- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062583350
感想・レビュー・書評
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なんか開いたらすっごい難しそうな感じだった。いつかは読みたいと思ってるよ。
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龍樹が著した方便心論を研究して、ブッダの阿含経典の中からブッダの論理学を取り出した本であるようだ。現代の論理学にも親しみが無いので、なかなかむつかしかった。無我というのが「我がない」だけでなく、「我ではない」という意味もあるという。ブッダは一切を語る者というのは、論理の世界で一切を語ったということか?
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現代論理学の視点から釈尊や龍樹の思想の意義見なおすことがテーマになっている本です。
本書で想定されている論理学は、論理学の初級の授業で習うような標準的な命題論理と述語論理ですが、著者がその意義について明確に理解しているようには思えません。著者は現代論理学は時間をあつかえないといい、それと対比するかたちで時間のなかの因果について語る釈尊の思想を高く評価していますが、それならばプライアーらの提唱する時相論理などとの対照をおこなうべきでしょう。また、論理学は存在論があってはじめて成り立つ学問であるにもかかわらず、現代の論理学は存在論への関心をうしなっていると述べていますが、そうした問題をあつかうのに一階の述語論理をひっくり返してみても仕方がないと思います。
そもそも著者が現代の論理学についてその性格をきちんと理解していないのではないかと思うのは、標準的な論理学の記号には、真理表のなかで著者が「*」の記号で示すようなものが含まれていないことに不満を述べているところに示されています。標準的な論理記号は論理学にとって必然的なものではなく、シェーファーの棒記号があれば十分なのであって、「真理表の穴」と呼ぶほどのことではありません。
ただわたくしが不満に感じるのは、著者の論理学の知識の欠如よりもむしろ、釈尊や龍樹の思想を論じるうえで本書が用いている哲学的な概念があやふやなところです。著者は、釈尊の思想は論理学であり、因果律であり、存在論であり、認識論であるというのですが、これらの概念がそれぞれどのような意味で用いられているのか明確でなく、相互の関係もまったくあいまいなまま議論が進められています。 -
もっと知識をつけてからもう一度読みたい。
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他の仏教関係の本とはちょっと違った角度からの理解を試みる、といった感じ。
正直、私は論理学に関しての知識はまったくないので、途中分からなくなることも多々。。。
しかし、ブッダや龍樹に対する思いが伝わる。
理数系な感じで進んでいくので、文系の私はツライ所もあったが、
ブッダをより身近に感じることができたと思う。
これはこれで、好き。 -
ブッダ論理学? なにそれ。
と思った人が正解。
著者が世界初の提唱者。