やさしい女・白夜 (講談社文芸文庫)

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062900966

作品紹介・あらすじ

小金にものを言わせ若い女を娶った質屋がその妻に窓から身投げされ、テーブルの上に安置された遺体を前に苦渋に満ちた結婚生活を回想する-。人を愛すること、その愛を持続することの困難さを描いたドストエフスキー後期の傑作「やさしい女」とヴィスコンティによる映画化で知られる初期の佳品「白夜」を読みやすい新訳で収録。

感想・レビュー・書評

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  • フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの中編2編です。
    どちらも男性から女性への愛をテーマにしていますが、「愛すること」への苦悩が滲み出た作品になっています。しかし、男性目線から言えば、これはむしろ「面倒な女」「性悪女」に「問題あり」なのではないだろうか。(←わっ、ブーイングは赦してください。(笑))ドストエフスキーさん、あんまり「女」でいい目にあってこなかったのか?(笑)
    とはいえ、『やさしい女』はまず男が悪い!(笑)中年であるにもかかわらず、金に物を言わせ少女と結婚したはいいが(羨ましい!わっ、ブーイングは赦してください。(笑))、その妻への本当の愛を内に秘めたまま伝えることもせず、不倫→駆け落ちの一歩手前まで年若き妻を追いこんでしまっています。そしてその後、夫がしめす妻への犬のような従順ぶり。妻は妻で、「やさしさ」を通り越して、夫の質屋という職業、そして、かつて士官であった頃の決闘からの逃げ腰事件を軽蔑しており、そうした嘲笑や不倫事件が夫を卑屈にさせた面もあります。しかし、妻はその「やさしさ」が故に(?)不倫の過去を苦悩しており、夫のしめす重たすぎる「愛」をもはや受け入れることができなくなった時、妻がとった行動はそれしかなかった・・・。
    この作品は、その最後の時から遡って夫が回想する形式であり、そのたどたどしい思いのたけをぶちまけるような文体は、夫の後悔と茫然とした様子を如何なく顕わし、読者へその「愛の重さ」もストレートに伝えてくれます。重たすぎる「愛」。なかなかさじ加減が難しい感情だけに、身につまされるテーマではありますが、ドストエフスキーはこの中篇の中で惨めな男を通して見事に文学表現として昇華させているといえるでしょう。
    一方、『白夜』のヒロイン、ナースチェンカは結果としていえば「性悪女」ですね。(笑)しかし、主人公の夢想男(!)が勝手に横恋慕していたという見方もありますが・・・。(笑)主人公の夢想男(!)は、ある晩出会ったナースチェンカと毎夜のようにお互いの話をするうちに、ナースチェンカの恋の橋渡しをする羽目になってしまった・・・。そして、その結末とは・・・。一回ひねりのオチもなかなか面白い作品に仕上がっていると思います。これまでの夢想した過去の語りようと、ナースチェンカの過去の語りようを対比させるかのような語り口の違いは、性格から状況まで一気に読者にさらけ出す、卓越した著者の描写力といってよいでしょう。ただ、「話します、話します」と言って一向に話が進まない会話や(笑)、「神よ」とさかんに言いまわされる常套句には少々疲れた部分もありますが(笑)、ロシア的(!)な会話の妙もたっぷり味わえる文体になっているのではないかとも思います。少し現実感がない描写もたびたびあるのですが、やはりそれも「白夜」のなせるわざなのでしょうね。(笑)
    夢想と愛ゆえの盲目が産んだひとときの「愛」。ある意味、使い古されたテーマであるともいえますが、ドストエフスキーが幻想的雰囲気の中で描く「愛」の語りがとてもよい作品になっています。
    あれっ!?、こうしてみると、やっぱり男の方に「問題あり」なのか?(笑)

  • 『やさしい女』は、41歳の質屋の男が小金にものをいわせて16歳の少女と結婚するものの、ある日自殺されてしまい、死体を目の前にいろいろと回想する話。

    この男、自分はえらくて妻や女を無意識に下にみてて、その癖なにも喋らなくても相手が自分を理解してくれるはずだし、愛してくれているはずとかいう謎の思い込みがすごくて、序盤の方何回も「うわ…きっっつ…」って言っちゃった。
    ずっと無口を通してたとおもったら、急に感情迸りまくって妻に跪いてキスしたりするもんだから、感情表現が下手くそか…ってなった。
    他人の気持ちわからなさすぎるし、俺が俺がの場面が多い。

