語りえぬものを語る

著者 :
  • 講談社
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (490ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062170956

感想・レビュー・書評

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  • 図書館で借りましたが、あまりに面白いので読みながらにやにやしてしまい、家族他周りの人に不審な目で見られる始末です。例がとっても面白くてわかりやすいです。けれども内容はやっぱり深いので、何回も読んで楽しめます。
    野矢先生の本は好きで他にも読むのですが、野矢ismにやられてしまわないよう彼の意見は彼の意見として、自分は自分で考えるということを常に忘れないようにしています。鵜呑みにしてはやっぱりいけないと思うので。

  • ウィトゲンシュタインの論理哲学論考を出発点に、野谷先生が平易な言葉で哲学の諸問題を語ってくれます。
    この本を起点に論理哲学論考などに挑戦したくなりました。

  •  本書は幾人かの現代哲学者の考えを引用しつつ、著者の見る“哲学的風景”を読者に伝えようとする本です。執筆時点で著者は自らの哲学を完成(?)させておらず、「私はこう考えたいと思っているが、まだ見通しきれていない」といった表現が多く見られます。哲学者の思考を辿れて面白い本でした。
     本書単体で読んでも面白いですが、タイトルから明らかなようにウィトゲンシュタインの哲学についての議論を背景としているので、その辺りを多少理解していると、より楽しめます。
     前期ウィトゲンシュタインの『論考』には「語りえないことについては、沈黙しなければならない」という言葉があります。これに抗して本書は、何とかして「言語で表現しきれないものがある」ことを明言しようと、様々な観点から語り尽くそうとします。まさにタイトルのとおり、「語りえぬものを語る」わけですね。

     基本的には、言語を通じた現実の認識の仕方について思索されていて、【相貌】という見方を中心に、【行為空間】という考え方、【概念】について、【自由】について、【真理の相対主義】について、など、多岐の話題に触れられています。

    私はミドリムシが動物なのか植物なのか考えるための参考のひとつとして、本書を読みました。感想、学べたことなどをnoteにまとめています。(https://note.com/midori_elena/n/n9c41411adb62?magazine_key=mb1d3161dcc72

  •  京都には「哲学の道」があるが、読み進めながら、私は、著者に誘われて、「哲学の道」を散歩しているような気分になった。一人で散歩していても、道端の石ころや木々の梢、小川などが目に入るが、それらは哲学的思索を呼び起こすには至らない。しかし、この書物に一歩足を踏み入れると、周囲の相貌が一変する。
     それもそのはず。ここに収められた26の文章は、講談社のPR誌『本』に連載されたもので、読者は、著者の哲学的思考が生成する現場に立ち会うことになるからだ。著者はあとがきで、「本書は、既出論文を水割りにして口あたりをよくしたものではなく、原酒であり原液なのである」と記しているが、私には泡がふつふつと湧いている発酵中のもろみに放り込まれているような感覚であった。
     そのことが、はっきり感じられたのは、第10回「翻訳可能でも概念枠は異なりうる」の章あたりからだ。著者はこの章の末尾に「どうやら、『論理哲学論考』から『哲学探究』への、ウィトゲンシュタインの転回点に触れるところに来ているようだ」と書きつけている。
     そして、第11回「そんなにたくさんは考えられない」では、その転回の内実が明かされる。「私はまず行為空間に生きている。そこからのみ、論理空間は語られる。論理空間を囲い込んだものが行為空間であるというよりも、行為空間を延長したものが論理空間である。さもなければ、論理空間もただの砂上の楼閣にすぎない」と。
     そして、決定的な覚悟がウィトゲンシュタインの言葉を借りて語られる。「ツルツルした氷の上(=論理空間)から、ザラザラした大地(=行為空間)へ戻れ!」(第13回)と。『論理哲学論考』が「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という言葉で終わっていることはあまりにも有名だが、著者は<論理空間>から<行為空間>へと足場を移し、「語りえぬものを語る」という決意を書名に込めたに違いない。
     この単行本には、各回の末尾に本文よりも長い註が付されているが、そこにはザラザラした大地に立つことで、さらに思索を深めようとする強い意志が感じられる。「私はまだそれを明確に見通すには至っていない」「だが、私はまだそうしたことを見通せていない」という言葉が各所で吐露されていて、今後の思索の深まりを予感させてくれる。
     「野矢センセイ、今度また、どこかで、散歩に連れて行って!」

  • 途中、神秘的な話になっていってどうなるのかと思ったけど、一応まとまっていました。
    今、仕事上で考えている機械のアナロジーではない「生命らしい」生命システムの理解というものに通じるところがある。けど全体で理解するとしても、きっとどこかに飛躍を残したままになってしまうのだろうか。
    果たしてそれが法則を見つけたといえるのかなぁ。

    こういう人こそ、理研文化の日で呼ぶとかしてほしいですねー。
    議論することで何か新しいことが見えてきそう。

  • 相対主義であるとか、過去であるとか、物事を考えるきっかけを貰った気がする。
    少し長すぎるのが玉に傷か、読んだ箇所全てを消化できた気はしないが、少なくとも消化できた箇所についてはとても満足しているし面白かったと思う。何度も読み返したいと思える一冊。

著者プロフィール

1954年(昭和29年)東京都に生まれる。85年東京大学大学院博士課程修了。東京大学大学院教授を経て、現在、立正大学文学部教授。専攻は哲学。著書に、『論理学』(東京大学出版会)、『心と他者』(勁草書房/中公文庫)、『哲学の謎』『無限論の教室』(講談社現代新書)、『新版論理トレーニング』『論理トレーニング101題』『他者の声 実在の声』(産業図書)、『哲学・航海日誌』(春秋社/中公文庫、全二巻)、『はじめて考えるときのように』(PHP文庫)、『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(哲学書房/ちくま学芸文庫)、『同一性・変化・時間』(哲学書房)、『ここにないもの――新哲学対話』(大和書房/中公文庫)、『入門!論理学』(中公新書)、『子どもの難問――哲学者の先生、教えてください!』(中央公論新社、編著)、『大森荘蔵――哲学の見本』(講談社学術文庫)、『語りえぬものを語る』『哲学な日々』『心という難問――空間・身体・意味』(講談社)などがある。訳書にウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(岩波文庫)、A・アンブローズ『ウィトゲンシュタインの講義』(講談社学術文庫)など。

「2018年 『増補版 大人のための国語ゼミ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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