リトル・バイ・リトル (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062752954

作品紹介・あらすじ

ふみは高校を卒業してから、アルバイトをして過ごす日々。家族は、母、小学校二年生の異父妹の女三人。習字の先生の柳さん、母に紹介されたボーイフレンドの周、二番目の父-。「家族」を軸にした人々とのふれあいのなかで、わずかずつ輪郭を帯びてゆく青春を描いた、第二十五回野間文芸新人賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 何か特別なことが起こるわけではない日常。それだけ考えると、一見つまらなくも感じられますが、おそらく私も、そしてあなたもみんな、日常とはそのように特に何か起こるわけでもなく、朝が来て、夜になるその繰り返しなのだと思います。でも、そんな言わば平凡な日常の中でも日々少しずつ何かが変わっていっていることに気づきます。芽が出て、双葉が出て、茎が伸びて、やがて蕾が、そして花が咲く、一日一日の変化は少なくても、例えば身近な花だってそんな風にゆっくりと時間をかけて成長していきます。これは私たち人間だって同じことだと思います。少しづつ関係を深めていく人間関係。昨日よりも今日のほうが、そして明日になればまた、というように人と人との繋がりにも少しづつ変化が訪れていきます。そんな人と人との関係が少しずつ近づいていく、その中に幸せを感じてゆく物語。これは島本理生さんが綴る少しずつ、少しずつ前へと進んでいく橘ふみが主人公の物語です。

    『最終の電車で彼女は帰ってきた』というそのとき『私はベッドで童話を読みながら妹のユウちゃんを寝かしつけていた』のは主人公の橘ふみ。『深夜だというのに勢いよくドアを開ける、トイレへと駆け込む忙しない足音』に『せっかく眠りかけていたユウちゃんが跳び起きてベッドを抜け出し』という事態。『お母さん、この帰宅時間はなに?』と問う ふみに『アルコールの臭いを全身から漂わせた彼女』は『ふみちゃん。今から手品を見せます』と ふみの問いかけを全く無視して、ポケットから『チョコレート。ジッポライター。灰皿に筆ペン。五百円玉。変な亀の置物。治療院の顧客リスト』と次々に取り出す母。『ものすごく酔ってるのは分かったけど、どこから盗んできたの?』と問う ふみに『盗んできたんじゃないの。記念にもらってきたの。職場が潰れちゃった記念』と返す酔った母。…というような家族の話をする ふみに『そりゃあ大変だねえ』と柳さんにも言われて『そうみたいですね』と他人事のように返す ふみ。『私が一年前から通っている習字教室の先生』という柳さんに週に一度習字を教わっている ふみ。『家のほうは大丈夫なのかい?』と心配してくれる柳さんに『とりあえず私も卒業しましたし、母も今、必死で新しい仕事を探しているので。二人で稼げばなんとかなると思います』と答える ふみ。家に帰ると、『テレビの前でパンダのぬいぐるみにバスタオルを巻き付けてい』た ゆうちゃんは『おねえちゃん、なんで帰ってくるのがこんなに早いの?』と問いかけます。『おねえちゃんはもう高校を卒業したからだよ』と答える ふみに『おねえちゃんばっかりずるい。ユウちゃんも学校を卒業したい』と言い出しました。そこに『ユウちゃんは二年生だから小学校はまだまだ卒業できないよ』と突然割り込む母。『高校や中学は三年だけど、小学校は六年かかるの。もし三年で卒業だと、子供はすぐに大きくなるから二回も卒業式のための高い服を買わなくちゃいけないでしょう』と『間違った知識を教え込みながら』買い物袋を手に部屋へ入ってきた母。『お母さん、またそんなこと教えて』と『間違った知識を教え込』む母に苦言を呈す ふみ。『母と父親違いの妹の三人で暮らしている』という家族三人のささやかな日常がゆっくりとした時間の中で描かれていきます。

