フラットランド たくさんの次元のものがたり (講談社選書メチエ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062586535

作品紹介・あらすじ

2次元=平面世界(フラットランド)の住人に、3次元=空間世界(スペースランド)はどう映るのか? 
4次元以上の世界は、どう想像できるのか?
「次元」の本質をとらえた古典的名著、待望の新訳!
アイドゥン・ブユクタシによる3次元の外へ誘う写真シリーズ《フラットランド》 特別収録

感想・レビュー・書評

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  • 大栗博司『重力とは何か』にて言及されていた本で、興味を持ったので拝読。

    2次元世界を中心とした次元考察物語。
    舞台は2次元平面の世界で登場するキャラクター(一応、人という扱い)はすべて図形。
    この世が2次元平面の世界だとしたら人はどのような生活を送ることになるのか(e.g. ”世界”がどのように見え、どのように認識することになるのか)、ということから始まり、一つ下の次元(1次元、つまり直線世界)から2次元世界はどのように映るのか、反対に2次元世界から3次元世界を見ようとするとどうなるのか、という考察に進んでいく。
    3次元世界に住む我々からは比較的容易に想像がつくように説明がなされながら、”4次元世界”がどのようなものなのかをアナロジー的に考えさせるような内容となっている。

    実は我々の住む世界も4次元という上位次元の断面世界になっていて、空間から突然謎の物体が現れたり、反対にこの世からだれか・何かが神隠しにあったように消えたりするのでは?と想像が膨らむ内容であった。

    原著自体は1884年のものであり、この内容がそんな前に作られたのかと思うと考察の深さに感嘆する。
    また、上記のとおり執筆年代が1884年ということもあり、男女の優劣や明確な身分社会をベースとして描かれていたことも新鮮味があった(そういったことを捨象してもっと次元のことにフォーカスした内容になっていてもいいかな、とは思ったが)。

  • フラットランドの二次元人が一次元のラインランドを思考し、三次元のスペースランドを垣間見たお話。
    二次元世界なんて想像したこともなかったが、そこで見られる世界の様子は確かに納得感がある。
    一次元は更に難解ではあった。
    二次元人がひょんなことから三次元世界に踏み込んだ途端、自分の世界の真理を悟り更に奥に潜む世界に想像を巡らす。
    三次元人間の自分は四次元世界を想像することは出来ないが、理解することは出来る。
    別の本だが三次元人間の消化器官は口から1本でつながっているが、二次元人間でその構造は身体を二つに分断してしまうため機能しないことを思い出した。

  • 『科学道100冊』の1冊。

    原著の発刊は古く、1884年、ヴィクトリア朝時代である。
    ちょっと変わったお話で、主人公は二次元世界に住む正方形である。
    「えっと、二次元世界ってなんだ?」というところから話を始めなければならないが、タイトルにもなっている通り、フラットランド、つまり、すべてのものが平面上に存在するのが二次元世界。縦と横の世界である。
    我々が普段暮らしているのはこれに高さが加わった三次元の世界、スペースランド(空間世界)である。
    一方、次元を下げていくと一次元の世界となり、つまりは線の世界、ラインランド。さらに次元を下げてゼロ次元の世界となると、点だけの世界、ポイントランドとなる。
    もしも三次元でない世界にヒト(いやヒトなのかはよくわからないが)が住んでいたとしたら、どんなふうに暮らしているのかという、ある種、ファンタジックというかSFというか、そんなテイストのお話である。
    訳者はまえがきで、昨今流行りの哲学や数学や科学を物語仕立てで読ませる作品群のさきがけと言っているが、なるほどそんな風にも捉えられそうである。

    物語の前半は、二次元世界の正方形が自分の暮らしを語る体裁である。
    この世界では多角形になればなるほど身分が高く、最高位の聖職者は円である。鋭角を持つものやいびつなものは蔑まれていて、人々はなるべく多角形に近づけるように、結婚相手を考えたりするなど(?)で、子孫の角を増やそうとしている。正方形氏の息子も首尾よく五角形となっている。
    皆が皆、平面世界に暮らしていたら、誰が何角形なのか、なかなかわからなそうなものだが、声の高さで知ったり、触って確かめたり、視覚的に判断したりする。
    他人に触る場合には礼儀があって、どうやって触ってもよいというものではない。うかつに角で刺してしまったりすれば、相手が傷ついたり死んだりしてしまう。
    視覚の場合は、繊細かつ複雑な判断が必要になる。例えば六角形を真横から見た場合、中央に均一に見える部分があり、両側は比較的短く暗めに見えるといった具合。
    兵士はもちろん尖っており、二等辺三角形で身分が低い(同じ三角形でも正三角形の方が身分が高い)。
    女性は線であり、身分も低いが、まぁこのあたりは時代だろうか。
    その他、家の構造や気候などが語られる。

