性(セックス)と宗教 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 29
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065268476

作品紹介・あらすじ

■性をめぐる宗教界のスキャンダルとは

■なぜ浄土真宗だけが僧侶の結婚を許されていたのか

■親鸞は本当に「愛欲の海」に沈んだのか

■カトリック教会が頑なに独身制を維持する理由とは

■イエスに邪な気持ちはあったのか

■なぜイスラム教は性を禁忌としないのか

■罪となる性行為の中身とは

■密教にも存在する性の思想とは

キリスト教・仏教・イスラム教……
人間の性の欲望と戒律をめぐる
すべての謎を解き明かし、
宗教の本質に迫る!

・・

性ということと宗教とはどのように関係するのか。

それがこの本のテーマです。この場合の性とは、
文化的、社会的に作り上げられた性差としてのジェンダーを意味しません。
行為を伴ったセックスとしての性です。

この本は小著ではあるものの、世界の主要な宗教における
性の扱い方を対象とすることによって、
「性の宗教史」としての性格を持っていると言えるかもしれません。
それは、これまでになかったアプローチの仕方ではないでしょうか。

篤い信仰を持っている人たちは自らの宗教を神聖視し、
欲望とは切り離された清浄なものと見なそうとします。
それは信仰者の願望ということになりますが、
そこで性の問題を無視してしまえば、人間の本質にはたどりつけません。

人間は、自らが抱えた性の欲望に立ち向かうことで、
宗教という文化を築き上げてきたのではないでしょうか。

性を無視して、宗教を語ることはできないのです。

・・

本書のおもな内容

第1章 なぜ人間は宗教に目覚めるのか
ーーーー信仰の背景にある第2次性徴と回心の関係性
第2章 イエスに邪な気持ちはあったのか
ーーーーキリスト教が「原罪」と「贖罪」を強調した理由
第3章 なぜ聖職者は妻帯できないのか
ーーーー仏教とキリスト教の違い 女犯とニコライズム
第4章 戒律を守るべき根拠は何か
ーーーー邪淫が戒められる理由
第5章 なぜ悟りの境地がエクスタシーなのか
ーーーー房中術と密教に見る性の技法
第6章 なぜイスラム教は性を禁忌としないのか
――――預言者の言葉から読み解くその実態
第7章 親鸞は本当に「愛欲の海」に沈んだのか
ーーーー浄土真宗だけが妻帯を許された理由
第8章 神道に性のタブーはないのか
ーーーー日本独特の道徳観と系譜
第9章 なぜ処女は神聖視されるのか
ーーーーマリアとスンナに見るその意味

感想・レビュー・書評

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  • 神学書を読む(78)島田裕巳著『性(セックス)と宗教』 : 書籍 : クリスチャントゥデイ
    https://www.christiantoday.co.jp/articles/30771/20220404/theological-books-78.htm

    性(セックス)と宗教 | 現代新書 | 講談社
    https://gendai.ismedia.jp/list/books/gendai-shinsho/9784065268476

    『性(セックス)と宗教』(島田 裕巳):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000361490

  • 性と宗教、というと縁遠いような印象と、非常に近い印象との二つの相反するイメージがある。
    本書は、まさに性行為そのものが、各宗教でどう取り上げられてきたかを示している。
    主に取り上げられるのは、キリスト教、イスラム教、仏教、神道だが、そのほかの教義についても一部触れる。
    古い宗教である、キリスト教、イスラム教、仏教については、女性の地位が一段低く扱われることがある。
    例えば、仏教においては変成男子、イスラムの9歳から結婚が可能と考える根拠、バチカンの女性神父拒否など…
    現代にそぐわないとされる教義も、後世の人々が勝手に替えられないというところに、宗教の在り方が問われていることも、筆者は後書きで指摘している。
    これは研究者らしい視点で、よく指摘してくれたと思う。

    また、面白いのはヨガ思想にかかる指摘として、オウム真理教についての指摘もあるところだ。
    本書は宗教についてなので、この団体が何を行ったかなど、刑法等に係る指摘はなされていないが、
    新宗教の教義に係る話の流れとした興味深い。

    人に備わっている性欲をどのように捉えるか。
    生き物としての根源を考えさせ、実に興味深い。

  • 聖職者は妻帯しない、そんな話から始まるものの
    後半は民俗学の柳田國男も登場し、性(セックス)男色の話が宗教とどうか関係するのかよくわからない顛末。

    最終章のイエスの母であるマリアは処女でイエスを産んだことは無原罪であり、これが様々なことを意味し規範となっているとしる。
    イエスの復活で登場するマグダラのマリアとは違うという事がはっきり分かった。(今更だろうけど)

