明治の神仏分離からであり、それ以前の天皇は代々、熱心な仏教信者であり、日本人全体と同じく、神仏習合の宗教を信仰していたということも知りました。

    伊勢神宮には天皇の祖先神のアマテラスオオミカミが祀られており、はじめは皇室のものでしたが、そのうち内宮は商業の、外宮は農業の神としての性格を与えられたそうです。
    そのため、お伊勢参りがブームとなるほど広く庶民の信仰を集めることができるようになったそうですが、皇室専用のままだったら、威厳と秘密を保ったままで、ここまで民の信仰を集めることはできなかったことでしょう。
    伊勢神宮には神宮の中心のようなイメージがありますが、以外にも持統天皇以降、明治天皇までの長い間、天皇は参拝していなかったそうです。
    持統天皇の参拝時には、家来の猛反対を受けたとのこと。
    その理由は、明確には語られていないものの、斎宮制度があったため、天皇が詣でる必要がなかったのではないかと類推されていました。

    また、式年遷宮といったら伊勢神宮のみ行う儀式だと思っていましたが、大阪の住吉神社、千葉の香取神宮、茨城の鹿島神宮などでも、20年に一度遷宮が定められていたと知りました。上賀茂神社でも今なお行われています。
    今年は伊勢神宮の式年遷宮の年ですが、総費用は550億円とのこと。
    これを20年ごとに行うわけですから、大変な大事業だと改めて思います。

    8つ目に沖の島の聖地を訪れた著者。
    簡単に行けない場所だとはわかっていながらも、定期的な船便がないと聞くとその僻地さにしり込みします。
    ここを訪れたあと、2箇所の聖地を巡って、計10か所の聖地を巡る予定だった著者ですが、この沖の島で「終わった」と悟ったそうです。
    よほど強い神的体験を感じたのでしょう。

    古代より何も変わらぬまま、その神秘性を保ち続けていると思われる聖地ですが、実際的な救済の機能を期待する信者側の希望と合わないところも多く、少しずつ開かれたものに変化しつつあるそうです。
    ミステリアスで、その歴史については何も語らないような聖地ですが、その時々のニーズに合わせて、実は変わってきているという聖地。
    なおさら、奥の深さを感じます。

    紹介された8つの聖地のうち、4つしか訪れたことがないため、残りの4つ、久高島のクボー御獄、奈良の天理教教会本部、島根の出雲大社、福岡の沖ノ島にもいつか訪問してみたいと思いました。

  • 丁寧に全国の聖地と呼ばれる場所を巡っている。

  • 近年パワースポットなどと呼ばれ、熱い注目を浴びている場所も、元をただせば何某かの信仰と結び付いている場所であることが多い。そのような聖地と呼ばれる場所が形成されるうえで、決定的に重要なのは祭司である。祭祀が営まれ、それがくり返されることによって、その空間は聖性を帯びてきた。

    一方で、数百万単位の人間を集める聖地が、それこそいくつも存在しているのは日本くらいであるという。われわれ日本人の多くは、無宗教でありながら、複数の神を信仰するという離れ業を演じてきた。本書はそんな日本の聖地を辿り、その秘密を解き明かしていく一冊である。

    ◆本書の目次
    第1章 クボ―御嶽 @久高島
    第2章 大神神社  @奈良
    第3章 天理教協会本部 @奈良
    第4章 稲荷山   @京都
    第5章 靖国神社  @東京
    第6章 伊勢神宮  @三重
    第7章 出雲大社  @島根
    第8章 沖ノ島   @福岡

    どの聖地の場合においても、歴史を経るにつれて、聖地の姿は変わっていく。そこには聖地を作り、それを守っていこうとする側の意志と、それとは必ずしも関係なく、いったん成立した聖地を自分たちの都合に合わせて崇拝の対象にしようとする参拝者側との対立や葛藤が示されている。その信仰において、質をとるか、量をとるかという選択が求められるのである。

    例えば、終戦記念日が近づくにつれて、ニュースで話題になることも多い靖国神社。その約一カ月ほどの前の7月13日~16日までのあいだ「みたままつり」というお祭りが開かれているそうだ。みたままつりには毎年30万ほどの参拝者があると言われるが、平均年齢は相当低く「ギャルの祭典」の様相を呈しているという。浴衣姿で夜店を歩く彼女たちの頭に、英霊を慰めるという認識は、おそらく皆無であろう。

    一方で質を重視している例には、奈良の大神神社があげられる。この神社には拝殿はあっても本殿はない。本殿のあるべき場所には三輪山があり、この山全体がご神体とされている。拝殿の奥の「三ツ鳥居」の先は禁則地とされ、厳格に封印されている。何のために封印されているかというと、民間信仰に多く見られる「神仏習合」という神道と仏教の入り混じった状態を嫌っているのだ。かくも神様と仏様は、仲が悪い。

    さらに、聖地と聖地の間の関わりあいに着目している点も興味深い。例えば、京都の稲荷山と奈良の三輪山などは、山中の構造がかなり共通しており、まるで双子のような関係であるそうだ。そのほかにも、聖地同士のあいだには、神話的、地理的、人的などさまざまな形でのつながりがあり、重要な意味が与えられているものが多い。

    重ね重ね思うのは、日本人を無宗教と簡単に片付けることの、危うさである。信仰というものを、意識レベルで見るか、態度レベルで見るかによって、捉え方は大きく変わってくる。我々を守りしものは、ネットワークを形成するくらい、無数にあるということを実感する。

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著者プロフィール

島田裕巳(しまだ・ひろみ):1953年東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、現在は東京女子大学非常勤講師。現代における日本、世界の宗教現象を幅広くテーマとし、盛んに著述活動を行っている。 著書に、『日本人の神道』『神も仏も大好きな日本人』『京都がなぜいちばんなのか』(ちくま新書)『戦後日本の宗教史――天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書)『神社崩壊』(新潮新書)『宗教にはなぜ金が集まるのか』(祥伝社新書)『教養としての世界宗教史』(宝島社)『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)等多数あり。

「2023年 『大還暦 人生に年齢の「壁」はない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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