- Amazon.co.jp ・本 (162ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062207089
作品紹介・あらすじ
「他者に何かを伝えることが、救いになるんじゃないかな」。死に惹かれる心に静かに寄り添う、傑作青春小説。
感想・レビュー・書評
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読むのが楽しみだった高椅弘希さんの最新作。
自殺したイトコの奈々から、郵便で届いたいくつかの原稿。そこには奈々の心の澱みや叫びが綴られていた。
奈々はどうして自殺したのか?直前まであんなに明るく笑っていたのに?
それらを受け取った航は、奈々が出入りしその原稿を発表していたと思われる608号室の”朝の会”を見学し、奈々と同様に精神を病んだ人々との交流を始める。
終始薄暗い。そしてまるで608号室に押し込められているかのような篭った息苦しさを感じた。でもそれは私にとってものすごく好きな世界。
リストカット、摂食障害、OD、不眠症、窃盗癖。ここに出てくるのはそういうメンヘラオンパレード。死にたい人たち。
物語の終盤で西野先生が言った「それも言葉だと思っている。」というセリフがやけにしっくりきました。
”朝の会”で作文を発表することによる表現療法と、なんら変わりはない、感情を表現する一種の方策なんだ。リストカットも、過食も、窃盗も、なんでも。
それでも死んでいく人と、死にたいけどそれでも生きたい人と、私には違いは分からないけれど、そういう感情の表現方法を否定したくはない。そこから生み出され会報”日曜日の人々”に収載されていく、まるで人生の小品のような彼らの言葉を聞き逃したくないと思う。
吉村さんが遺言のように発表した手紙もそのまま引用したい。
>僕が朝の会で学んだこと、それは、人間が個人で抱え込める感情には限界がある、ということだ。人間は感情を犬のように飼い慣らすことはできない。飽和した感情は暴力を伴って内外へ向けられる。外側へ向いた場合それは殺傷という形を取るだろうかーー、内側へ向けられた場合それは例外なく自傷という形を取る。僕の独断を述べるならば、拒食も過食も不眠も自傷の一種だ。症状ではなく言葉で伝える、それが朝の会であったように思う。
もし私が”朝の会”に出席したら、なにを話すだろう。なにを話したいだろう。
結局そんなことばかり考えてしまっていた。
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心が弱っているときに読んだら、もっていかれてしまうかもしれない。と不安になった。
流し読みをしていたせいか、もっていかれずにすんだ。
私はまだ大丈夫ということかしら?
この本を読んで、自分確認をするのもよいかもしれない。 -
……なぜこんなに巧いのか。
「指の骨」を読んだ時と同様、終始浮かんで来たのがこんな疑問。見事な細密画を見せられたような驚きがあった。
筆者は「死体」にまつわるものが好きなのか、その描写は圧倒的だった。しかし一つ気が付いたけれど、登場人物の性格がひどく希薄で、みな生きながら死んでいるように見えるのは、果たして主題が原因だろうか!? -
『…心も体も、意識も言葉も、暗闇に塗り潰されてしまうから…』
高橋さんの小説は絵画的だ。
幾層にも塗り重ねながらも、ひとつひとつの色をほどくように浮かび上がらせる。
死の中に溶けて見えなくなってしまっている生を見つけ出す。
死は怖いから目をつむったまま向こう側にいこうとする人たち。ハッとさせられる。
淡々と紡がれる言葉が所々、ものすごく美しく強烈で、他にないこの作者独特の世界を創る。 -
いや、さーせん。辛いー!
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指の骨にも言えるけれど、この作者はどうしてこんなに緻密に物事を描写できるんだろう?普通、書き手と登場人物の間には少なからず距離があるものだと思うけれど、まるで本人が体験したことを綴ってるような。とんでもなくリアル。読んでる途中、何度もこれはフィクションなんだって確認しなければ、この世界に引きずられてしまう危うさ。
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精神疾患に悩む人たちがお互いに表現し合う場所。亡くなった従姉が生前通っていたそこへ潜入した男子大学生のお話。
心の傷を癒すのは本当に大変なことだと思う。人に傷つけられても、文明人である私たちは一人では生きていけない。関わりたくない人を全て避けることができる環境で暮らせたら、どんなにいいだろう。海外では同じ病気に苦しむ人たちが集まってそれぞれ発表をする会を映画のシーンで見たりするけど、それって助けになるのかな。何も知らない他人の方が打ち明けやすい場合もあるけど。他の人を信頼できるってすごいことだ。人に傷つけられても、心の交流を通して、より心は回復していくのだろう。
ところどころグロテスクな描写があり苦手なのだけど、登場人物たちの背景が徐々に明らかになっていく様子に、全てを知るまで読みやめられなかった。 -
「死ぬのは怖いだろう?」
中高年の方がはっきりした理由で死ぬらしい
一方で若い人が自死に至る理由ははっきりしないことが多いとのこと
種の生存のために「死ぬのが怖い」という感情が脳に組み込まれているのかもしれない
だから死ぬ理由がはっきりしてないっていうのは嘘で、脳がその理由を隠蔽してるだけなのかも
明確な死の理由はただのきっかけにすぎないんじゃないか
死にたくない人も死にたい人も「死ぬのは怖い」という認識は共通しているから死ぬ瞬間に生きたいと思う
「死ぬのが怖い」っていう言葉自体がおかしい
もう自分がいない世界の何を怖がるのか
死後に届くような手紙を書く行為もそうだけど、結局死にたい人も実際に自分が死ぬことなんて信じられてないんだから死にたい人を自分から遠くの世界におくのは多分間違ってる
つまりみんなギリギリのところで生きているということ
それに気づくか気づかないかで相手に対しても自分に対しての見方も変わってくる
ちょっと重かったけど読んでよかった
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いとこの奈々が自死した。その理由を知るために、航(ワタル)は寝室(ベッドルーム)と呼ばれている不眠や自傷癖のある人たちの集まりに参加する。そこには、参加者が書いた告白のようなものをまとめた「日曜日の人々」という冊子があり半年通うと読ませてもらえる。責任者の吉村や、副のビスコ、親しくなったひなのなどと話し、冊子を読むうち、航の心も少しずつ負のベクトルへと誘い込まれていく。自死した人の近親者の自死率はぐんと跳ね上がる。航は読むうちに自分の知らなかった奈々を知り、さまざまな生きにくさを感じる人と多分共鳴していったのではないか。読むのがしんどい作品だった。内容を全然知らずに借りたのもあり、疲れたけど一気に読んでしまった。私は自死がダメだとは思っていないけど、やはり遺された人はつらいと思う。