    でもラスト妻が自殺するシーンからはなんだか泣けた。
    ここから情景の描写が特にすごい気がする。

    お互いの関係性が歪な状態でも構わないからただ生きてほしかったって思ってもらえたなら幸せだったのかもしれないけど、でもそれは相手が生きているときに時間をかけて態度と言葉で示さなきゃなにひとつ伝わらなかったんだと思うよ…。

    私は妻の気持ちがよくわかる部分もあったし、短くまとまっていて読みやすいので、ドストエフスキーの作品の中ではかなり好きな方だった。

    『白夜』は以前別の短編集で読んだことがあるけど、最後のどんでん返し(?)が悲しい結末に繋がるけど、なぜかむしろ清々しいような気持ちにもなれるのでこれも好き。

  • 初ドストエフスキー。初めては罪と罰とかカラマーゾフの兄弟とか読むと思うけど、長編を読む自信がなかったので。。

    やさしい女:妻が身投げしてしまい1人残された主人公の独白。思い込みが強くプライドが高くめんどくさそうな人間。これがドストエフスキーか。
    白夜:衝撃だった。途中までは「ロシア文学にありがちな感じか」と感じつつ、ハッピーエンドで終わりそうになり珍しいなと安堵したのも束の間、まさかのラストだった。第三者視点だと救いがないが「僕」はある種救われてるのかもしれない。「愛する」ことの難しさ。あまりの衝撃にドストエフスキーすげえ…と思った。

  • 自意識の迷宮をさまよう話、長編の中のエピソードであれば笑うところなのだろうけれど、中編でそこだけ切り取って見せられると、もの悲しい。
    聖性にも俗性にも片寄らない女性登場人物はドストエフスキーの作品では、あまり出会わなかった気がする。いずれ再読したい一冊。

  • 私にとって、ドストエフスキー初読が本書。その感想は、「合わない、読みにくい、うるさい」というひどいものだった。

    読んでいてずっと「俺が俺が」と言われているようで、うんざりしてしまった。
    そんなに言い訳ばっかりしなくてもわかるよ! なんでそんなに自己弁護ばかりするの? あなたはそう言ってて恥ずかしくならないの?
    読んでいる間中、私はドストエフスキーに何度もそう言いたくなった。自分のことを理解してほしいのはわかるけれど、そんなに言われたら相手は疲れてしまうよ、と。

    特に「やさしい女」のほうはその印象が強く、そんな風に人と接していたら、他人を見下したり、疑うようになるのも当たり前だと思った。ドストエフスキーは、きっと孤独だったに違いない、と決め付けたくなった。
    だって、もし私が彼のような人と会ったら逃げると思うもの。

    けれど、そんな自分をもっとも悲しんでいるのもきっと、ドストエフスキー本人なのだろうな、とも思った。

    • tramp85さん
      白夜は高校生の頃に読んだけど好きだなあー。
      白夜は高校生の頃に読んだけど好きだなあー。
      2011/12/20
    • tramp85さん
      長編になると複数の人間による「俺が俺が」という言い争いが面白くなります。とにかく濃いキャラと濃いストーリーに圧倒されます。女の人を描くのは下...
      長編になると複数の人間による「俺が俺が」という言い争いが面白くなります。とにかく濃いキャラと濃いストーリーに圧倒されます。女の人を描くのは下手ですけど。
      2011/12/20
    • 抽斗さん
      コメントありがとうございます! 
      なるほど、「俺が俺が」という人物が複数登場すると、言い争いは確かに避けられないですね(笑)。そんなキャラ...
      コメントありがとうございます! 
      なるほど、「俺が俺が」という人物が複数登場すると、言い争いは確かに避けられないですね(笑)。そんなキャラが濃すぎて、私は途中で「もういい!」と思ってしまったクチですが(^^;)。
      『白夜』のほうは、まだロマンチックな部分があって楽しめましたが、やはり「なんでそこまで自己主張するかなぁ?」と疑問でなりませんでした。
      2011/12/21
  • 若い頃に、一気に読んだ地下室の手記。超絶長い独白シーンの心理描写に、なんとも魂を揺さぶられた作家。20年以上もあいて、手に取った。
    やさしい女だけ読んで、返してしまった。
    返した後に、皆さんの感想を読んで、白夜も読もうと思ふ。

