交易する人間(ホモ・コムニカンス) 贈与と交換の人間学 (講談社学術文庫)
- 講談社 (2016年5月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062923637
作品紹介・あらすじ
本書の主題は、具体的事例に則して言えば、贈与と交換の社会哲学である。より正確に言えば、本書は、贈与と交換を峻別する。そうすることで、近代に出現した市場経済、そして特殊近代的な資本主義経済の歴史的位置づけ、ひいてはそれらがかかえる歴史的限定性を明らかにできるからである。近代以前の「非経済的または非交換的」な贈与体制との対比的研究のなかで、近代の経済自身の由来、それがかかえる諸問題が一層みえるようになる。
要するに、本書は、人類が歴史的に経験してきた種々の相互行為を観察することを通して、社会存在としての人間の根源に迫る試みである。
(中略)
……市場的交換ならびに資本主義的交換の社会が登場する決定的条件は、いっさいの贈与体制の崩壊である。言い換えれば、市場的交換と資本主義は、贈与体制を全面的に解体しないでは歴史の上に登場することができなかった。市場と資本主義は、その歴史的生成の流れに即していえば、贈与体制ならびに贈与心性とのたえざる闘いを通して出現するのであり、ある意味ではいまもなおそうである。そして贈与体制がほぼ完全に歴史的敗北をみるのは、たかだか十九世紀の中葉でしかない。しかし同時に、近代社会は、全面的に交換体制一色に染め上げられることで、制度をこえて相互行為の絆をなしてきた贈与的倫理を崩壊させるという重大な、そして致命的ともいえる代価を支払わなくてはならなかった。まさにそこから現代世界の困難な事情(相互行為の空虚化、貨幣換算的功利主義の蔓延、等々)が生まれるし、またそこに現代の思想的課題がつきつけられてくるだろう。(「プロローグ」より)
感想・レビュー・書評
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人類学者のモースの思索などを参照しながら、人間の諸活動を「交易」という観点から解き明かす試みがなされています。
従来の社会学や人類学においては、利益を中心とする相互行為が根幹に据えられてきました。たとえばレヴィ=ストロースは、贈与システムを当事者の神話的想像力から切り離し、社会システムの構造を科学的に認識することをめざしました。しかし著者は、こうしたレヴィ=ストロースの見方が、贈与体制の社会における当事者の意識を切り捨ててしまっていると批判します。
交易は、人と人のあいだだけではなく、人間と自然のあいだでもなされています。さらに著者は、感情や信念、表象といったものの相互行為も交易という観点からあつかう必要があると主張します。本書におけるモースの贈与論の読みなおしは、このような立場からなされたものです。贈与体制のおこなわれている社会では、人びとはなにか大きなものから自己の存在を負っているという感情を抱いています。このことが、人と人、あるいは人と自然のあいだの交易を可能にしていると著者はいい、こうした人間学的洞察に基づいて、労働や宗教の形成が解き明かされていきます。さらに著者は、同様の立場から市場経済の成立まで説明しようと試みています。
贈与から交換へという社会変動論的な視座からの考察ではなく、「交易」という普遍的な人間のありように基づく人間学的な社会論という、スケールの大きな議論が展開されており、著者の「第三項排除」の発想をさらに普遍的なものへと拡張した理論とみなすことができるように思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
贈与することについて考えてみた。
純粋贈与って無償の愛? -
我々はまいにち忙しく動き回ってあたかも何かを「生産」しているかのようなつもりになっているが、それは全くの勘違いであるし、「生産」したものをあたかも当然自分自分に属すべきものとして独占的に所有してしまうことに正当性はないのだ,,,ということをずっと考えてきた。この行き過ぎた所有観念が蔓延することによって現代社会は極めて生きづらくなってきているのだと思う。このような考えをサポートするような本を常日頃探している。
この本もあるいはそんなことに関連するのではないかと直感したので買って読んでみることにした。この本には主に「贈与」について書かれた部分が多くを占めている。マルセル
・モースの「贈与論」を土台にしたもののようだ。(いずれこちらの方も読んでみたい。)贈与は交換の一形態として片付けられがちだが、贈与をその場限りで完結してしまう交換とは性格を異にした、もっと根源的な行為として捉え直すとどうなるだろう。マルクスとはまた違った地平が開けてくるに違いない。
今回、つつーっと読んだだけなので、また日を置いて読み直してみることにするとしよう。