一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062932721

感想・レビュー・書評

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  • f.2020/12/21
    p.2015/12/15

  • 一般意志

    ルソーの一般意志という概念を現代に蘇らせ、選挙や政治のない、欲望の集約が粛々と行われる新しい民主主義のあり方を論じた本。
    一般意志という空気感をTwitterやニコニコ動画のイメージで技術的に可視化し、専門家の議論に制約を設ける。

    たしかに技術的には出来そうだけど、実際はそんな既得権益を洗い流すようなことは無理だよね、というベーシックインカムに似た感想を持った。

    また、SNSの一部の暴力性が問題となっている昨今の状況を踏まえると、一般意志の収集方法として人々の自発的な発信の集合を用いるのは筋がいいと思えない。Googleの検索履歴のような無意識の欲望はアリだと思う。

    日本の新しい民主主義のかたちが見えるかもと思って手に取ったが、日本のようながんじがらめな国ではなく、もっと小国から実装が現実的であろう。


    以下メモ

    ◯ルソーとは
    ルソーは個人の社会制約からの解放、孤独と自由の価値を訴えながら、同時に故人と国家の絶対的融合、個人の全体への無条件の包含を主張した思想家。

    人間嫌いでひきこもりで、ロマンティックで、繊細でいささか被害妄想気味な人物。
    パリで長いこと過ごしながらも社交場に馴染めず田舎に移り、新エロイーズ等の恋愛小説はヒットした。

    ◯集合知の有用性
    構成員個人の多様性が群衆の予測の正確性を増す多様性予測定理と、群衆の予測が構成員の平均的な予測よりも必ず正確になる群衆は平均を超える法則により、集合知は有用。

    孤独な存在である人は自然状態では維持できず、社会を作らざるをえない。そこで社会契約を結ぶ。
    個人が共同体に権利を譲渡し、個人意思の集合体である一般意志に市民は従う。この発想は全体主義を想起させる。

    最初に社会契約があり、最後に統治機構が設定されるという順番が非常に重要。政府といった統治機構はあくまで一般意志の執行機関にすぎない

    ◯一般意志とは
    ・一般意志とは政府の意思でも個人の意思の総和でもなく、数学的存在で、個人の意思の総和から相反するベクトルを除いたもの

    ・ルソーは議会政治や政党の価値を認めていない。情報は与えられるべきだが、討議や意見調整の必要性を認めていない、差異が減ってしまうから。政治にコミュニケーションは必要ない。

    Googleは意見交換もなく、検索により一般意志を形成している。一般意志とはデータベース。

    複雑化し情報技術によりあまりにも可視化され情報が溢れた。議論を始めるための出発点の共有が難しい。ネットに満ちたコミュニケーションは公共的な理性の場に導かない。

    メディアもGoogleも情報を減らす、複雑さを減らすことに価値があり、そこにお金を払う。
    自分たちが何を本当に必要としているのか、私たち自身がわかっていないのではないか、無意識の欲望を探り可視化する装置を必要としている

    ネットは無意識を可視化している、Googleは内容を一切考慮せず、ポジネが関係なく貼られたリンクの数でページの重要度を決めている。

    ◯総記録社会
    ・政府(公)と民間(私)の垣根を超えた市民生活全てを覆うサービスプラットフォーム(共)
    ・21世紀の国家2.0において、意識的な全体意思(一般意志1.0)と無意識的な一般意志2.0といつ分裂した両者の相克のバランスとして捉えるべきではないか。熟議の限界をデータベースで補い、データベースの専制を熟議の論議で押さえ込む国家。
    ・可視化された大衆の欲望という無意識は、社会を運営する上での条件、OSのような位置づけになる。

    ・政府と大衆を選良と大衆と捉えるべきではない、選良だと思われている人もある特定分野の専門家であるだけで、ポジショントークになりうるし、そのほかの部分では大衆と変わらない。
    ・ナショナリズムが魅力的なのは情動に根差しているから、すなわち無意識を拾い上げている。これに論理で対抗しても響かない。


    ◯一般意志の負の側面
    ・ルソーからの二世期半の間に一般意志が如何に移り期で残酷か、国家のナショナリズムに導かれて如何に暴力的になるかという危険性を思い知った期間だった。

    ・その間に生きたフロイトは無意識は制御されるもので、その制御が壊れることで人は病に陥ると考えた。その治療法は無意識の欲望を露悪的なまでに言語化することで進める。このアプローチが必要ではないか。

    ◯熟議と一般意志の融合
    ・大衆の無意識を如何に可視化し、専門家の熟議の場に介入させるか、そのインターフェース設計
    ・十分な議論を経た否の打ちどころのない合意も人々の欲望に支えられなければ力を持たないし、高邁な理念と開かれた制度も誰も参加欲がなけれび形骸化する。政治の困難は欲望の欠如にある。
    ・専門家と政治家の会議の場をネットに開放し、あくまで彼らの場としながら聴衆の感想を大規模に収集して可視化、議論の制約条件にする。
    ・全省庁や委員会を例外なく中継する可視化国家。リアルタイムなみんなの反映
    ・国家の運営を直接国民に委ねることは提案してない。膨大な知識を一人一人が身につけるのは不可能。ゼロベースではなくあるものへのツッコミとして使う。

    ◯ユートピアとは
    ・感情こそが世界を作る
    ・ユートピアは価値観ゼロ、生活様式ゼロの透明な存在、多様性が前提の統一された理想がない世界

    ◯夢を語る
    ・最小国家が暴力を管理し治安を維持する装置としてのみ存在(外交と防衛、警察)。理念や主義には関わらない
    ・動物的な生の安全は国家が保障し、人間的な生の自由は市場が提供


