慶喜のカリスマ

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 82
感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (386ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062181747

作品紹介・あらすじ

歴史上「多くの人びとの期待を一身に集めて登場したのに、その期待を完全に裏切った」人が何人かいます。後世からみると「あんな人物に当時の人はいったいなぜ、希望を託したのだろう」と不思議に思うのですが、たしかにそのとき、彼にはカリスマがあったし、時代は彼を舞台に上げたのです。その機微を明確に描き出すことに成功したものが、すぐれた評伝なのでしょう。
 さて、近代日本でこの種の人物を探すとすれば、その筆頭に挙げられるのは徳川慶喜でありましょう(ついでにいうと、もうひとりは近衛文麿)。しかし、司馬遼太郎の『最後の将軍』を読んでもどうにもこの人のことはよくわからない。
 慶喜がこれまで歴史の専門書からも歴史小説からも正当な扱いをされてこなかったことの蔭には、ふたつの決定論史観が作用しています。ひとつは王政復古史観、もうひとつはコミンテルン・ドグマ。どちらも歴史を行方の定まっている一方交通の方向量のように考えて、慶喜をもっぱら否定されるもの、乗り越えられるべきもの、敗北ときまったものと扱ってきて、この人物に本来ふさわしい出番を与えてきませんでした。慶喜に「封建反動」のレッテルを貼り付けて戯画風に単純化する点では、ヴェクトルは正反対でも両学説は奇妙に一致するのです。
 本書は幕末について書きつづけてきた野口氏が満を持して放つ「慶喜と幕末」です。幕末の数年における彼の眩い輝きと没落、明治以降の沈黙をとおして「ありえたかもしれないもうひとつの日本」が浮かび上がります。

感想・レビュー・書評

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  • 徳川慶喜を書いた本は多いが、この本は掘り下げが深く秀逸だと思う。秀逸なのか?愚鈍なのか?両面持ち合わせているが、愚鈍ではなく臆病だったという解説。
    ・大政奉還後の”ええじゃないか”は人種愛的なエロスが充満
    ・鳥羽伏見のの戦いは、戦意無し 部下が暴発
    ・大阪城は籠城の城 慶喜が逃げ出したのが最大の失敗
     家来を鼓舞した後の逃走。大義名分も無い 信頼の失墜
     おまけに原因不明だが炎上させてしまう。
    ・開陽丸に乗り込んで江戸に逃げるつもりが、船が解らずアメリカ船に案内してもらう羽目に。
    ・滅法の女好きで、開陽丸にも妾を連れ込んだ。

  • 慶喜は本当は臆病だった?
    朝令暮改の人は沢山いるけど、慶喜の場合は本当はどうだったんでしょう。
    禁門の変のときは先頭に立ったり、神戸開港の時には弁舌あざやかだったのに、鳥羽伏見の時は夜中に大阪城を抜け出したり、王政復古の時には仮病で欠席したり。
    精神分析医が解説したら面白いかも。

  • 封建社会存続のための最後の砦として、持ち前の政治能力とカリスマ性を駆使して針の穴に糸を通すようなギリギリの勝負を仕掛けたが、時の運に見放されて敗れ去った慶喜公の前半生を評した本。幕府内の有力者にも味方はほとんどおらず、無責任な期待をただ押し付けられるだけ、という状況の中、数少ない身内を固めて、一会桑(一橋・会津・桑名)だけで途中までは互角の勝負をしたのは天晴、というのが正直な印象。そもそも、徳川将軍でありながら、数百人の護衛兵の調達に苦慮している時点で、時の運に見放されているとしか言いようがない。(結局、水戸藩の浪人や農民で護衛隊を急造した)
    14代将軍・徳川家茂の後見人として、政治の表舞台に登場して以来、常に京都で生身の政争を強いられた点は、封建社会の開祖である源頼朝と真逆になっていて、その対称性が面白いと思った。それに、33歳にて政治力を失った後、40年以上にわたり一切の政治活動を断ってみせた精神力には、やはりカリスマ性が備わっているようにみえる。日本がいち早く先進国になれたのは、旧幕府勢力による抵抗や蜂起を、慶喜が無言の圧力で押さえつけたことが一番大きい。もっとも、慶喜が後半生で無言を貫けたのは、明治政府や徳川宗家から莫大な資金援助を受けていたから、とも言えるんだけど。(最近、「元首相」な人々がひたすら動き回って国益を損ねているのは、要するに彼らがカネに困っているから、なのである)