    日本の宗教では妻帯を認めているものもあり、この経緯やその発展は成る程と思う。
    イスラム教については、馴染みがなく知る機会がなかなかないが、どうしても女性が幼く嫁ぐイメージが抜けない。この本にもその辺りの例があるし、布を纏い晒すことを控えるというものは宗教からの習慣。
    決して良し悪しではなく日本人はイスラム教を知らな過ぎると感じた。

  • 世界三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教が性行為についてどのように考え、位置づけているのか、また何故性行為をタブー視しているのかを解説した本。本書を読むと知ってるようで知らなかったそれぞれの教義について改めて接してとても勉強になりました。キリスト教が性をタブー視しているのは原罪という教義と結びついていることやイスラム教では特に性的なことに対して戒律はなく、仏教においては、明治になって国が僧侶の妻帯を許したこと、その特異な発展から浄土真宗だけは古くから妻帯を認められていたことなど、興味深く読みました。中でも複雑なのはキリスト教で、聖母マリア信仰や三位一体の問題についても軽く触れられています。おわりに書かれているように、宗教は本質的に男性中心主義ということで、ジェンダー面で今までのあり方では現代とそぐわない。宗教がこれからも在り続けるにはどうしたら良いのか、その必要性も含めて考える時期に来ているのかもしれないなと思いました。

  • 宗教では禁欲主義が多い。人を導いていく指導者には、人間の性の欲望が邪魔となるものだろうか。
    一般的に考えても、目標に向かって継続して努力することに必要なことは、性の欲望に溺れないことが大事であるように。

  • この本を読むにあたって念頭にあったのは、「源氏物語」宇治十帖の中での横川の僧都のことばである。浮舟の幼い弟に対し「また遊びにおいで」という。稚児愛というものであっただろうということだが、それがいかなる感情なのか。また、カトリック教会での性虐待が問題になることがあるが、それはどういう状況でどういう思いで行なわれることなのか。そのあたりが知りたかった。そして、いくぶんかはその辺の話も出て来てはいたが、しっかり納得できるところには至っていない。仏教にしてもキリスト教にしても、女性との交わりを戒めるところがある。その抜け道として、男色などがあったのだろう。それが幼い男の子に対してだったかもしれない。人間以外の動物に対してであったかもしれない。いずれにせよ、押さえきれない性の欲望を解き放つための行為と言えるのだろう。ああ、何だかモヤモヤする。生殖のための性は認めるべきではないのか。親鸞が妻帯して、浄土真宗が日本で広がったというのも分かる気がする。イスラム教は、外では女性が肌を露出することを許さないが、家の中での性について自由にさせているようだ。婚姻関係のある中での性が許され、それ以外が禁じられるというのならまあ分かる。日本でも明治より前と、それ以降でずいぶん違うようだ。自分は明治以降の価値観にしばられているのかもしれない。まあ、いずれにせよ宗教は男性のものだったのだろう。現代の世の中にあった形での宗教が望まれる。折口信夫の男色については何かで読んで知っていたが、南方熊楠もまた同じような傾向があったのか。赤裸々な語りは何とも言えない。それと、折口が、織田信長と森蘭丸の話を持ち出して、弟子に「おまえもこれで有名になれる」と迫るなんていう話は、あまりにも身勝手ではあるまいか。そしてさらに驚きの事実。“LET IT BE“のmother Maryはポールの実の母のことだったのか。初めて知った。 

  • 枕草子の海外での評価の流れで、そもそもキリスト教はどうしてエッチなのがだめなんだっけと思って念のため読んだ。アウグスティヌスが、アダムとエバのやらかしの中でも性交に焦点を当てて原罪としたあたりが原因ぽい。
    ※原罪云々はキリスト教の(おそらく一部の)考え方なので、同じ旧約聖書を採用していてもユダヤ教やイスラム教では様子が違うことに注意。

  • 性と宗教は相容れないもののと考えていましたが、生物が命を繋いでいくために必要な性は、ある意味で人間が命や生活の支えとしている宗教と密接に結びついているという考えが目から鱗でした。

  • 行為を伴ったセックスとしての性と宗教はどのように関係するのか。キリスト教、イスラム教、仏教など、世界に存在する主要な宗教を対象に、それぞれの性と宗教との扱い方の違いを取り上げ、個々の宗教の特質を明らかにする。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40288886

  • 本質が良くわかった

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著者プロフィール

島田裕巳(しまだ・ひろみ):1953年東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、現在は東京女子大学非常勤講師。現代における日本、世界の宗教現象を幅広くテーマとし、盛んに著述活動を行っている。 著書に、『日本人の神道』『神も仏も大好きな日本人』『京都がなぜいちばんなのか』(ちくま新書)『戦後日本の宗教史――天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書)『神社崩壊』(新潮新書)『宗教にはなぜ金が集まるのか』(祥伝社新書)『教養としての世界宗教史』(宝島社)『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)等多数あり。

「2023年 『大還暦 人生に年齢の「壁」はない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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