昭和天皇と戦争の世紀 (天皇の歴史)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (430ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062807388

作品紹介・あらすじ

二十世紀幕開け、明治天皇の初皇孫として誕生した迪宮裕仁。生涯に三度焦土に立つことになる近代立憲制下の天皇は、激動の時代にあっていかなる役割を担うことになったのか。伊藤博文が制度化に尽力した君主の無答責性は、大正デモクラシーや軍の政治化により変容を迫られる。動揺する国際情勢のなか七千万同胞の中心として歴史の「動力」となった昭和天皇と時代の特質を究明する。

感想・レビュー・書評

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  • 皇太子は欧州訪問でヴェルダン激戦地の惨状に近代兵器の破壊力を思い知る、帰国してすぐ摂政宮に/“君主無答責”の原則は、第一次世界大戦処理で破られ、戦勝国はウィルヘルムⅡ世身柄をたびたび要求したが、亡命先オランダは拒否/37Sep第二次上海事変は数日で1万近い戦死者。中国側も空爆が第三国に被害を与えアメリカが不干渉を決める誤算。宣戦布告すると自国船しか軍需物輸入に使えない/同Dec南京アトロシティーには緘黙。/翌1月、蒋介石は講和を考えていたが「相手にせず」宣言でやむを得ず強硬化と日記(閲覧は研究者のみ)の分析。大虐殺があったとすれば蒋介石の知った時点で日記に記述があるのではないか。「証拠写真」の全ては転用など捏造と分析されている。

  • 今までにこの時代を取り上げた数多くの歴史書を読んできたが、その視点や切り口、詳細さや語り口、価値観や先人の研究成果の活用など、本書は全てにわたり秀逸のひと言である。
    実におもしろく、なぜ昭和の日本があんな愚かな選択に踏み込んでいったのか、多くの知見を得ることができた。
    思うのだが、やはり日本は明治初期に西洋的な政治システムを日本的にアレンジしつつ導入した無理が、その後呪縛として付きまとっているのではないだろうか。戦前昭和期のみならず現在までも。
    そのような感想を本書読後に抱き、ますますこの時代への興味が高まった。

    2016年12月読了。

  • 天皇の歴史シリーズの第8弾。昭和天皇に焦点を当て、大正・昭和期の歴史、特に、日中戦争、太平洋戦争に至る歴史を丹念に描いている。最新の近代史学の研究成果をふんだんに取り込み、客観的で信頼に足る歴史叙述となっている。
    昭和天皇が国際協調主義者で、戦争を不本意なものと考えていたことは事実だろう。また、法的、制度的に明治憲法下では君主無答責であったこともよく理解できる(ただし、昭和戦前期に君主無答責を定めた明治憲法第3条の規定の理解は変質していくが)。しかし、本書で指摘されるように、昭和天皇は昭和戦前期において政治的人間(=歴史の動力となるもの)であった。その意味での戦争責任はやはりあるのだろうと思う。
    本書では、これまで知らなかったような興味深いエピソードがいろいろ紹介されていた。例えば、原敬の「宮中非政治化構想」や、不戦条約批准に対する批判、血盟団事件の「精神的方面」を過大に評価する判決とそれに対する国民の支持、天皇機関説問題の本質、石田政子の率直な手紙、高松宮の天皇への批判などである。日中戦争や太平洋戦争を考えるうえで、本書は必読であろう。

  • 天皇の無答責とか、君主の政治の関わり方とか、それなりに面白く読めました。
    が、太平洋戦争などの周辺事情の説明がたっぷりございまして、このあたりは興味の度合いにちょっと差が出ました。

    天皇親政を標榜する皇道派の幹部が一番天皇のことを蔑ろにしていた様は、愛国心や行きすぎた自己主張をしない公共心を要求する輩とかぶって見えました。
    この構造は参考になったような気がします。

  • 明治以降、皇室と軍の2つは、帝国議会・そして内閣の外に置かれた政治空間であった。
    伊藤博文には確固たる構想があった。皇室は「人心帰一の機軸」であり、明治憲法によって天皇は政治的人間たることを禁じられていた。すなわち、天皇大権は全て助言者による補佐を受け、結果責任は助言者が負うことで、君主の無答責の運用が図られた。
    山縣有朋、原敬も伊藤の系譜をうけ、大正デモクラシー・政党政治の流れの中でも宮中の非政治化を実施、成功した、かに見えたが、彼らの死によって頓挫する。
    牧野伸顕ら宮中のグループは、宮中と国民の一体感を増進させ、影響力を増大させたが、同じく台頭した軍部の急進勢力をコントロールできなかった。
    天皇機関説の排撃派は、天皇の絶対性を強調することで、皮肉にも天皇の「無答責」性を剥奪する事態をひきおこした。排撃派は、天皇の聖旨を表現したものとしての詔書、勅書、勅語を、憲法を超越するものとして位置づけた。勅語等は、教育・軍事という分野に集中しており、教育・軍事の分野に憲法体系とは異なる意思決定空間がうまれてしまった。こうして天皇機関説事件によって、天皇の「無答責」性を確保する理論的支柱は崩壊した。
    崩壊以降、天皇は、勅書に、自らの国際協調的な外交観を埋め込むこもうと全力を注ぐことになる。

  • うーん。今までは「天皇は多分リベラルな考えの持ち主だし、現在の象徴天皇制でいいか」と思ってたけど、この本を読むと天皇制自体、存在することによって、また誰かに「利用」されて、過去と同じ道を歩むんじゃないかと心配になって来た。。

    折しも昨日、自民党から憲法改正草案が出て、その中に「天皇は元首」になってるし、そうなったら天皇の意志がどうであれ、また同じように利用されるだろう。そう、天皇の意志などあってなきがごとしなのだ。それがこの本にはよく示されている。

    そしたら、天皇制なんてただ害悪なだけじゃん、と思えてきたんだよね。

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著者プロフィール

東京大学大学院人文社会系研究科教授

「2023年 『「戦前歴史学」のアリーナ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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