井上陽水英訳詞集

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065131312

作品紹介・あらすじ

井上陽水デビュー50周年、『ブラタモリ』のテーマ曲をはじめ、私たちの心をずっと捉えて離さない陽水の名曲の数々。
ロバート キャンベルが人生を彷徨っていた時代から、病の日々も傍らにあったのは陽水の歌だった。初期の代表作はもちろんのこと陽水を象徴する曲まで、厳選歌詞50作を英訳。英語というフィルターを通すことで炙り出されてくる陽水のメッセージ。この本はスリリングなほどのくわだてなのだ。

「陽水はうなぎだ」これは陽水の親友であるユーミンが放った一言。
さらに、TOKYO FMの番組で陽水と対談したキャンベルは、ついにうなぎを捕まえる。これまで陽水は決して歌詞について語ろうとしなかったが、沈黙は破られた。スタッフが固唾を飲むなか初めて自らの歌詞について語る。
この番組「ミュージックドキュメント 井上陽水×ロバート キャンベル『言の葉の海に漕ぎ出して』」は、日本放送文化大賞グランプリなど放送界の大きな賞を多数受賞。
この対談も収める評論パートでは、何にこだわり、どんな心情を込めてきたのか陽水自身の言葉も多数紹介。たとえば、「青い闇の警告」では、「言葉をそういうふうに並べることで、切なさや、人間って何だろうと想像してもらうんです。それこそがこの歌詞の目論見なのです」と。
本書を作ったきっかけは、病に倒れたキャンベルが病床で1日1作を英訳していったことから。病床でなぜ陽水の歌詞だったのか――。キャンベルの評論は人間の業や願いをすくって文学世界にも分け入っていく。命のカウントダウンが始まったとき、作家たちは何を日々記したか、何を望んだか。陽水の歌から、宮沢賢治、中江兆民、正岡子規など近現代の作家たちの声が立ち上ってくる。
さらに、陽水が受けていたボブ・ディランの影響、ジェーン・バーキンらは陽水の「カナリア」をどう解釈したのか――、愛について、日本社会について、日本人について、評論と英訳詞集によって陽水の言葉が読み手をも照らしていく。

感想・レビュー・書評

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  • 子供の頃、母が井上陽水さんの歌をよく聴いていて、私も耳に入っていた。
    当時は変わった歌があるなぁと思ったり、なんだか悲しそうな曲があるなぁと思ったりしながら、井上陽水さんの声のせいなのか、メロディなのか、歌詞なのか、子供ながらに好きだった。

    最近、聴きたくなり、好きだった曲を全て購入。
    大人になってじっくり聞くと、変わった歌詞も、あれ?変わったという感じでもない。なんだか、すごい詞なんだなと。天才ではないか。
    これはじっくり意味を考えたくなる歌詞だと思い、歌詞集がないだろうかと探す。

    そして、この本を見つけた。
    ロバート・キャンベルさんが、英訳したもの。
    キャンベルさんがどうやって英訳したのかが前半に、後半に英訳がある。

    英訳にするのは難しい。
    キャンベルさんはいろいろ想像したり、実際に陽水さんに聞いてみて、英訳をする。
    その力量もすごいけど、キャンベルさんの日本人以上の文章には唸ってしまう。

    井上陽水さんとキャンベルさんの素敵さに触れられる。

  • 井上陽水の詩を「英語にする」という入り口から、ご本人の言葉を交えて覗き込めるのって、予想を超える贅沢でした。

  • 井上陽水はやっぱ天才だな

  • 「傘がない」は”I've Got No Umbrella"ではなく”No Umbrella”だといいい、「いいですか、傘は象徴なのです。『俺の』傘ではなく、人間、人類の『傘』なのです。」という陽水さんの指摘に感銘を受けました。歌の世界が、ぶわーっと何倍にも膨らんだ感じ。
    陽水さんの歌が現在も、トリビュートとかで歌い継がれている理由がわかった気がします。

  • 2020.1.9

  • ふむ

  • 井上陽水の歌詞を、野暮を承知で「解釈」し、それを本人や読者に投げかけると言うのは、相当勇気の要ることだと思う。で、やっぱり野暮なのだが、それに対する井上陽水の反応が、いつものごとくのらりくらりとしていて、期待を裏切らない。著者のロバートキャンベルも、それを楽しんでいるのがよくわかる。