  • ・『やさしい女』について。
    私の読み方がおかしいのだろうか。戸惑いのうちに読み終えた。
    "やさしい女"のお話、というより、メンタルを病んだ大変な女性との出会い、そして別れ(死)。という読後感。そういえば以前、ノンフィクションで『自殺されちゃった僕』という本を読んだことがある。

    ・『白夜』について。
    ペテルブルクの夜(おそらく白夜)。運河の水辺。
    孤独で奥手な青年「僕」は、可憐な乙女ナースチェンカに出会う。「僕」は程なく、話し相手になってくれたナースチェンカに恋心を抱く。
    だが、ナースチェンカは、待ち続けて1年になる恋人がいた。だが、ナースチェンカは音信不通の「恋人」を諦め、「僕」へと思いを寄せはじめる。

    抒情的な作品とする評もあり、読み易いかな、と思いきや。「僕」が怒涛のように「独白」する展開が。あたかも地下室の手記の主人公のごとき、鬱屈して呪文じみた独白で、またもやドストエフスキー節なのであった。つまりは「僕」は、そういうオタクな感じの青年なのだが。

    これまた、私の読み方がまちがっているのだろうか。なんとも、ひどい話だな、と思ったのである。

    <以下ネタばれ>
    「僕」はナースチェンカが結ばれる…。だがしかし、ナースチェンカは、突然帰ってきて再会出来た「恋人」と共に去ってしまう。「僕」は、天国の心地から暗い暗渠に突き落とされた如しの暗転である。
    なんとも乱暴なストーリーという感じで、奇妙な中編。ビスコンティが映画化しているそうで、一体どういう風に脚色したのか興味深い。

  • ●白夜

    ドストエフスキーの第11作。
    1848年 27歳。

    白夜のペテルブルグで繰り広げられる清新なロマンス。
    青年の恋愛は、こうでなくてはね。
    美しい中編。
    佳品です。

    25年ぐらい前に米川正夫訳で読んだ「白夜」は、冒頭が素晴らしかった。
    それに較べると、この講談社文芸文庫版は、イマイチのような気がする。

    たまたま手元に3つの訳があるので、較べてみた。

    (米川正夫=訳)

    素晴らしい夜であった。それは、親愛なる読者諸君よ、われらが若き日にのみあり得るような夜だったのである。空には一面に星屑がこぼれて、その明るいことといったら、それを振り仰いだ人は、思わずこう自問しないではいられないほどである─いったいこういう空の下にいろいろな怒りっぽい人や、気まぐれな人間どもが住むことができるのだろうか? これは親愛なる読者諸君よ、青くさい疑問である、ひどく青くさいものではあるが、わたしは神がしばしばこの疑問を諸君の心に呼び醒ますように希望する!……

    うん。やっぱりいいな。

    (筑摩書房 小沼文彦=訳)
    すばらしい夜であった。それは、愛する読者諸君よ、まさにわれわれが青春の日にのみありうるような夜であった。いちめんに星をちりばめた、明るい星空は、それを振り仰ぐと思わず自分の胸にこんな疑問を投げかけずにはいられないほどだった―こんな美しい空の下に、さまざまな怒りっぽい人や、気紛れな人間が果たして住んでいられるものだろうか? これもやはり、愛する読者諸君よ、幼稚な、きわめて幼稚な疑問である。しかし私は神が諸君の胸にこうした疑問をよりしばしば喚起することを希望する!……(筑摩書房 ドストエフスキー全集第2巻 p49)

    (講談社文庫 井桁貞義=訳)
    まったく奇跡のような夜だった、親愛なる読者よ。
    青春時代にのみ訪れるような、そんな夜だった。
    星はきらきらとまたたき、空全体は明るく輝き、ほら、こんな空を見上げていると、思わず知らず、心に問いが浮かんでくる。このような素敵な空の下でもやっぱり、怒りっぽい人、気まぐれな人、わがままな人たちが、生きているなんてことが、いったいありうるだろうか。
    そう、これがいかにも若者らしい問いだということは僕にも分かっている、親愛なる読者よ。たしかにいかにも若者らしい問いではあるけれど、神様があなたの心に、この問いかけを送ってくださる機会が多からんことを!……(p103)

