- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062774413
作品紹介・あらすじ
第44回(2010年) 吉川英治文学賞受賞
あいつの人生が終わり、僕たちの長い旅が始まった。人気作家が大きな覚悟をもって書き下ろした、最高傑作!
感想・レビュー・書評
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重いんだけど、泣けるわけでもないのだけど、じんわり心にくる1冊。
自殺したクラスメイトの両親と、遺書に書かれた親友ではない親友とのやりとり。
人の死ってやっぱり重い。
親御さんの気持ちも、主人公の気持ちもよくわかる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
クラスでいじめが起こり、級友が死んだ。主人公はいじめを静観していたのに彼の遺書には親友として主人公の名前が残されていた。主人公はこの事件を背負い大人になっていく。いじめとその後を描いた物語。
自分だったらどうしたかな、と何度も読みながら考えた。決して綺麗事ではなく、でも人間の優しい部分も見えるお話。自殺は多くの人を巻き込み、思い悩ませ、束縛するものだと感じた。 -
いじめを苦に自殺した同級生のフジシュン。"勝手に"親友になっていた僕と、いじめた奴ら、誕生日だった彼女。なぜフジシュンは最期にこの4人を選んだのか。
なにがどうなっていたらフジシュンは救われたのか、未だによく分からない。誰かが一言、「やりすぎだよ」「やめてやれよ」と声を掛けていればいじめはなくなったのだろうか。それとも止めに入った人が今度はターゲットになるのだろうか。将又、一緒にいじめられてしまうのだろうか。見て見ぬふりは自己防衛本能もあるだろう。野次馬精神も、あるだろう。フジシュンが死を選ぶことを分かっていたら、止めに入ったかもしれない。でももうそんなことを思っても、遅い。フジシュンは死んだのだ。それがどれだけ辛く重く、切なく悲しいことか、私は本当に分かっているのか。分かっている"つもり"なのではないか。いじめる側に立たないように、いじめられる側に立たないように、ただただ傍観していることのないように、いられるのか分からなくて怖い。本を読んだからといって綺麗事では済まされないものなのだ。ただいじめがなかったらフジシュンは自ら命を絶とうとは思わなかったのではないかとは安易に考えられる。なぜ、いじめは無くならないのだろう。
親は子供の言う学校、友達を信じるしかない。この目で見れないから、自分の子供を信じるしかない。うん、そうかそうか。だから毎日しつこいぐらい「今日は学校どうだった?楽しかった?誰と遊んだの?」なんて聞く。子供が嘘をついてることだってあるのに、それを聞くしかできない。自分の子供は幸せにすくすく育ってると思うしかないのだ。誰だって親に嘘をついたことくらいあるだろう。喧嘩してもちょっと転んだだけ、仲間外れにされても今日も友達と遊んだよ、小さい嘘なはずなのに親にとってはそうじゃないんだと思い知らされた。私は自分に子供が出来たら、子供の言うことをちゃんと信じてちゃんと疑ってやれるだろうか。自信は、ない。フジシュンは毎日楽しいよって言ってたのかな。
ゆるしてほしい、ゆるしたくない、ゆるせるわけがない。ゆるしてもらえなくていい。苦しいなぁ。だって答えなんか出ないじゃないか。正解なんてないじゃないか。
彼らの背負っている十字架を、私たちは絶対に忘れてはいけない。
最初から最後まで、ため息をつく間もほっと息抜く間さえも与えてもらえなかった。重すぎる。けど、歳を重ねても何度も読んで何度も大切な本だと思いたい。そして自分の子供の本棚にそっと置いておきたい。
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大人になった今ならば、あらゆる可能性を示してあげることも出来る。
そこから逃げ出してもいいのだと、教えてあげることも出来る。
この先の人生の方が長いのだから。
世界はもっと広いのだから。
つらいことから逃げるな。
立ち向かえ。
声をあげろ。
耐えろ。
と、端から言うのは容易い。
自分だったら何が出来たか?
巻き添えになることや、進学に響くこと、親に知られてしまうことを恐れて、やっぱり何も出来ないかもしれない。
その後重たい十字架を背負うことを知らずに。
忘れ去られることが出来るならば、少しは楽に生きられるのかもしれない。
でももし将来自分の子供が同じ目に遭ったなら?
親となった自分は何と声をかけてあげられるだろうか?
