モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880961

作品紹介・あらすじ

クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.551)。
 誰から頼まれたわけでもないのに一作曲家の作品を調べ上げて分類し、番号を振る──。考えてみれば酔狂なことです。ケッヘルとはいったいどのような人物であり、どうしてこんな作業にとりかかったのでしょうか?
ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルは1800年にオーストリア、ニーダーエスターライヒ州のシュタインという町で生まれました。彼はウィーンで法律を学び、やがてカール大公(オーストリア皇帝フランツ1世の弟)の4人の子どもたちの家庭教師となり、じゅうぶんな財政的な基盤を確立することができました。
ハプスブルク帝国はナポレオンに完膚なきまでに痛めつけられ、その後も人びとはメッテルニヒ体制の強権政治の下で生きることになります。軍事的に敗北した老大国の矜持はおのずと文化に向かいます。こうして「発見」されたのが、陋巷に窮死したといってもよいはずのモーツァルトだったのです。ザルツブルクに生まれ、ウィーンやプラハで活躍した彼を顕彰することは、オーストリアの文化的優越性を示すことにもなります。
しかし、モーツァルトの未亡人コンスタンツェや少数の友人たちが残された作品を分類はしてはいたものの、楽譜も散逸しており、どれが正真正銘のモーツァルトの作品であるかはハッキリしなくなっていました。
ケッヘルはこつこつとモーツァルトの真作を考証、626作品とし、それを時系列的に配列した作品リストを出版しました(K.626が彼の死によって未完に終わったレクイエム)。これこそがケッヘル目録と言われるものです。1862年のことでした。
なお、のちの研究によって作品の成立時期が見直されたり、作品が新しく発見されたりしています。どんなに批判にさらされようと、後世の私たちはこの人物の実に地味な作業が造り出した枠組みから逃れられることはできないのであり、その意味でケッヘルこそはモーツァルトを「造った」男と言っていいのです。
1877年に死んだケッヘルの人生を通じて大作曲家が「再発見」されていく風変わりなドラマと、ウィーン、ハプスブルク帝国の諸相を描きだします。

感想・レビュー・書評

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  • 史上初のモーツァルト作品目録を完成させたケッヘルという「凡庸」の人を主人公に、ステレオタイプに陥りがちなモーツァルト像、ヨーロッパ近代などを紐解く。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40144817

  • 誰もが知る著名な作曲家・モーツァルトですが、彼の作品を今日の私たちが楽しむことができるのは、ルートヴィヒ・ケッヘルという人物のおかげかもしれません。
    ケッヘルはモーツァルトによる全ての作品を整理・分類し、作品目録を作成した人物です。
    モーツァルトの曲には必ず「K」や「KV」という記号が付いていますが、(例えば「きらきら星変奏曲」はK.265)、これをケッヘル番号といいます。
    本書は、今は忘れられたケッヘルの功績を、伝記的にひも解く1冊です。
    巻末には作品目録もついているので、1曲選んで聞いてみるのも楽しそうですね♪

    ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00173036

  • 「…昔はモーツァルトのケッヘル番号を全てそらんじていたものだけど…」
    『ある愛の詩』の主人公ジェニファーが死を目前にしてふと漏らした言葉。「ケッヘル」という名前を初めて知ったのはこのシーンを見たときだったと思う。

    3大Bとはよく言われる言葉だけれど、実際クラシックで最も良く売れるのはバッハ、ベートーヴェン、そしてモーツァルトだろう。そしてその作品のタイトルに必ずつけられているK(もしくはKV)で始まる番号、これがケッヘルその人の頭文字である。

    彼の人生はきらびやかな歴史を持ったハプスブルグ帝国の最後の輝きと静かなる凋落とともにあり、それを忠実に反映してもいた。メッテルニヒの圧政下でささやかに花開いたビーダーマイヤー文化は「コレクション」という発想を生み出し、「ディレッタント」という人々がこれを担った。ケッヘル本人も本職は教師であったが音楽、博物学をよくし、その趣味と収集癖からの技を生かして膨大な作品録を作り上げたのだった。

    面白いのは彼がモーツァルトの作品を整理する際に検索自由の「カード式」のシステムを用いたということ。それまでにも多くの作曲家が目録を作成していたが、ソート/分類に融通が利かないノート式であったため、以降の研究になかなか生かしきれなかったという。さらにケッヘルは晩年になると自らのコレクションの処理、遺産、形見の分配方法にいたるまで自分できっちりと処理をしたというから実に恐れ入る。ビーダーマイヤー式GTDパーソンともいうべき人だったのかもしれない。

    学んだことはもうひとつ。ケッヘルがモーツァルトと等しく熱を入れて研究していたバロック期の作曲家フックスである。この人物の代表作は『パルナッソスへの階梯』という対位法の研究書らしいのだけれど、パウル・クレーにも同じタイトルの大作があるのだ。クレーはヴァイオリンの名手でもあり、特に愛したのがモーツァルト、バッハといった古典派の作曲家だった。その人々が手本としたのがこのフックスの対位法なわけだから、ここでやあっと意味がつながったというわけ。

    ケッヘルは凡庸な人物としてしか人々は理解しないと著者は言う。それでも彼は一番「よくわかっていた」選ばれた人物なのだと思う。それを示すのがこの作品目録の序文としてよせられた次のことばだ。モーツァルトの音楽をこれ以上的確に描写しているものはない。

    「モーツァルトの音楽を通じ、様々なものを伸び伸びと感じ取れる心が人々の内面に生まれ、高められ、寿がれ、最高の輝きを得る。それは人間の本性が変わらぬ限り、昔も、今も、未来も起こり続けることなのだ。」

  • Mozartに関して以上に、ケッヘルの生きた時代のハプスブルグ帝国などヨーロッパの歴史について書かれてあり非常に意味深い内容であった。生きていくことだけに必死な人間・お金と時間に恵まれ学問研究に人生を送れる人間、いつの時代・国にも共に存在するが平和と豊かさが文化を築いて行く。学校schoolの語源となったギリシャ語のscholeは閑暇を意味している。天文・測量など実用的学問は貧しさを豊かさへ導くが、実用的目的を離れ豊かさを確実なものにする哲学・芸術などはやはり生活の余裕がなければうまれないであろう。現代は「気晴らし」にうつつを抜かし忙しい日程とお金を費やすことに追われ、余計なことと片付けられる実は大切なことをじっくりと考えることを忘れているのではないだろうか。

  • 彼のこの凡庸がなければ、モーツアルトは....。
    天才として、残っていたか?
    凡庸な自分が励まされているような気がした。

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著者プロフィール

ヨーロッパ文化史・ドイツ文学研究家。秋田大学准教授を経て、横浜国立大学(大学院都市イノベーション研究院・都市科学部)教授。著書訳書に、『エリザベートと黄昏のハプスブルク帝国』(創元社)、『チャールズ・バーニー音楽見聞録 ドイツ篇』(春秋社)、『コンスタンツェ・モーツァルト <悪妻>伝説の虚実』(講談社選書メチエ)、『モーツァルトを「造った」男 ケッヘルと同時代のウィーン』(講談社現代新書)、『ウィーン楽友協会 200年の輝き』(集英社新書)など多数。

「2024年 『もっときわめる! 1曲1冊シリーズ ⑦リヒャルト・シュトラウス《ばらの騎士》』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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