宇宙になぜ我々が存在するのか (ブルーバックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062577991

感想・レビュー・書評

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  • ヒッグス粒子の働きがホールデンの名言「クレージーな崖のキャッチャー」を思い起こさせました。(笑)
    村山斉さんの文章は読んでいてとても気持ちよくなります。

  • Twitterの企画でブルーバックスさんから
    書籍(ゲラ)を頂いて読んだのですが、
    副題にもあるようにこれは実は最新素粒子論入門なのですね。

    どちらかというと表題に惹かれて読んだのですが、
    素粒子論を突き詰めてゆくと、地球や私達といった
    物質の存在の起源に大きく関わってくるようです。

    普段宇宙や物理化学に興味を持たない人でも、
    近年ニュースで取り上げる事の多くなった
    ニュートリノやヒッグス粒子のことについて
    優しい解説があり、最終章に表題の
    ”宇宙になぜ我々が存在するのか”に対しての
    ヒントが明かされます。

    手軽に読みやすいページ数ですし、
    日常を宇宙に想いを馳せるのが楽しいです。

    書評漫画ブログも描きましたので、
    よろしければご覧になってください。

    (記事の掲載と漫画の内容もブルーバックスさんの許可を頂いています)


    http://fourclover.blog.so-net.ne.jp/2013-01-17-1

  • ちょうど昨日、高エネルギー加速器研究機構の公開日があり、村山先生の特別講演を聴いた。講演の内容は、本書とほぼ同じものであったが、1時間の講演に非常によい内容が詰め込まれていた。難しい理論を抽象し、理解が容易な比喩で解説した好著である。講演を聴いた翌日、品川区図書館で借りて、1日で読めた。できれば、生の講演を聴く機会があれば、おすすめしたい。TVなどでも機会があるだろう。

  • 1012

    村山 斉
    (むらやま・ひとし)
    1964年東京生まれ。東京大学国際高等研究所数物連携宇宙研究機構(IPMU)の 初代機構長、特任教授。米国カリフォルニア大学バークレー校物理教室教授。 1991年、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士。東北大学大学院理学研究科物理学科助手、ローレンス・バークレー国立研究所研究員、カリフォルニア大学バークレー校物理学科助教授、准教授を経て、同大学物理学科MacAdams冠教授。米国プリンストン高等研究所メンバー(03~04年)。2007年10月より現職。専門は素粒子物理学。2002年、西宮湯川記念賞受賞。素粒子理論におけるリーダーであり、基礎科学分野における若き指導者の一人でもある。


     とても大きな宇宙のことを本当に理解するためには、小さな素粒子の世界を知る必要があるということは、本当におもしろいことだと思います。と同時に、ギリシャ神話に出てくるウロボロスのヘビを思い出します。このヘビは、自分のしっぽを飲み込んで丸くなっていますが、宇宙の調和を表すシンボルだそうです。ヘビの頭の方を宇宙全体のような大きなサイズ、しっぽの方を素粒子のように小さなサイズだとすると、ヘビが自分のしっぽを飲み込んでいるように、宇宙全体の世界と素粒子の世界がつながっているということができます。

    私たちは、今まで物質が宇宙の中心だと思っていました。でも、そうではなく、実は物質は宇宙の中でほんのちょっとしかないマイノリティだということがはっきりしたのです。  それでは残りは何なのかといえば、まだわかっていません。WMAPの観測結果によると、宇宙の二三パーセントは暗黒物質で、七三パーセントが暗黒エネルギーで占められていることがわかっています。これらを足すことで、めでたく一〇〇パーセントにすることができるのですが、暗黒物質も暗黒エネルギーも、その正体がわかっていません。正体不明の謎の物質やエネルギーということで、仮の名前としてつけているにすぎないのです。

    実は、この宇宙はニュートリノにあふれていたのです。一立方センチメートルあたり三〇〇個もあるということは、この宇宙のどこに行ってもニュートリノがあるということを意味しています。それにニュートリノは太陽などの星からたくさん出ていて、一秒間に数百兆個のニュートリノが私たちの体を通過していることになります。そんなに膨大な数のニュートリノが通過しているにもかかわらず、私たちはニュートリノに気づくことがありませんし、見たこともなければ触ったこともありません。それはいったいどうしてなのでしょう。  実は、ニュートリノはとても恥ずかしがり屋だったのです。

    そのくらい恥ずかしがり屋さんで、めったなことでは他のものと反応せず、その存在自体を知ることができない、お化けのような素粒子なのです。

     私たちの体も含めて、身のまわりにある物質は、みんな原子でできています。原子をよく見てみると、真ん中に小さな原子核があって、そのまわりを電子が飛び回っている構造になっています。この構造は、太陽系の構造にたとえられることがよくあります。