    こうして実際に較べてみるとずいぶん違うものである。
    米川訳も、小沼訳もテンションが高い。青春の切なさを感じさせるところがある。

    井桁訳は、あまりテンションは高くない。
    どこか歌謡曲風だな。あるいは、70年代フォークの歌詞かな。

    なんとそれぞれサブタイトルも違っていて、
    米川訳 「白夜  感傷的ロマン ―ある空想家の追想より―」
    小沼訳 「白夜  感傷的ロマン ―ある夢想家の思い出より―」
    井桁訳 「白夜  センチメンタルな小説(ある夢想家の思い出より)」
    となっている。

    米川訳は1970年前後、小沼訳はおそらく1980年代の訳で、井桁訳は2010年の新訳である。
    井桁氏は訳者あとがきで、ドストエフスキーの翻訳の底本は、2003年からロシアで出版されている新全集を使用しないと作者の原文と感覚がずれてしまうと指摘されているが、それ以前に、いろいろ問題がありそうな気がする。

    いずれにしろ、私にとっては米川訳のほうが好ましかったという話。
    小沼訳もなかなか良いと思う。


    ●やさしい女 ―幻想的な物語―

    1876年 ドストエフスキー55歳のときの作品。
    社会時評的な連載もの「作家の日記」の中で発表された作品。

    「未成年」を完成させ、「カラマーゾフの兄弟」に取りかかる前の作品ということで、巨匠がさっとひとなでしたような中編だが、内容は深く、重い。

    人間のどこに目を凝らしていたら、こういう、人間の根元や全体像を捉えたような作品ができるのだろうか。

    ところで、この講談社文芸文庫は、「やさしい女」と「白夜」が収められて、247ページで1200円(消費税別)。(2020/6/24現在)
    両方とも新訳といえ、文庫本も高くなったものだ。

  • 男って馬鹿
    女って残酷

  • えげつない、遊川和彦さんのドラマ(「家政婦のミタ」「〇〇妻」)みたいな、崩壊夫婦の葛藤と、死の物語。
    大爆笑の失恋ドラマのような、19世紀最高の振られっぷり、と言いたくなるボーイ・ミーツ・ガール。

    ドストエフスキーさん、敬遠するのはホントに勿体ないですねえ。


    ############


    ドストエフスキーさんというと、矢張り、「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」の四大長編になります。
    (茫漠たる昔に読んだ記憶で言うと、読み易いのは「罪と罰」だと思いますが)
    なんだけど、「貧しき人々」も「虐げられた人々」も「地下室の手記」も面白かった。ほかも読んでみたいな、と思っていたところで衝動買い。

    「やさしい女」と言えば、映画ファンとしてはロベール・ブレッソン監督の映画ですね。なんですが、これ、実は未見なんです。今後の愉しみ。
    ロベール・ブレッソンさんは、とにかくドストエフスキーさんが大好きなようで、「スリ」だってほとんど「罪と罰」です。「白夜」も映画化しています。
    だからこの本は、ある意味「ブレッソンが映画化した中編をふたつ併せました」という編集になっています。

    それはさておき。
    「やさしい女」。
    かつてそれなりに名誉ある仕事をしていた男性が、おちぶれて、失業者になって、そこから這い上がって、質屋としてけちけちと小さく暮らしています。
    その男が、金で買い取るように10代の少女と結婚します。
    ほとんど会話もなく、笑顔も無く、淡々と冷たい結婚生活。
    その間に、大人しい少女だった妻は、ふてぶてしくなったり、夫をなじったり、浮気しそうになったり、夫を笑ったり。
    なんとも愛想なくそんな妻をぶざまなプライドを見せながらあしらいつつ、どんどん仮面夫婦になる。
    そして、ある日、妻は飛び降りて自殺してしまう。

    少なくとも判りやすい小説ではありません。
    どうして?なんで?と思い始めると、そこに真犯人や真相があばかれる快感がある小説では、ありません。

    旨く言えませんが、人間関係の温もりのある部分を、
    とにかく恐れて自分の殻に閉じこもってしまう、夫。
    尊厳とか生きがいとか喜びとか笑いとか、そういうものを奪われて、タダ生きている妻。
    自分とそして相手とをまとめて破壊する、まとめて汚すような、自傷行為のような素行。嘲笑う。悪魔の顔を見せる少女。
    きっと。多分。
    さびしいから妻を買ったのに。相手まで破壊してしまうことを知って、おずおずとわがままに、やり直そうとする夫。
    許されることや幸せそうになることを、拒絶してしまったのか。飛び降りちゃう妻。