自分は何も出来ず見殺しにした。
見て見ぬふりをした。
忘れて過ごした。
それなのに、自分の子供に何て声をかけられるだろう。
過去の報いとして受け入れられるだろうか?
「あの時何もしなかった自分」と、その時向き合えるだろうか? -
罪を忘れずに背負っていく事とはどんな事なのかを教えてくれる本。でも人は生きていれば忘れてしまう時もあって、そうでなければ生きていけない。けれども忘れてしまう事も出来ない、そうして生きていく事も出来ない。憎まれるのも憎む事もずっと続けるのは辛い。
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2021/12/14
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2021/12/19
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四季子さん
コメントありがとうございます♪四季子さんの本棚すてきなので、時々遊びに行きますね♪四季子さん
コメントありがとうございます♪四季子さんの本棚すてきなので、時々遊びに行きますね♪2021/12/19
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いつの間にか、涙がこぼれていた。。。
帯に書いてありましたが、本当にいつの間にか…でした。。。
いつものことながら、重松さんの小説は1ページ目から入り込んでしまいます。
そして、まるで私もそこにいるかのように、そこで出来事を見て、話を聞いているような感覚になります。
今回のストーリーは、いじめを苦に自殺したフジシュン、子を亡くした親と弟の苦しみ悲しみ、親友と書かれた同級生ユウ、告白され大好きでしたと書かれたサユ、いじめをして名前を書かれた三島と根本…が、背負い背負わされた十字架。
この事件を記事にする記者の人たち…中学生でも容赦しない勢い。
ユウがフジシュンの死から20年にわたっての苦悩と葛藤、遺族とサユとの関わり、気持ちの変化を語っています。
もちろんいじめが1番酷い。でも、名前を書くなんて!とか、記者の人もそこまでする? 遺された親の怒りと悲しみ、逆にユウ側の親の気持ち、みんな自分の子がかわいいし、護りたい。
自殺当日に、告白されたサユの気持ち。
どこをどう切り取っても、逃げられない苦しみ。
どこをどう折り合いつけようとしても、解決しない。
いじめをした三島と根本、そして、名前を書かれなかった堺が、1番悪いと矛先を向けても、その後の顛末にも胸が痛む。
辛すぎる。
自ら死んじゃうのはだめだよ。。。
でも、私がクラスメイトだったら、助けてあげた?
やっぱり、見て見ぬふり…というか、見なかったこと、知らなかったことにしちゃうんじゃないだろうかと思うと、また苦しくなる。
ああ。フジシュンは、命をかけてみんなに伝えたかったのかな。。。
時間が経てば忘れられてしまう。時間が経てば傷も癒やされる。
いや、時間が経てばわかってもらえる!これかな?
でも、やっぱり死んじゃうのはだめだよ。
世の中、ニュースを見てるとこうやって自殺や事故、事件で家族を失って苦しまれている遺族が毎日毎日増えているんだよね。
私がこぼれていた涙は、同情とか、可哀想とか悲しいとかそういう涙とは違った。
いたたまれなくて、どうしようもなくて、苦しくてそして、願いのような祈りのような…。
読み終わってしばらくは、いのちの重さを思い知らされたような、疲労感さえ感じています。
こんな悲劇がこれ以上起こりませんように。。。
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いじめを苦に自殺した中学生と、遺された者の物語。
遺書に名前を記されていたのは、いじめの主犯格2人と想いを寄せていた女の子、そして"親友"である主人公の真田裕の4人だった。裕は思った。一方的に親友にされた挙句、十字架を背負わされた、と。
十字架を"背負わされた"から"背負う"まで意識が変わるには、どれだけの苦悩があっただろう。
いじめは無くなることがなく、今でもニュースになる。
遺された者がどれだけの十字架を背負って生きていくのか、想像力をはたらかせてほしい。親になった今だからこそそう思う。
「親は、学校で起きたことをこの目で見るわけにはいかないんだよ。だから信じるしかないんだ。ウチの子は元気でやってる、毎日を幸せに過ごしてる……。だから親はみんな子どもに訊くんだ。学校どうだ?毎日楽しいか?って」
「心配するのは、親の仕事だ。子どもを信じるのも親の仕事だ。だったら、子どもが、学校は毎日楽しいよ、って言ったら信じるしかないだろ」
「人間って、死にたくなるほどつらい目に遭ったときに絶望するのかな。それとも、死にたくなるほどつらい目に遭って、それを誰にも助けてもらえないときに、絶望するのかな」