     彼は、パウリの予言した粒子について研究して、論文を書こうと思っていましたが、粒子の名前がなくなってしまってはそれもできません。そこで、新しい名前をつけることにしたのです。そして考えられたのがニュートリノという名前でした。中性子は英語でニュートロンといいます。そこに「小さいもの」という意味を表すイタリア語の接尾語、イーノをつけてニュートリノとしました。赤ちゃんのことを「バンビーノ」とよぶのはご存じかもしれませんね。ニュートリノという名前は、中性子のように「電気的に中性でとても小さい粒子」という意味になるのです。日本語では昔は中性微子と訳していましたが、今ではそのままニュートリノとよんでいます。

     原子の真ん中にある原子核の大きさは原子の一〇万分の一しかありません。原子が地球の大きさだとすると、原子核は野球場くらいの大きさしかないのです。そして、そのまわりを野球のボールより小さい電子が回っています。原子核も電子も原子のサイズから見ればとても小さいものなのに、組み合わさると原子の大きさになるのは、原子核のまわりを電子が回っているからです。ですから、原子はものがたくさん詰まっているように見えますが、中身はスカスカなのです。  原子の中から電子や原子核が見つかったことによって、素粒子の世界はとても小さなものになりました。地球くらいの大きさを対象にしていたところから、一気に野球場やボールのようなものになったので、見るのがとてもたいへんになったのです。電子はそれ以上分割することのできない粒子でしたが、原子核の方は、まだその内側に陽子と中性子がありました。さらに、陽子と中性子を見てみるとクォークでできていることがわかりました。

     陽子と中性子は重さや大きさはほぼ同じですが、陽子はプラスの電荷をもっているのに対し、中性子は電気的に中性です。この違いはどこからくるのかといえば、クォークの組み合わせです。陽子も中性子もアップクォークとダウンクォークからつくられています。陽子は二個のアップクォークと一個のダウンクォークでできていますが、中性子はアップクォーク一個とダウンクォーク二個の組み合わせです。私たちの感覚からすれば、クォークが一個入れ替わっただけの小さな違いに感じますが、その一つの違いで、電荷が生まれるか、生まれないかという大きな違いをつくります。

     このような発見が続くと、なぜだかわからないけれど、素粒子と考えられている電子、ニュートリノ、クォークにはそれぞれ兄弟分がいるのではないかと考えられるようになってきました。この時点で発見されていたのは、電子とミューオンの兄弟、電子ニュートリノとミューニュートリノの兄弟、ダウンクォークとストレンジクォークの兄弟と、アップクォーク以外は兄弟となる素粒子が発見されていました。そうすると当然、アップクォークにもまだ発見されていない兄弟分がいて、クォークは全部で四種類あるのではないかという雰囲気になってきたのです。

     そのような中で、二〇〇八年にノーベル物理学賞を受賞することになる小林誠博士と益川敏英博士が、世界中の物理学者を驚かせる理論を発表します。それが、ダウンクォークとアップクォークはそれぞれ三兄弟で、クォークは全部で六種類あるというものでした。この理論は小林─益川理論と名づけられたわけですが、なぜ、二人はクォークが二兄弟ではなく、三兄弟であるといったのでしょうか。  ひと言でいうと、二兄弟と三兄弟では、できる世界が違ってくるからだ、というのです。たとえば、ある図形を鏡に映すと左右が反対に見えるようになります。このような現象を対称性といいますが、クォークにもこの対称性が必要で、この対称性をつくるためには三つ以上のクォークの兄弟が存在しなければならないという理論に行きついたのです。詳細はこの章の終わりで述べることにします。  一九七三年に小林─益川理論が発表されてから、新しい素粒子を探すためにたくさんの実験がおこなわれました。そして、一九七四年にアップクォークの兄弟分であるチャームクォークが発見され、一九七五年には電子の新しい兄弟分であるタウ粒子が見つかりました。電子もこれまで二兄弟だったのですが、この発見で電子、ミューオン、タウの三兄弟になりました。この発見によって、素粒子の世界はどの種類のものも三兄弟である可能性が示されたのです。  そして、一九七七年にダウンクォーク兄弟の三番目であるボトムクォークが発見されました。このボトムクォークの発見で、ボトムクォークとダウンクォークとストレンジクォークは三兄弟となり、小林、益川の両博士がいうように、確かにダウンクォークとアップクォークも三兄弟だということが信じられるようになってきたのです。