    うーん。
    解釈とか、言い出すと大変にムツカシイのですが、解釈することは本を読む喜びの、ほんの数%でしかないんじゃないでしょうか。
    そういう風景を眺めることの歓び、と言いますか。
    宍道湖でもグランド・キャニオンでも、夕焼けでも富士山でも星空でも、解釈するために観光に行く訳じゃないですものね。

    でも、小説としての語り口は大変にエンターテイメントなんです。娯楽的です。
    夫の男性の一人称。だれの心の揺れ具合を見つめながら読んで行けばいいのか、大変になんというか、手すりがしっかりした階段です。
    ドストエフスキーさんお得意の、なんとも惨めで滑稽な「負け組」男の心理描写が、混沌とした悲劇にいたる。
    なんとも茫然な訳ですが、まあ、書き手の心情としてはキリスト教的な考え方もあるはずですから、
    とっちらかった、ある意味大変に自由で現実的な島国の21世紀を生きる僕たちが、無理やり「解釈」をする必要はないと思います。
    むしろ正直、「いやー、こんなんやったらしんどかろうなぁ」「かわいそうやなあ」「そんなんもありかもなあ」と自分の身の丈の思いで愉しく読んでしまいました。

    #####

    そして、「白夜」。
    これはまた一気に、書き手も若いんだろうなあ、という小説。こっちのほうは恐らく数十年ぶりの再読なんですけど、当然まったく記憶になかったです。
    これまた、少なくとも生きるの死ぬのという話ではないので、娯楽的な愉しみが炸裂する青春恋愛心理小説ですね。

    とにかく大都会で、若い男が泣いてる女と出会う訳です。
    男はしがない勤め人で、大都会の孤独。友人も無く、不器用に小さく生きているだけ。だけど、ロマンチックが止まらない感性だけは豊かな、まるで小説家みたいな青年です。
    女はこれまたしがない労働者で、病気の身内に縛られて幸少なく生きています。
    女は、言い交した恋人がいるんですね。熱愛です。まあ、言ってみれば婚約者です。
    しかし、婚約者は仕事の都合で1年だか3年だか、別の街へ。「必ず戻ってくる。ここで会おう」みたいな。遠距離恋愛。電話もLINEも無い時代。
    で、その約束の時期になったけど、婚約者が来ない。この町に帰っているという噂だけど、来ない。手紙を出しても梨のつぶて…。

    そんな身の上を聴いて、青年は同情します。
    でも当然、あわよくば、な訳です。このまま戻ってこなければ、なんです。
    そして、事態はそうやって進みます。
    「もういいわ。彼のことなんかもう愛していない。あなたと愛し合って生きていきましょう」。
    手に手を取って、新しい人生へ歩き出したその瞬間に。あっ! とすれ違ったのが。その婚約者。
    ただの行き違いで、婚約者はずっと彼女を愛していて、やっと現れたんですね。
    と、その瞬間。
    主人公の青年の腕の中から、彼女はスッっと抜け出てしまう。
    あああっ…という間に、婚約者の腕の中に。「ごめんなさい」。

    この鮮やかな。「恋愛の、ごめんなさいツバメ返し」とでも言うべき、水も漏らさぬスパァンッ!という切れ味。
    もう、これだけでもタマラナイ小説ですね。
    なんてえげつない。なんてドベタに判りやすい。
    美しい。というかもう、笑うしかない。大爆笑。いやあ、痛いです。
    もう、ほんとに「男はつらいよ」シリーズの、車寅次郎の振られっぷりの、原作がココにあるんじゃないだろうか、という素晴らしさ。

    ドストエフスキーさん、やっぱり面白いですよねえ。
    まだまだ未読の小説もありますし、再読するのも愉しみです。


    ※ちなみに、「ドストエフスキーさんを初体験する上で、何から読んだら良いのか」という問題は実に奥深いですね。
    それだけで大いに楽しく酒が飲めそうです。
    無論、読み手側のタイプによるんですが、僕は「虐げられた人々」「貧しき人々」「地下室の手記」あたりかなあ…と。「罪と罰」もあり得るか…。
    間違っても「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」はマズイと思います。キリスト教がらみの神学的な言葉と問答が多すぎますから。
    そういうのをざっくり読み飛ばしても、残った物語で十分にオモシロイのですけど、
    そういうのをザックリ読み飛ばすことがなかなか、難しいですからね…。

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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