    人間は自分の欲望を知らないという主張は今も認知科学や行動経済学

  • 新しいコミュニティというか、自治みたいなものを考える上でとても参考になる一冊。ここ数年の政府の意思決定や市民の声を集めるという文脈でモヤモヤしていたことが少しクリアになった。まとめると、今や私たちはSNSやTwitter、blogなどに様々な意見を書き込んだり、検索や購買履歴、行動履歴などが記録されており(総記録社会)、無意識を含め自分の知らない自分が存在するかのようであるし、それを分析したりまとめたりする技術も存在している。ならば、それを表に出すことで「一般意志」とみなし、政治の意思決定に利用するべきではないかというもの。一時的な「祭り」だけではなく、数ヶ月分など期間を切って分析することも可能だろう。筆者は、現在行われている会議(国や地方自治体の議会、委員会、専門家会議)などを全てネットで公開し、ニコニコ動画のようにいつでも誰でもコメントできるようにしておけば、政治家等もその意見に耳を傾けざるを得ない状況を作れるのではと提案する。これは面白い。副題の「ルソー、フロイト、グーグル」というのも、読了して納得。「情報量の減少こそが価値」というのはビジネスのヒントにもなる。

  • 現実味としては薄い感じがするし、たぶんルソー研究者から見たら異端なのだろうけど、「見える一般意思」という概念はワクワクしてしまう。
    著者が真摯に考え抜いていることもよくわかり、その考えを一般読者に伝えたいという思いも伝わる。

    賛否はあろうが、現代社会を考えるうえで目を通しておいた方が良い本であろうと思う。

  • 最近読んだ本にルソーの一般意志が出ていたので、思い出して読了。
    思想家・東浩紀が東日本大震災の前まで書き連ねた一冊ですが、熟議からデータベースにアップデートした総記録社会を夢想していたのが、その後の安倍政権という反動で退行してしまっているだけに、さらに遠ざかっている現実が残念です。
    だからこそ、私たちは民主主義2.0をめざしていかなくてはなりません。

  • ウェブ上で提供されるさまざまなサーヴィスによって人々の「動物的」な欲望が可視化され、「データベース」として利用しうるようになった現代社会の状況を踏まえ、それをルソーが説いた「一般意志」という謎めいた概念の現代的な解釈として捉えなおすことで、新たな民主主義の可能性を論じる試みです。

    「文庫版あとがき」で明確に述べられているように著者は、大衆の欲望がそのまま実現されるべきだと主張しているのではありません。著者がめざしているのは、カントやヘーゲルの倫理学や、現代のアレントやハーバーマスの政治哲学が、理性に基づく公共性に高い価値を置いていることを批判しつつ、彼らの主張するような「熟議」が対峙するべき大衆の無意識的な欲望を「モノ」化し可視化するアーキテクチャを構築し、「欲望(一般意志)と政治(統治)のあいだの闘争のアリーナ」を立ち上げることを主張しています。

    ハーバーマスのカント主義的な「公共性」を転倒するに当たって、ヒューム的な保守主義に回帰するのではなく、ルソーの一般意志の大胆な読み替えを通じて、ローティのプラグマティズムに近い立場へとジャンプするというアクロバティックな議論には、知的興奮を呼び起こされました。

    ただ、単なる大衆の欲望への盲従に陥ることなく、著者の言う「欲望と政治のあいだの闘争のアリーナ」が、どのような原理に基づいて可能になるのかということが明確にされていないため、どうしても危うさを感じてしまいます。著者は、ローティの「憐れみ」に基づく連帯に希望を見ようとしていますが、やはり何らかの意味での「暴力批判論」による歯止めがあってしかるべきなのではないか、と考えずにはいられません。

  • ルソーの社会契約論における「一般意志」の解釈を現代の文脈の中で少し広げ、これからの新しい統治の形を模索してみた、というもの。

    この一般意志とは、数学的存在であり、単に国民の意思を合計したもの(全体意志)とは違っている。ルソーの時代にはこの一般意志を集約することは不可能であり、それを集約することができる神のような(架空の)存在に委ねるしかなかったが、現代にはグーグルがありツイッターがある。膨大な個々人の検索履歴やツイート、ブログでの発信、これを統計的に処理し集約して、これをルソーの言う「一般意志」と呼ぶことが出来るのではないだろうか。そして政府はそれに従って統治を進めれば良い。
    民主主義には、熟議が必要である。しかし、現代は複雑であり、すべての国民がすべての分野に関して熟議が可能なほど知識を習得することは不可能であり、それゆえ専門家の中だけで政策が進んでしまう現実がある。そのような専門家の熟議に、先にあげた「一般意志」をプラスし、それを参照しながら議論を進めてはどうだろうか。

    簡単な要約ではあるが、以上が本書で語られた新しい統治の形である。著者は、このような統治形態の例として、ニコニコ生放送でのコメントを見ながら会議を進めること、などを挙げている。

  • 一般意志について自分がもやもやしていた部分を大分解決してくれたけど、2.0についてはまだまだ検討の余地がある。

  • 18歳選挙権でどう考える。

  • 民主主義は熟議を前提とする。しかし日本人は熟議が苦手と言われる。それならむしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据える新しい民主主義を構想できないか。ルソーを大胆に読み替え、日本発の新しい政治を夢想して議論を招いた重要書。文庫化に際し、政治学者・宇野重規氏との対論を収載。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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