     強い力の理論をはじめてつくったのは湯川秀樹博士です(図2‐3)。湯川博士は、チャドウィックが中性子を発見したときに、陽子と中性子が原子核の中に収まっていることに大きな疑問を感じました。プラスの電荷をもった陽子と電荷をもっていない中性子がなぜ、バラバラにならないで原子核をつくることができるのだろうと思ったのです。

    実は、素粒子物理学では、左右だけでなく、上下や前後を反転させても物理法則は変わらないことになっていて、そのように空間を反転させることをパリティ変換といいます。そして、左右や上下を入れ替えても物理法則に変化がないことをパリティ対称性とよぶのです。

     実は、ニュートリノの研究で世界の最先端を走っている国は日本なのです。ニュートリノの存在を初めて確認したのはアメリカ人だったのですが、自然界で発生するニュートリノを初めてリアルタイムで観測したのは日本の実験でした。  一九八七年二月二三日に、私たちの銀河系のすぐ隣に位置する大マゼラン星雲の中で、大きな星の超新星爆発が観測されました(図3‐1)。このとき、たくさんの光が放たれましたが、爆発で生じるエネルギーのうち光に変化したのはほんの一パーセントだけでした。実は、超新星爆発のときに出るエネルギーの九九パーセントはニュートリノに変化して星の外に出ていってしまうのです。

     実際、この日、超新星爆発が観測されたときに光とニュートリノが地球にもやってきました。そして、岐阜県の神岡鉱山の地下にあったカミオカンデが一一個のニュートリノを捕まえることに成功しました。世界中でライバルが同じようにニュートリノを捕まえようと競争していましたが、一番疑いなく確実に捕まえることができたのがカミオカンデだったのです。カミオカンデの観測データを見ると、佐藤博士の理論通り、ニュートリノが捕まえられてから数時間後に超新星爆発が観測されました。この観測を成功させたのが小柴昌俊博士でした。小柴博士は、この功績で二〇〇二年にノーベル物理学賞を贈られたのです。  超新星爆発で発生したニュートリノを観測できたことは、宇宙の観測に新しい手法をもたらしました。これまでは、宇宙を見ようとしたら可視光線を使う光学望遠鏡か、電波を使う電波望遠鏡などを利用するしかありませんでしたが、ニュートリノを使って宇宙を観測することもできることがわかってきたのです。小柴博士たちは、これをニュートリノ天文学と表現し、素粒子による天文学を切り開きました。

     この発表は、岐阜県高山市で開かれたニュートリノ・宇宙物理国際会議で発表されました。そのとき、ちょっと珍しい光景が繰り広げられました。日本のグループがニュートリノに重さがあったと報告すると、その場にいた全員が立ち上がって一斉に拍手をしたのです。何十年間も正しいと考えられていた標準理論が、ついに倒れたという歴史的な瞬間だったのです。

     このときに活躍したのが、岐阜県神岡鉱山につくられたスーパーカミオカンデでした。

     地球は太陽から一億五〇〇〇万キロメートル離れているので、光やニュートリノが届くまで八・三分かかります。ニュートリノは核融合がおこなわれている太陽の中心部分からすぐに出てくるので、八・三分後には地球に届くのですが、太陽の中心部分はあまりにも密度が高いため光が表面に出てくるまで数千年かかると考えられています。

     地球は太陽からたくさんの熱をもらっているので、私たちはその恩恵を受けて生活しているわけです。同時に、地球からも宇宙空間に熱を放出しているわけですが、その量が約四〇兆ワットと、太陽からきた熱を放出しただけでは説明できないほど多かったのです。太陽からの熱の放出分は全体の半分ぐらいで、残りの半分はどこからくるのかがわからないままでした。

    重さを考えると、ニュートリノだけ明らかに変わっているので、他の素粒子といっしょの仲間にしていいのかという疑問が浮かんでくるのです。ただ、ニュートリノが重さをもっているということは、標準理論の枠組みで説明できないことが起きていてもおかしくないことを示しています。もしかしたら、ニュートリノがきわだって軽いということは、標準理論を超えた何かを表しているのかもしれないのです。

     ニュートリノは電気がありませんので、反物質でも電気はゼロのままです。それでは、ニュートリノの反物質である反ニュートリノはどのような性質が反対になっているのでしょうか。実は、この謎を解決する実験が既におこなわれています。この実験では、ニュートリノはすべて左巻きだったことを示したのです。いきなり、ニュートリノは左巻きだといわれても、ほとんどの人は何のことだかよくわからないと思います。私は「ニュートリノは左巻き」というフレーズを聞くと、麻丘めぐみさんの「わたしの彼は左きき」という歌を思い出してしまいますが、これはちょっと関係ないですか……。時間の流れを感じますね。ニュートリノの話を進めていきましょう。  ほとんどの素粒子はよく見てみると、コマのようにクルクル回転しています。ですから、ニュートリノもよく見てみると、クルクルと回りながら進んでいるわけです。この回転が進行方向に向かって反時計回りだったら左巻き、時計回りだったら右巻きとなります。

