- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065219096
作品紹介・あらすじ
ワールドワイドに活躍する美術家が80歳を超えてなお創作する心の軌跡を、想定外の半生を振り返り綴ったエッセイ集。講談社エッセイ賞受賞作。
【目次】
1 宿命に気づく時
2 肉体が感得するもの
3 鍵の在処
4 観察の技法
5 波乱の始まり
6 想定外の連続
7 買書の心得
8 三島由紀夫の冷静
9 地獄と天国のジェットコースター
10 インドからの呼び声
11 小説と画家宣言
12 「ディオニソス」の饗宴
13 ラウシェンバーグの軽やかな芸術
14 滝のひらめき
15 運命を手なずける
16 映画の手がかり
17 少年文学の生と死
18 言葉を離れる
19 自分の中の革命
感想・レビュー・書評
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横尾忠則(1936年~)氏は、著名なグラフィックデザイナー、版画家、画家、作家。ニューヨーク近代美術館(MoMA)で現存のデザイナーで初めての個展開催、パリはじめ世界各地のビエンナーレでの受賞、ベルギー国立20世紀バレエ団のミラノスカラ座公演での舞台美術担当など海外でも活躍し、毎日芸術賞、紫綬褒章、紺綬褒章、旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞等を受賞・受章。また、初の小説集『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞(2008年)、本エッセイ集で講談社エッセイ賞を受賞(2016年)。
本書は、月刊誌「ユリイカ」に「夢遊する読書」と題して2011~14年に連載(途中2年ほど連載休止)されたエッセイ18篇と、語り下ろしの1篇をまとめて2015年に出版され、2020年に文庫化されたもの。
内容は、連載のタイトルの通り、横尾氏の読書との関わりが通底するテーマとはなっているが、むしろ、横尾氏の半生を振り返った自伝的エッセイ集として読めるものである。
私は、ノンフィクションやエッセイが好きで、各種のノンフィクション賞、エッセイ賞を受賞した作品を多数読んできており、本書も、その流れで手に取ったもので、横尾氏のグラフィックデザイナー・画家としての実績等については、不覚にもほとんど知らなかったし、普通の会社員である私にとって、芸術家の世界・生活というのは最も想像し難いものの一つであったが、本書を読んで、ある意味驚きの連続であった。
特に、(若い頃の)「来るもの拒まず」という著者の姿勢がもたらした、幅広い分野での活躍と、様々な著名人との交流(登場するのは、三島由紀夫、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、寺山修司、モーリス・ペジャール、ジャンニ・ヴェルサーチ、黒澤明ら限りがない)、そして、それらから派生した数々のエピソードは凄まじい。
また、美術(芸術)に興味のある、或いはその道を志す人にとっては、横尾氏のキャリアや考え方は一つの参考になるものなのであろう。横尾氏のいう芸術とは、ひと言で言うなら「極めて肉体的なものであり、言葉で表せないもの」ということになろうか。
更に、もう一つの読みどころは、自己肯定感の強い横尾氏が、70代後半になって、話したり聞いたりすることに不自由を感じるようになり(連載の17篇までと18篇の間が2年空いたのはそのため)、自らの老化・死を否応なく意識するようになって綴った、最後段の生死観の部分であろう。結論的な見解が述べられているわけではないが、波乱万丈の人生を送ってきた芸術家が、どのような思考プロセスを辿るのかは興味深い。
世界的なグラフィックデザイナー・画家が半生を振り返った、興味深い自伝的エッセイ集である。
(2022年9月了)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者の生い立ちから現在の地位に至るまで、親交が深かった三島由紀夫との思い出、死生観などがギュッと積み込まれています。横尾忠則の熱量、「美術は言葉ではなく肉体で語る」がそのまま、読者に伝わる本です。
文章は息継ぎなしに、一方的にまくし立てられるような、スピード感がありますので、好き嫌いがあるかもしれません。 -
横尾忠則、交友関係がアツ過ぎる…。練りに練られた文章って感じじゃないのが内容と照らし合わせて考えた時すごくいいなとおもった。
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横尾忠則さんの半生、思考のエッセンスがギュッと詰まったエッセイ。横尾忠則さんが語る波乱万丈な半生はまるで何か見えない力(それこそ運命や宿命と言いたくなる程の)に導かれ、突き動かされてきたようで、この人は芸術家になるべくしてなったのだと強く思いました。また綴られる横尾さんの絵画に対する揺るぎない信念、肉体を通した経験は目からウロコが落ちる思いでした。言葉は観念的であるが故に嘘をつけるけが、絵画は肉体であるが故に嘘をつけない。考えて見れば文学、文芸は嘘の言葉と戯れることに妙がある芸術だ。逆に絵画は言葉を必要としない。読んでなるほどなあと唸ってしまいました。読みながら、情報過多にある現代は言葉のノイズが多すぎるなと感じました。そして何か1つの絵を見る時、ふと心が静かになる瞬間があるのは、絵には何の言葉も存在しないせいなのかもしれないと思いました。「映画の手がかり」で横尾さんの夢想する映画をぜひスクリーンで見てみたいと思いました。表紙のマグリットの絵もインパクトがあって好きです。横尾さんの書かれた小説も読んでみたい。
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数奇な半生を振り返るエッセイも面白かったが、後半の「運命を手なずける」「少年文学の生と死」「言葉を離れる」あたりの、老境に入ってからの死生観、運命に対する考え、肉体vs言葉の総まとめ、といった文章に圧倒された。
言葉よりも肉体を通じて得るもの=絵画を重要視していることが繰り返し説かれる一方で、それを説くために膨大な言葉を繰り出しているという、矛盾というか皮肉が面白い。
書名にもなっている「言葉を離れる」ということを説明する横尾さんの言葉そのものが、魅力的だと思った。
狙ってやってるのではないのだとしたら、うらやましい。 -
観念よりも肉体的刺激を信じてきた画家が伝える「魂の声」。講談社エッセイ賞受賞作。
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横尾忠則さんの半自伝のようなエッセイ集で、考え方や死生観に物の見方までが分かる。受動的でありながら縁と運にも恵まれて躍進していく姿が痛快。絵を描くことに主題や思索、感性まで無くそうとしているという話が興味深かった。いい加減に生きてきたと説明しているが、考えることがやめられず大真面目に遊んできたように思えた。
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かの画家の、雑誌に連載された読書について、というよりむしろ半生についてのエッセイ
運命に従い、全て肯定する様な生きた方
その道程や交友関係や作品は凄まじいけど -
人生とは自分のルーツを紐解く作業なのか。
自分の運命を想像する。