- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062903035
作品紹介・あらすじ
鴎外を継承する詩人、小説家、劇作家、評論家、医学者でもあった杢太郎の随筆を厳選。格調高い日本語と学識から生まれた至高の文選。
感想・レビュー・書評
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恋わびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にや跡をけなまし
「源氏物語」
詩人・小説家の木下杢太郎は、本名太田正雄。ハンセン病研究に尽くした医学者であり、その側面も近年注目されている。
1885年(明治18年)、静岡県生まれ。幼少期に父が死去し、長姉とその夫が、父母代わりであったという。早熟で好奇心旺盛な少年で、10代ですでに筆名・木下杢太郎を用い、文芸同人誌も作っていた。
上京して進学し、東京帝国大学では、夏目漱石に英語を教わった。のち、夏目漱石や森鴎外らについてもすぐれた評論を残している。
詩や戯曲、美術を愛し、文学者への道も考えていたが、家族の強い希望で医学の道を歩んだという。とはいえ、やはり前者への夢も捨てがたく、明治末期には、北原白秋や石川啄木らと「パンの会」を組織し、文学美術運動をリードしていた。
薫り高い随筆が、この度文庫本にまとめられ、掲出歌は「残響」という晩年の随筆に引用されたもの。「源氏物語」宇治十帖の「総角【あげまき】」の歌である。恋こがれ、恋死にできるような薬がほしい。薬草の多い「雪の山」に分け入って、姿を消してしまいたいという激しい歌意でもある。
当時50代の杢太郎は、東北帝国大学から東京帝国大学教授に移った。周囲は栄転と喜んだが、当人は複雑な思いであったという。そんな落ち着かない「残響」の心をなだめるように、浪漫的な思索をし、思い出した歌でもある。古今東西の詩歌への愛惜が胸中の寂しみをいやしたのだろうか。1945年秋、胃がんで死去。享年60。
(2017年2月5日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示