    この正方形氏があるとき、一次元世界や三次元世界と出会う。
    さて、彼にはどのように見えるのか、というのが後半である。

    物語的に非常におもしろいかと言われると、そうではないのだが(身分や階級の話が多くてげんなりするし)、この時代に「次元」について深く考えていることの先見性には驚かされる。
    この本に触発されて物理や数学の道に進んだ人も多いのだそうで、そういう意味ではランドマーク的な作品なのだろう。
    発刊当初はさして評価はされなかったのだが、アインシュタインの相対性理論が発表されて、四次元の可能性について多くの人が考察するようになってから脚光を浴びるようになったという。
    それもそのはず、物語の終盤で、正方形氏はなんと、自らの世界を俯瞰するかのような三次元世界を知った際、その三次元世界をも俯瞰するさらなる次元(ソートランド(思考世界))もぼんやりとだが思い浮かべているのだ。もっともその代償は大きくて、これに関する論文を書き上げた正方形氏は、誰にも理解されないばかりか、「危険思想」を持つものとして投獄されてしまう(!)のだが。

    著者のアボットは、神学者の家に生まれ、26歳で学校長を務めるほどの秀才だった。数学や古典にも精通していた人物だったとのこと。

    巻末には本作に想起されたという写真家による、次元を超えた世界をイメージする作品群である。表紙もその1枚。

  • 2次元世界の生活とそこから見た他次元を書いた本
    各次元の捉え方が面白い。

    n角形の役割の話は冗長な気もするけど、当時の生活の風刺になっているからこういうものと考えるしかない。
    n次元から見たn-1、n+1次元の描写がわかりやすい
    とはいえ3次元世界の自分に4次元を考えるのは難しかった

  • 次元とは不思議なものだ。三次元の世界が当然だと思っているが、世界は多次元、10次元だという考えもあると言う。
    でも、どんなに想像してみても、四次元がどのようなものか頭に描くことすらできない。
    本書では二次元から一次元を訪ねたり、三次元から二次元を訪ねたりすることで、次元の成り立ちを垣間見せてくれる。
    また、低位の次元に住む者が、夜郎自大にように自らを理解し、視野を広げることができない滑稽さを描くことで、自己充足、自己満足に陥ることの愚かさを教えてくれる。
    このような本が100年以上も前に書かれたとは驚いた。

  • 30年前、高校生だった頃に読んだ本(正確にはこの本そのものではなく、そのアイデアを紹介する読み物)の再読。当時、「その次元では見えないはずのものを、より高次の次元から見るがごとくメタ的に認識していることの不思議さ」に心を奪われたのを覚えている。今はその新鮮さを同じように味わうことはできなくなってしまったが、次元のもつ普遍的な不思議さについては十分追体験することができた。

  • "こんな国では、いわゆる「立体」が存在しないことには、すぐに気づくだろう。(中略)三角形や四角形やその他の図形を見分けることぐらいできるはず。そう思うだろう?ところが違うんだ。そんなもの見えるどころか、ひとつの形と別の形を区別することすらできない。見えるのは直線だけ。"

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    (以下、長くメンドくさいですが、要するに超オススメです)

    1次元、線。
    2次元、平面。
    3次元、立体。
    4次元、、、、

    我々は何次元に生きているのか?というのは中々に面白い問題です。宇宙兄弟にもでてきた野口宇宙飛行士の「3次元アリ」の話とも遠からず。メタに考えることの難しさと面白さが物語仕立てで楽しめます。

    ノーラン監督の「インセプション」では高次元や現実の多層構造を映像や物語で、同監督の映画「インターステラー」では、高次元空間を映像として、表現していました。またアニメ「インサイドヘッド」では、ゴミ処理炉(?)でどんどん次元が下がっていき最後は線になりかける、というシーンも。

    (高/多)次元を言語で表現するのはかなり難しいため、映像表現自体で説明(解釈)させることはすごい。でも、それ以上に言語表現(と少しの平面図解)だけで、(高/多)次元を表現してる本書はすごい。

    多次元を生き抜くために大切なのは、
    ・自分の生きている世界は、自分が考えているよりも高/多次元である可能性があると認識すること。
    ・言語や視覚だけではなく五感をフル活用して、その世界を捉えるよう働きかけること
    ・そして、自分の生きている世界よりも高/多次元な世界が存在する可能性があると認識すること

  • 202312
    1988年に書かれたとは驚きである

  • 2次元の世界の住人からの目を通し、一つ次元の低い1次元、一つ次元の高い3次元はどう見えるのかを描いた物語。
    1884年に出版された本。
    自分のいる次元より高い次元の世界を想像することの難しさ、自分のいる次元より低い次元を俯瞰的に見ることの容易さが、2次元世界の住人の目を通して実感できて面白い。
    私たちが図(2次元)を理解しやすいのは1次元である言語よりも次元が高く俯瞰できるからと考えられる。
    そうであれば3次元で表現する方がもっと良いかといえば、自分たちの世界と次元が同じなので俯瞰できないため理解が難しくなるのではと考える。

  • 次元をわかりやすい物語で想像できた。

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