  •  日本文学の研究者ロバート・キャンベルが、病気を患って入院していたとき、ベットの上で毎日一つずつ井上陽水の歌詞を英語に訳してみたーそれらを集めた本です。
     訳していたときには、「後々本にしよう」などと思っていたわけではなく、単に、「何かやりたかった」からやってみたのらしいですが……。
     本書には、歌詞をめぐる井上陽水との対談も取り上げられています。陽水がどのような思いでその歌詞を書いたのか……そんなことも聞き出したりして、なかなか面白い。ロバートが「こんな風な英訳にしてみたいのだが」というと「それはちょっとニュアンスが違う」「そんな風に考えたことがなかった」などと反応するのです。
     陽水の歌詞は、日本語で読んでもなかなか捉えどころがないことが多いので(だからこそ人気もあるといえますが)、それを英訳しようとすると、その歌詞を読んだ人の主観がどんどん入り込んできます。英語には主語があるのが当たり前ですが、英訳するときにその主語をIにするのかWEにするのか。はたまた、YOUにするのか三人称単数にするのか。時制は現在なのか過去なのか。いろんなことが気になってくるのです。
     50曲の歌詞とその英訳だけを読んでも面白いですが、本書の半分以上を占めているロバートの解説を読むことで、より日本語の歌詞と英訳を対比しながら読んでみたい思えると思います。実際私は、あっちこっちめくりながらスマホで単語を調べながら読んでみました。
     まだ、50曲すべては読んでいませんが…。
     ロバートの日本文学研究の片鱗があちこちにちりばめられてもいて、なかなか読み応えのある本です。
     解説部分の英語単語にカタカナが振ってあって、ちょっとびっくりしました。

  • 「英訳を通して元の日本語詞の魅力を新たに浮き彫りにする」
    そのような本書の狙いにおいて、個人的に特にすごいと思ったのは「飾りじゃないのよ 涙は」のタイトルについてです。

    ロバートさんがつけた英題は「No Trinkets There Tears」ですが、気になったのはこの中の「飾り」の部分。
    自分の限られた語彙の範囲で考えるなら「ornament」や、もっと即物的に「jewel」あたりになりそうですが、ここであてられているのは「trinkets」という単語でした。

    (以下、私の勝手な解釈です。)
    元の歌詞をよく読むと、この曲では「主人公(おそらく女性)の心の葛藤」が描かれており、その主人公は「涙を使って人の気を引こうとすることへの違和感」を抱えています。
    「本当の恋をしたことがなく、泣いたことがない」主人公は、しかしながら「いつか恋人に会える時、泣いたりするんじゃないか」と感じています。

    そういったことを踏まえてこの「trinkets」の意味を調べてみると、「小さな装身具」そして「つまらないもの」とあります。
    つまり「No Trinkets There Tears」とは、「涙は小さな装身具(=人の気を引くためのアイテム)ではない」ということと同時に「涙を流すことは、決してつまらないことなんかじゃない」という主人公が内面に抱える矛盾を表している、ということではないでしょうか。

    ロバートさん、すごすぎます。

  • 井上陽水の歌詞、50曲を英訳したロバートキャンベル。日本語は、特に井上陽水の歌詞では、主語が省略されるような「あいまい」さがよく見られる。これはふくらみのある多層的で滋味深いうなぎのようなもの。一方、英語では主語をIにするのかWeにするのか、所有格をhersにするのかtheirsにするのか、主体が単数なのか複数なのか、男性なのか女性なのかなど、明確にしなければならない。井上陽水との対談。「傘がない」の「傘」は俺の傘ではなく、人類の傘、それは平和や優しさの象徴だったのか。。。目からウロコ。

  • 武蔵野大学図書館OPACへ⇒ https://opac.musashino-u.ac.jp/detail?bbid=1000153091

  •  英語のネイティブであり、日本文学研究者である著者にしか綴れない見事な一冊。
     あらためて日本語の表現の豊かさにも触れることになるし、昔から聴き馴染んだ井上陽水の歌世界の深淵を覗き見るような不思議な感覚を味わえる。

     2011年に長期入院となった際に、著者が1日1篇づつ井上陽水の詞を英訳しようと、功徳を積む写経のような気持ちで始めたのが本書の発端であると紹介されている。
     個人の作業だけでは意を尽くせない部分が残り、かねてより交友のあった陽水本人にも機会あるごとに解釈を求めたが、巧みにはぐらされてばかり。そこで著者は一計を案じ、TOKYO FMで2人の対談の特別番組を作ることにした。番組の中で「最初から『これはどういう意味ですか?』と真っ正面から聞いたんです。すると驚くほど答えを返してくれた」とのこと。
     この番組は聴き逃しているが、作詞者本人が、その不可思議な歌詞の解説を行う!?さぞや驚きの内容だったろうなということが想像できる。のちに番組は「第13回日本放送文化大賞ラジオ部門」のグランプリを獲得していることからも窺い知れよう。