    私は個人的にあまり好きではないのですが、受験のときによく出てくる偏差値がありますね。これは平均が五〇です。そして、一シグマ、標準偏差一となると偏差値が一〇増えて六〇になります。三シグマの場合は偏差値が八〇となります。受験では、偏差値八〇の人はめったにいないわけですが、素粒子の場合は、まだ確実に発見したとはいえないのです。  発見したというためには、確実性を九九・九九九九四パーセントまで高めないといけません。これは五シグマ、偏差値一〇〇にあたります。偏差値一〇〇というのは、一億人の中の四〇人程度です。日本人全員に対して、闇雲に石を投げたときに、特定の四〇人に当たるくらいまちがう可能性が低くなったときに、初めて発見といえるのです。

    ヒッグス粒子が見つかったことは、本当に新しい時代の幕開けだと思います。考えてみると、二〇世紀前半は、電磁気力を使ってどうやって原子ができているのかといったことがわかってきた時代でした。電磁気学を量子電磁気学として完成させたのが日本の朝永振一郎博士です。  その次に、原子の真ん中にある原子核の中身がわかってきました。これは湯川秀樹博士が提唱した中間子論に端を発していますが、最終的にクォーク同士をくっつけている強い力に行きつきました。これは一九三〇年代から八〇年代にかけての仕事で、全部で五〇年くらいの時間を要しています。

    宇宙が膨張しているという事実が明らかになったことで、永遠に変化しない宇宙という考え方はまちがっていたことになりました。宇宙は時間がたつごとに変化していたのです。しかも、膨張しているということは、時間を巻き戻していくと宇宙はどんどん小さくなることを意味しています。このことは、誕生したばかりの頃まで戻っていくと、宇宙はとても小さな点にまでなってしまうことを意味していました。

  • 標準理論の大前提を覆すニュートリノの質量発見の話が面白かった。物理出身でもこの領域は全然よく分かってなかったが、ストーリー立てて理解することができた。数式なく、お話。
    ヒッグス粒子はかおなし…
    もちろん厳密性を犠牲にしているのかもしれないが、この本を手に取る読者層向けに厳密な説明をしても仕方ないので、噛み砕きの粒度がちょうど良いと思う。見えない高次元の例えとかが分かりやすかった。

  • オーディオブックで。
    物質は反物質とペアで生まれ、触れ合うと消滅してエネルギーを生む。初めて知る事だけど、夢があって映画などのエンタメにモチーフとして使われる理由がよくわかる。

    物理が面白くなる本。

  • 宇宙のこと、素粒子のこと、無知だった私でも読めた。
    面白くて最後まで一気読みした。

    ニュートリノ、クォーク、湯川秀樹、カミオカンデ、超ひも理論、ヒッグス粒子
    この本を読まなかったら人に説明できなかった。

  • 大栗先生の『強い力と弱い力』のすぐ後に読んだのがよかったです。宇宙の誕生からインフレーション、ビッグバン、自発的対称性の破れ、ヒッグス場の相転移、素粒子に質量が生じる、という流れがよく分かりました。

  • 真空は真空で何もなくて、電子と陽子と中性子が一番小さいんじやないんですか。授業でそう習った記憶は確かです。
    かなりの人がそう思ってると思うんだけどな。
    素粒子って理解できないけれど、でも世の中の仕組みがちょっとわかった気になります。
    とりあえず地球上では、みんな同じものでできてるんだな感がより強まって、嬉しい気持ちになりました。ちっちゃいものって見えなくてもなんかかわいいですよね(日本人的)。

  • 数式を要さずに、素粒子物理学を理解できる本。
    最新の研究内容に沿っており、非常に面白かった。

    タイトルにある命題について、哲学的な命題ではあるが素粒子物理学の観点から見ると理系人間としてはかなり興味深いと思った。

    これからも一人の理系に関わる人間として、最新の研究内を見守っていきたいと思う。

著者プロフィール

東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)教授、カリフォルニア大学バークレー校Mac Adams冠教授。
1964年東京都生まれ。1991年東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士。東北大学助手などを経て、2007年から2018年10月までKavli IPMUの初代機構長を務めた。専門は素粒子論・宇宙論。『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)はじめ著作多数。メディアを通して研究成果を伝えることにも力を入れる。難解な素粒子論・宇宙論をわかりやすい言葉で語る。

「2020年 『そうたいせいりろん for babies』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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