    『まだ高校に通っていた頃、夕焼けに染まった川沿いの道を自転車で走っていたとき、ふいに家族の話を書こうと思いついた』という高校生の島本さんが同年代の高校卒業後浪人中という主人公・橘ふみの家族を描いたこの作品。芥川賞の候補作となったこともあり、キラリと光る表現があちこちに登場します。まずは他の作家の作品を話題に出すこの箇所を少し。母と離婚した父親と毎年一度再開する約束をしていた ふみ。中学一年の再開の機会に結局現れなかった父を待つ ふみ。『待つことが得意だった私は二時間以上も彼を待っていた』という、そんな ふみの気持ちを島本さんはこのように表現します。『三島由紀夫の「班女」の花子みたいに待つこと自体が意味を持ってしまいそうなほど待ったけれど、結局、彼は来なかった』というまさかの三島由紀夫の登場。「班女」?、読書若葉マークの私は全く知らない作品です。読書を中断して調べてみると、それは”世阿弥作”と考えられる能の一つという「班女」、それをベースにしたのがこの三島由紀夫の作品だと知りました。”戻ってくるのが叶わない男を待つ女、その中でついに狂ってしまった女は、迎えに来た男を認識できなくなってしまっていたという”狂気の世界の物語。その作品の強烈な”待たされ感”を引用するこの表現は、分かる人には分かるというかなり高度な表現だと思います。一方でいきなり登場するその表現に少し唐突感を感じないわけではありませんが、これを高校生の島本さんが描いたという事実の凄さをとても感じる興味深い表現でした。そして、もう一点。飼っていたモルモットの死に際し、その死体を目の前にした ふみが抱く感情の表現がこんな風に登場します。いきなり体言止めで『もう生きてはいないもの』と始める ふみ。それを『よく考えると、すごく奇妙だと思った』という ふみは『お葬式で柩に横たわった親戚のおじさんを見たときに感じた違和感』と同じだと考えます。『人だったのに、もう人ではない。生き物だったのに、もう生き物ではない』というその死体。『すっかり熱を失った体は脱皮したセミが残した抜け殻のようだった』とまとめるこの一連の表現は、どこか詩的な雰囲気も感じさせる一方で、素朴な内面の描写の中に、その後に描かれていく ふみという女性の性格をも決定付けていく、とても重要な場面の一つになっているとも感じました。

    次に、この作品の書名について考えてみたいと思います。「リトル・バイ・リトル」には”little by little=少しづつ、だんだんと”という意味合いがあります。この作品では上記で触れた作品冒頭を含め、ただただ、橘家の親子三人の日常が淡々と描かれていきます。私のレビューでは、作品の雰囲気感を、読んでくださる方と共有させていただきたいという思いから、さてさて流でその冒頭を紹介しています。その最後の部分は、作品中の最初の山場に至る直前とすることが多いのですが、この作品はその線引きがとても難しいと感じました。山もなければ谷もない、そこにあるのはただただ何も起こらない平凡な日常だけというその内容は、読む人によっては退屈、何を言いたいのかわからない、そのような感想を抱く方もいるでしょう。ただ冷静に考えてみれば私たちの日常だって同じだと思います。一昨日、昨日、そして今日、と振り返ってみて、あなたには他の人に話ができるような出来事はあったでしょうか?たまたま何か事件に遭遇したような人以外は、基本的にはごく普通の日常がそこには続いていただけだと思います。しかし、そんな平凡な日常を生きている私たちは、一昨日、昨日、そして今日と全く同じ自分なのでしょうか?人はコミュニケーションを繰り返しながら生きています。毎日、あの人、この人と出会い、色んな話をして、それが結果的に自身にも何かしら、もしくは結果的に影響を与えていく部分もあると思います。『人と人が一緒にいてお互いに楽しく生きようと思うことで、十分に幸せになれること。それが少しでも伝わったなら嬉しい』と語る島本さん。そんな島本さんの思いそのままに、何も起こらない日常の中に、主人公・ふみの微笑ましいとも言える小さな幸せが少しづつ繋がっていく日常が描かれていくこの作品は、読者に素朴な味わいを残す物語だと思いました。

    “ハレの日”と”ケの日”。”ハレの日”というものにワクワク感を抱き、それを待望する気持ちが私たちの中にはあります。しかしそのような感情は、圧倒的大半の”ケの日”=普通の日常が続いていてこそ、生まれるものだとも思います。そんな普通の日常の中で、私たちは日々、様々な人と関わり、結びつきあって生きています。昨日よりも今日のほうが、そして明日になればまた、と少しづつ相手の知らなかった側面を知ることになり、その中で関係も深まっていくのだと思います。そう、”少しづつ”、”だんだんと”、という、その小さな変化に焦点を当てたこの作品。ただただ描かれる何も起こらない日常、そして読み終わってわき起こる温かい感情の不思議を感じる物語。ささやかな日常の幸せをしっとりと感じた、そんな作品でした。

