- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062172691
作品紹介・あらすじ
犯罪者へ転落した「エース刑事」の懺悔9年の服役後、腐敗した警察組織のすべてを明かす。圧倒的迫力のクライム・ノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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2019.09
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北海道警元警部による、自身と組織ぐるみでの違法捜査の数々を克明に記した手記。
著者は最終的には自身の覚せい剤所持、使用により逮捕され、懲役9年の実刑を受けた。
本書は映画「日本で一番悪い奴ら」の原作でもある。
銃器摘発ノルマ達成のために、著者自身が自ら銃器を入手しそれを摘発するというマッチポンプや、おとり捜査で銃器の大量摘発をするために130キロ(!!)の覚せい剤の密輸を、上長、税関の了承のもと見逃したにもかかわらず、結局摘発できなかったり、挙句の果ては著者が「エス」と呼ばれる情報提供者への情報提供料のために覚せい剤密売に手を染め、最終的には自身も使用者となっていくという、驚愕のエピソードが満載。
そしてさらに驚愕なのは、著者が自身の裁判時に実名を挙げて克明に証言したにも関わらず、この警察自身の組織ぐるみの犯罪にかかわった著者の上長達は一切のおとがめを受けていないところである。
北海道警ですらこのデタラメぶりなら、警視庁や京都、大阪府警、そして福岡県警等はどうなっているのか、想像するだけで恐ろしい。
あと、著者は表に出せない驚愕のエピソードをまだ持っているのでは、妙に勘ぐってしまった。 -
★正義が麻痺していく★拳銃の摘発という目先の仕事に追われるため、ほかの犯罪は見逃す、さらには誘発することに抵抗を感じなくなる現場の警官の心情がひしひしと伝わる。正義と悪の境目がなくなるという。
裏金づくりを告白した原田氏を含め、これだけ告白があるのに絶対に認めない北海道県警の組織力はすさまじい。警察に間違いは認めれないのだろうが、内部の歪みはすさまじいのだろう。いいように使われる現場のやり手の悲哀と仕組みの異常さ。 -
映画化された「日本でいちばん悪い奴ら」を見てから原作であるこの自叙伝を読んだ。意外なくらい脚色で作ったエピソードは少なく、あまりにひどくてこれ作ったのかと思う話もたいていこの本にあった。
一人の腐敗した警官の責任に帰して済む問題ではないのはもちろん、警察上層部のノルマ主義とトカゲの尻尾切り体制、そして事件がないのが評価されるのではなく取り締まった数で評価されるからわざわざありもしない事件を作ってしまうという評価基準、価値観そのものがおかしいことがはっきりわかる。
警察は役所だから利益を上げることなどないのだが、代わりにいかに「成果」を上げて予算をぶんどってくるかが手柄になってしまうというのは、せしめる金ですべてが評価される今の日本そのものの反映と思える。 -
2016_05_30-0051
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2015 2 5
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それぞれの段階で組織内では整合性がありつつも、どんどん取返しがつかない線を越えていく様が書かれている。
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稲葉圭昭さん、道警でスキャンダルになった人、ある意味有名人ですね
財界札幌を眺めてたら、作者さんが二冊目の暴露本を出版したという記事があった
本を出してたことすら知らなかったけど、最初の本はと思い図書館で検索したらすぐ出て来たのでその場で予約した本
まあ暴露本です
しかし稲葉さんの自叙伝のようなつくりにもなってて、読んでて普通に面白かった
内容自体は我々はいろんなドラマや小説で警察の腐敗や犯罪に慣らされているせいか、そんなにショッキングには感じなかった
ノルマに縛られて犯罪をでっち上げるような部分は小振りでドラマのほうが面白い、だけどそれだけに妙にリアルだったかな
全てが真実かどうかはわからないわけだけど、懲役を終えた著者がいまさら嘘をつく必要も無さそうだし、多くは本当なんだと思った
組織を守るための不正ってどこにでもあるのかもしれないけど、それを裁く立場の警察で行われると歯止めがなくなりますね
しかし、全体にこんな話を読んでもそれほど驚かない私は公務員生活に慣れすぎてしまったのだろうか??