     本書は、後半に50篇の詞と、その対訳が並び、前半は翻訳に至った経緯からはじまり、そのラジオ番組のトークを時折まじえて展開する。ラジオでの対話も楽しいものだったのだろう。「いっそセレナード」の歌詞”夢の間に浮かべて泣こうか”の「間」について著者が、夢1と夢2の間か、夢の最中にか?と問い詰めると、「ロバートさんはいろいろ見つけてくるね(笑)」と、半ば苦笑いで応対している様が微笑ましい。
    こうした対話を通じ、井上陽水の作品の要素を解説しつつ、言葉の裏に潜む陽水自身でさえ明確に意識してなかってであろう微妙なレトリックを、著者ならではの感性で掬い上げ、英語というフィルターを通して意味を再構築していく様が語られる。その作業が、薄皮をはがすようで、また掬い上げたニュアンスが、これまた薄い皮膜のようでいろいろな意味が透けて見えるような不明瞭な曖昧さを湛えていることを再認識させてくれる。著者の絶妙な筆致と、気づきに終始唸らされながら読み進むことができる。

    また翻訳という作業の面白さと難しさも存分に味わえるのも本書の妙味。さらに今回は対象が単なる文章でなく「詩」である。しかも、その向こうにはメロディが存在することがさらに本書の味わいのレイヤーを深めてゆく。
    日本語と英語の理解のみならず、歌詞としての解釈、そこの含まれる意味あいや感情の理解に加え、曲調やスピードなども訳詞には求められるのだろう。実際、著者も「今回は歌詞の翻訳なので、リズムや速度、音の調子なども制御する必要がありました」と、別のインタビューで語っている。

    さらに著者は、こうも願う;
     「対訳を読んだ後に、もういちど日本語に戻って読んでみてほしいと思っています。」
     そう、本書の素晴らしいところは、慣れ親しんだ作品ゆえに、原詩から英訳することで解釈された意味と、英訳した上で改めて見る日本語から立ち上がる風景に、微妙な違いが見てとれるところだ。読む前から予想できた、主語の有無(私(I)なのか私たち(We)なのか)、時制の問題(今(is)なのか過去(was)なのか未来(will be)なのか)が明確になる以外の、新たな発見があることだ。他文化を触媒として、自らの文化や価値観に新たな解釈が加わる快感を味わえる。
     面白い発見も多い。印象的だったのは、「勝者としてのペガサス」。サビの歌詞は、

    ♪大空を駆け巡り ペガサスが行く 
       草ムラヘ逃げ込んだ 小犬がふえる

     この「ふえる」に、著者が喰いつた。 「生殖」による増えるか、「集まる」ことによる増えるか!?  陽水の答えは「集まる」だった。

    「うん。僕は進化というものを信用していないんです。進化に反比例して人間の幸福度が減るというのがぼくの世代の考え方ですから。」

     “ぼくの世代の考え方”という、戦後のベビーブーマー世代、団塊の世代だった陽水たちの世代の思想にも迫る。
     この「勝者としてのペガサス」を通じ、故筑紫哲也氏との関係にも、改めて思いを馳せられたのもよかった。
     「NEWS23」のエンディング曲「最後のNEWS」は思い出深い曲だけど、それ以前に、筑紫さんが自身の番組の最後に陽水に「勝者として~」を披露してもらっていたこと、また大麻事件の際に、筑紫さんが事件と絡めて井上陽水の作品まで否定することに異を唱えていたことなどを知った。本書をきっかけにネット検索して知ったことではあるが、二人の浅からぬ関係性を改めて知れた。

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著者プロフィール

東京大学教授/研究分野:近世・明治文学/主要著書・論文:『ロバートキャンベルの小説家神髄 現代作家6人との対話』(編著、NHK出版、二〇一二年)、『海外見聞集』「特命全権大使 米欧回覧実記(抄)」(校注、岩波書店、二〇〇九年)、『Jブンガク 英語で出会い、日本語を味わう名作/作業担当:0』(編著、東京大学出版会、二〇一〇年)

「2017年 『アプリで学ぶくずし字』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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