  • この人の文章は好きだな、と思った。大げさじゃないことばの中に、大切なものが詰まっているような。

    思い出してまた読みたくなる1冊。

  • 派手さはないけど、穏やかな日常が心地よい。主人公ふみの家庭は母はバツ2、父親の違う妹ユウちゃんと複雑な環境だ。ふみはバイトで働きながらも、会えない父への想いや、自分の悩みを他人に打ち明けられない苦悩が印象に残った。あと、脇の登場人物の言うことも深い。書道教室の柳先生が言った「どんな言葉にも言ってしまうと魂が宿るんだよ」の心得を頭の片隅に置いておきたいな。

  • 透明感のある世界。
    整骨院で働く母、父親違いの妹、そして高校卒業後アルバイトをして暮らすふみ。女3人家族の日常と習字の先生やキックボクシングをするボーイフレンドたちとのふれあい。

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    なんとなく銀色夏生さんの世界感に似てる。大学のとき、この小説を読んだほうがいいと言ってくれた友人は銀色さんも薦めてくれていた。

    いい雰囲気で描かれているけど、現実のいやな部分もチクチク入ってくる。

    男女平等の現代にこんなこと言うと怒られるかもしれないけど、こういうところは女性の感性だな、と思う。すごい。男性にはマネできない雰囲気。
    ノーガードのところをえぐるような言葉の回し。それを透明な感じのなかでやるから全然いやらしくない。素敵。

    怖いときは怖いって毎回言えばいいじゃないですか、と、ふみに向かって周くんが言うシーン。
    BUMP OF CHICKENのメロディーフラッグみたいで、すごくよかった。

  • 島本理生を読み始めるときは、いつも深呼吸する。
    いつどこで自分の思い出が溢れ出てくるかわからないから。
    彼女の作品には、ひとのくすぐったい記憶を誘い出す力がある。

  • 好きな人と自転車で、どんだけ遠くまで行ったのか知らないけれど、歩いて帰ってくることにちょっと怯えるほどの距離を行って、ロマンスの後、警官に職務質問をされて、そそくさと帰ろうとしたら自転車が盗まれていて、ひえーと思いながらも、まあいっかと歩く。
    スタンダードだけど、一生記憶に残る思い出。そういう場面をラストに持ってきて、さらっと終わる。一言で言ったら、まあ、そういう小説ですね。

  • 干し葡萄入りのバターライスでカレー食べてみたい

  • あらすじ
    ふみは高校を卒業してから、アルバイトをして過ごす日々。家族は、母、小学校二年生の異父妹の女三人。習字の先生の柳さん、母に紹介されたボーイフレンドの周、二番目の父―。「家族」を軸にした人々とのふれあいのなかで、わずかずつ輪郭を帯びてゆく青春を描いた、第二十五回野間文芸新人賞受賞作。



    感想
    大好きな作家、島本理生さんが二十歳の時に執筆した作品。現役で今執筆されている文体や情景描写の土台が垣間見れました。
    また、主人公のふみにとって何気ない日常でも、他者から見ればとても苦しい窮屈な日常に映るだろう感じました。
    その中でも、恋をしたり、母親との距離感を模索しながらふみが成長していくさまがたんたんと綴られていて読みやすかったです。

  • ふみさんの性格をよく知るには短い物語だった。
    あとがきで作者が書いている通りの『外側から見たら不幸そうでも、心通う人達と過ごせれば楽しく生きていられるという楽しい作品』というのは伝わった。
    登場人物は皆魅力的だったのでもう少し長い作品でこの人達をもっと知りたいと思った。

  • 悲劇のヒロイン的ふるまいをするわけでもなく、淡々と毎日を生きてくふみさんがすごく好きだなあとおもった

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著者プロフィール

1983年東京都生まれ。2001年「シルエット」で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。03年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞を受賞。15年『Red』で第21回島清恋愛文学賞を受賞。18年『ファーストラヴ』で第159回直木賞を受賞。その他の著書に『ナラタージュ』『アンダスタンド・メイビー』『七緒のために』『よだかの片想い』『2020年の恋人たち』『星のように離れて雨のように散った』など多数。

「2022年 『夜はおしまい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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