  • ★2013年11月18日読了『慶喜のカリスマ』野口武彦著 評価B+

    世界史受験だった私は、明治維新以降の日本史に暗い。
    勿論、物語として「龍馬が行く」などは読んでいるが、どこまでが歴史なのかを区別していたわけではなかった。
    これまでの印象では、徳川幕府最後の将軍である慶喜はただ単に弱い頭だけの良い男かと思っていた。
    しかし、実態はなかなかのやり手。京都では天皇に取り入り、江戸の幕閣には疑われるし、長州からも睨まれる。
    大胆に、大政奉還を行なった後も、幕府とは違う立憲君主制のような政治体制をお目指し、自らの復権も画策したらしい。明治時代に入っても、3回ほど担ぎ出されそうな気配があったとか。
    ただ、パニックに陥ると引きこもって、動けなくなってしまう弱点も持っていた?! ^o^

    読んでいて生き生きとした男臭い徳川慶喜が立ち上がってきて楽しい作品だ。

  • 英邁であるが臆病である、と言うのが慶喜を評する通説であろうか。
    同時代の松平春嶽も「有能ではある。しかし肝っ玉は小さい」と言っている。同時代人の共通認識なんだろう。
    慶喜の判断一つで時代が変わったかもしれない節目における慶喜の立ち位置、政治情勢、外圧等を詳細に説明し、その時の慶喜の心情を分析する。そして「もし慶喜が決断していたら・・・」と歴史のIFも解説してみせる。
    この辺が読み物として大変面白い。
    「たぶん慶喜を知るためのひとつのキーワードは、《失敗を恐れる男》であると見て間違いない。」
    この短いセンテンスが幕末までの慶喜の32年間を端的に現わしている。
    隠遁生活は45年に及び、明治からは全く表舞台に出てこない。
    これはこれで凄い事なんだろう。
    今年は没後100年だそうだ。全く盛り上がっていない処が「徳川慶喜」らしい。

  • 面白かった。やはり歴史は勝者の目から語られている。
    日本の歴史教育は色々考えるべきだろうな。
    慶喜のひととなりに言及しながら、政治家と軍人は違う、歴史に名を残す人間でも、大義だけで生きている訳ではないことを示す。
    明治維新は、所詮は、経済と権力を巡るjクーデターであった。
    で、文章が軽妙でまるで週刊誌でも読んでるみたいで、そこも良い。

  •  松平春嶽が德川慶喜を 「ネジアゲの酒呑み」 と評したという話は、かなり知られていることだろう。ところが現状では、この評を活かせるような土俵を設定できる書き手はごく限られている。歴史小説とか歴史ドラマと称するものの多くがチョンマゲをつけたサラリーマン物の別称でしかないことを想えば、淋しいことではあるが、これまたやむをえないというべきなのだろう。
     そんなお寒い書き手のなかにあって、この春嶽の慶喜評を活かせる土俵を作り上げることのできる数少ない書き手の一人が、本書の著者の野口氏である。それは氏が多種多様な史料のなかに潜り込んで、その時代の息吹き、空気、匂いをつかみ取り、それを読者の面前に描いて見せてくれるからである。
     慶喜を 「ネジアゲの酒呑み」 と評した春嶽は幕末では賢侯と称揚されながら明治に入るとすぐに化けの皮が剥がれて窓際族に追いやられたわけだが、本書に描き出された幕末の舞台を見ればそれも当然と想う人も多いことだろう。サラリーマン社会の枠を飛び出して、史料に流れる時代の息吹き、空気、匂いをつかみとったとき、歴史はほんとうに面白くなる。

  • 慶喜がなさなかった事で、結果的にどれだけの人々が命を救われたかという事が、改めて表れてきます。歴史というものは本当に面白い。

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著者プロフィール

野口武彦(のぐち・たけひこ)
1937年東京生まれ。文芸評論家。早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院博士課程中退。神戸大学文学部教授を退官後、著述に専念する。日本文学・日本思想史専攻。1973年、『谷崎潤一郎論』(中央公論社)で亀井勝一郎賞、1980年、『江戸の歴史家─歴史という名の毒』(ちくま学芸文庫)でサントリー学芸賞受賞。1986年、『「源氏物語」を江戸から読む』(講談社学術文庫)で芸術選奨文部大臣賞、1992年、『江戸の兵学思想』(中公文庫)で和辻哲郎文化賞、2003年、『幕末気分』(講談社文庫)で読売文学賞、2021年に兵庫県文化賞を受賞。著書多数。最近の作品に『元禄六花撰』『元禄五芒星』(いずれも講談社)などがある。


「2022年 『開化奇譚集 明治伏魔殿』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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