そういう自分のほうが怖いかな -
もう笑うしかない。読み終えての、率直な感想だ。マジ読みすると、怒りと失望とであまりに重たい気分になってしまう。
本書は、9年前に覚醒剤使用などで逮捕され有罪判決を受けた元道警刑事の自伝だ。生い立ちから道警に採用され刑事になるまで、そして暴力団捜査を皮切りに拳銃取締の専門刑事として実績を上げ、最後は覚醒剤に手を染めて逮捕、有罪判決を受けて服役し、刑期を終えるまでが赤裸々に、かつ冷静な筆致で記されている。その内容は、警察という組織がいかに腐っているか。ノルマ達成という目的のためには違法捜査だろうと犯罪だろうと何でもやってのける暴力集団であるかが、実体験をもとに、これでもか、これでもか、とばかりに書き連ねられている。中でもあきれ果てるのは、道警が手がけた拳銃摘発のほとんどが自作自演であったという告発だ。たとえば、ヤクザに提供させた拳銃を土に埋めた後で掘り返し、「発見」したことにしたり、拳銃摘発の実績がほしい署の依頼でヤクザに出させた拳銃をコインロッカーに入れ、犯人をよそおって署に電話をしたり、手先の器用なチンピラに粗悪な改造拳銃を作らせ、それをヤクザに渡して自首させることで「摘発」したり、などなど。その手口の幼児性、犯罪性は、驚き、呆れ、憤りなどありとあらゆる感嘆符を通り越し、もうホント、笑うしかないない。官僚組織の硬直性や腐敗ぶりを面白おかしく茶化して笑わせる映画やドラマは時々ある。たいていは、そんなわけねぇだろ、現実はここまでひどくはないだろ、と思いながら見るのだが、そんなコメディでしかあり得ないと思われることが、現実に行われていたのだ。
そして、本書で著者が繰り返し語っているように、道警による一連の犯罪行為は一人の悪徳刑事による単独行動では断じてなく、すべて、例外なく、職制を通じた指揮命令に基づく、組織ぐるみのものだった。だいたい国からして、拳銃を持って自首すれば所持者は罪に問わないなどというアホな法律を作った上で、過酷なノルマを全国の警察に課していたのだから、これでは、拳銃の押収実績を作るためならヤラセだろうと何だろうと、何をやってもイイと言っているようなものである。実際、似たようなでっち上げ摘発が全国の警察で相次ぎ、国が旗を振った平成の刀狩りは完全に失敗に終わった。これに関係した警察庁や警察幹部は誰一人責任をとっていない。
著者は、公判の過程で警察による犯罪行為の実態をつぶさに証言した。しかし道警は知らぬ存ぜぬで通し、メディアによる検証、後追い報道も中途半端に終わった。北海道新聞は裁判で明らかにされたオトリ捜査の実態を報じたが、道警の圧力に屈し、追及の手を下ろし、関係した記者を転勤させた。情けないったらありゃしないが、この程度のことすら、他のメディアはやらなかった。
あれから9年。前代未聞の不祥事はすっかり人々の記憶から消え、似たような不祥事や違法捜査はいまも繰り返されている。警察という権力機構がいかに自浄作用がないか、ということである。怒りが向けられるべきなのは、権力監視の役割を放棄したメディアと、忘れっぽい国民である。 -
佐々木譲の道警シリーズや、
東直巳の北海道モノを呼んでいる中でやたら道警の
不祥事の記載が目立ち、興味を覚えたので本書を手に取った。
「事実は小説よりも奇なり」という言葉がこれほど合うものもない。
犯罪検挙のノルマの達成や、
成果を上げるために犯罪に手を染めて行くって
本当に本末転倒な話である。
道警だけではなく、
自分の住んでいる処の警察でも大なり小なり
似たような話があると思うとぞっとする。
実際に違法捜査に手を染めた本人の話だけに
良くも悪くも非常に興味深い内容であった。