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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784062922692
作品紹介・あらすじ
「奇跡」とは、宗教的な現象である。魔術や超常現象とは異なる。奇跡は日常的に存在する、と著者は考える。一方、科学という立場からは、奇跡を認めないように思える。これは科学そのものが一般的な常識から遠く離れた、特殊な体系になっていることが理由である。奇跡の捉え方をヨーロッパの知識の歴史にたどり、また宗教と科学それぞれの論理とことばの違いを明らかにし、奇跡の本質にせまる。
「奇跡」とは、宗教的な現象である。魔術や超常現象とは異なる。奇跡は日常的に存在する、と著者は考える。
一方、科学という立場からは、奇跡を認めないように思える。これは科学そのものが一般的な常識から遠く離れた、特殊な体系になっていることが理由である。
奇跡の捉え方をヨーロッパの知識の歴史にたどり、また宗教と科学それぞれの論理とことばの違いを明らかにし、奇跡の本質にせまる。
そのうえで、科学思想すら一種の宗教であり、人間を超える存在を「神」と呼ぶか「科学」と呼ぶかの違いしかないことを、著者は証明する。
唯物史観の限界を超える思想を、改めて構築する試み。
みんなの感想まとめ
宗教的な現象としての「奇跡」を探求し、科学との関係を深く考察する本書は、奇跡が日常に存在することを前提に、歴史的な視点からその捉え方を明らかにします。著者は、キリスト教の伝統や近代科学の発展を背景に、...
感想・レビュー・書評
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西洋思想史のなかで、奇跡や魔術がどのように理解されてきたのかということをたどり、とくに近代科学の成立とのかかわりについて解説している本です。
キリスト教の伝統のなかでは、彼らの信じる神によって起こされた奇跡を魔術から区別することがおこなわれていました。アウグスティヌスはプラトンの哲学を高く評価しながらも、神に由来することのない精霊の働きをプラトンが認めていたことを批判しています。
さらにルネッサンス以降、新プラトン主義の隆盛とともに、魔術にかんする人びとの関心が高まります。そうした状況のなかで、ベーコンの「知は力である」という主張も登場しました。現代の読者は、自然科学的な知に依拠して非合理的な迷妄から脱することをめざしたのがベーコンの提唱するあたらしい学問だと考えてしまいますが、そうした理解のアナクロニズムを著者は指摘しています。
さらに神のしるした書物は聖書と自然だという発想にもとづいて、現代の自然科学につながっていくような学問的成果が現われます。デカルトとニュートンは、それぞれ理神論と汎神論に接近しつつ、対立する立場にたちましたが、両者の考えかたを推し進めていくと、自然のうちに神が介入する余地がなくなるという帰結にいたります。
さらに著者は、ガリレオ裁判をとりあげて、この時代の学問と信仰との関係について論じています。彼は、神が自然に書き込んだことばは数学だと信じていました。彼はその信仰を通じて、奇跡を否定するこんにちの科学につながる道を進むことになったのです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
誠実な好著であるが、村上がカトリック信徒であることを考慮する必要あり。「ウーーーン」となる文章が目立つ。宗教は思考を束縛し、信仰は感情を支配する。宗教は六根(五感+意識)というフィードバック機能を教理でもって歪める。
https://sessendo.blogspot.com/2021/12/blog-post_7.html -
岩波書店から1996年に刊行された『奇跡を考える (叢書現代の宗教 7)』を文庫化したもの。このシリーズ 全16巻は絶版だった。
著者は著名な科学史家。
・講談社の頁から紹介文
「奇跡」とは、宗教的な現象である。魔術や超常現象とは異なる。奇跡は日常的に存在する、と著者は考える。一方、科学という立場からは、奇跡を認めないように思える。これは科学そのものが一般的な常識から遠く離れた、特殊な体系になっていることが理由である。 奇跡の捉え方をヨーロッパの知識の歴史にたどり、また宗教と科学それぞれの論理とことばの違いを明らかにし、奇跡の本質にせまる。そのうえで、科学思想すら一種の宗教であり、人間を超える存在を「神」と呼ぶか「科学」と呼ぶかの違いしかないことを、著者は証明する。
唯物史観の限界を超える思想を、改めて構築する試み。
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