- Amazon.co.jp ・本 (386ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062181747
作品紹介・あらすじ
歴史上「多くの人びとの期待を一身に集めて登場したのに、その期待を完全に裏切った」人が何人かいます。後世からみると「あんな人物に当時の人はいったいなぜ、希望を託したのだろう」と不思議に思うのですが、たしかにそのとき、彼にはカリスマがあったし、時代は彼を舞台に上げたのです。その機微を明確に描き出すことに成功したものが、すぐれた評伝なのでしょう。
さて、近代日本でこの種の人物を探すとすれば、その筆頭に挙げられるのは徳川慶喜でありましょう(ついでにいうと、もうひとりは近衛文麿)。しかし、司馬遼太郎の『最後の将軍』を読んでもどうにもこの人のことはよくわからない。
慶喜がこれまで歴史の専門書からも歴史小説からも正当な扱いをされてこなかったことの蔭には、ふたつの決定論史観が作用しています。ひとつは王政復古史観、もうひとつはコミンテルン・ドグマ。どちらも歴史を行方の定まっている一方交通の方向量のように考えて、慶喜をもっぱら否定されるもの、乗り越えられるべきもの、敗北ときまったものと扱ってきて、この人物に本来ふさわしい出番を与えてきませんでした。慶喜に「封建反動」のレッテルを貼り付けて戯画風に単純化する点では、ヴェクトルは正反対でも両学説は奇妙に一致するのです。
本書は幕末について書きつづけてきた野口氏が満を持して放つ「慶喜と幕末」です。幕末の数年における彼の眩い輝きと没落、明治以降の沈黙をとおして「ありえたかもしれないもうひとつの日本」が浮かび上がります。
感想・レビュー・書評
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封建社会存続のための最後の砦として、持ち前の政治能力とカリスマ性を駆使して針の穴に糸を通すようなギリギリの勝負を仕掛けたが、時の運に見放されて敗れ去った慶喜公の前半生を評した本。幕府内の有力者にも味方はほとんどおらず、無責任な期待をただ押し付けられるだけ、という状況の中、数少ない身内を固めて、一会桑(一橋・会津・桑名)だけで途中までは互角の勝負をしたのは天晴、というのが正直な印象。そもそも、徳川将軍でありながら、数百人の護衛兵の調達に苦慮している時点で、時の運に見放されているとしか言いようがない。(結局、水戸藩の浪人や農民で護衛隊を急造した)
14代将軍・徳川家茂の後見人として、政治の表舞台に登場して以来、常に京都で生身の政争を強いられた点は、封建社会の開祖である源頼朝と真逆になっていて、その対称性が面白いと思った。それに、33歳にて政治力を失った後、40年以上にわたり一切の政治活動を断ってみせた精神力には、やはりカリスマ性が備わっているようにみえる。日本がいち早く先進国になれたのは、旧幕府勢力による抵抗や蜂起を、慶喜が無言の圧力で押さえつけたことが一番大きい。もっとも、慶喜が後半生で無言を貫けたのは、明治政府や徳川宗家から莫大な資金援助を受けていたから、とも言えるんだけど。(最近、「元首相」な人々がひたすら動き回って国益を損ねているのは、要するに彼らがカネに困っているから、なのである) -
英邁であるが臆病である、と言うのが慶喜を評する通説であろうか。
同時代の松平春嶽も「有能ではある。しかし肝っ玉は小さい」と言っている。同時代人の共通認識なんだろう。
慶喜の判断一つで時代が変わったかもしれない節目における慶喜の立ち位置、政治情勢、外圧等を詳細に説明し、その時の慶喜の心情を分析する。そして「もし慶喜が決断していたら・・・」と歴史のIFも解説してみせる。
この辺が読み物として大変面白い。
「たぶん慶喜を知るためのひとつのキーワードは、《失敗を恐れる男》であると見て間違いない。」
この短いセンテンスが幕末までの慶喜の32年間を端的に現わしている。
隠遁生活は45年に及び、明治からは全く表舞台に出てこない。
これはこれで凄い事なんだろう。
今年は没後100年だそうだ。全く盛り上がっていない処が「徳川慶喜」らしい。 -
面白かった。やはり歴史は勝者の目から語られている。
日本の歴史教育は色々考えるべきだろうな。
慶喜のひととなりに言及しながら、政治家と軍人は違う、歴史に名を残す人間でも、大義だけで生きている訳ではないことを示す。
明治維新は、所詮は、経済と権力を巡るjクーデターであった。
で、文章が軽妙でまるで週刊誌でも読んでるみたいで、そこも良い。 -
松平春嶽が德川慶喜を 「ネジアゲの酒呑み」 と評したという話は、かなり知られていることだろう。ところが現状では、この評を活かせるような土俵を設定できる書き手はごく限られている。歴史小説とか歴史ドラマと称するものの多くがチョンマゲをつけたサラリーマン物の別称でしかないことを想えば、淋しいことではあるが、これまたやむをえないというべきなのだろう。
そんなお寒い書き手のなかにあって、この春嶽の慶喜評を活かせる土俵を作り上げることのできる数少ない書き手の一人が、本書の著者の野口氏である。それは氏が多種多様な史料のなかに潜り込んで、その時代の息吹き、空気、匂いをつかみ取り、それを読者の面前に描いて見せてくれるからである。
慶喜を 「ネジアゲの酒呑み」 と評した春嶽は幕末では賢侯と称揚されながら明治に入るとすぐに化けの皮が剥がれて窓際族に追いやられたわけだが、本書に描き出された幕末の舞台を見ればそれも当然と想う人も多いことだろう。サラリーマン社会の枠を飛び出して、史料に流れる時代の息吹き、空気、匂いをつかみとったとき、歴史はほんとうに面白くなる。 -
慶喜がなさなかった事で、結果的にどれだけの人々が命を救われたかという事が、改めて表れてきます。歴史というものは本当に面白い。