- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065277218
作品紹介・あらすじ
自分の人生と戦い続けるためにーー老いてこそ真価を発揮する教養とは何か。
読書、音楽、外国語、老い……、ドストエフスキー研究の第一人者が多角的な見地から真の「教養」に迫る。
●時を経た「再読」が、老いてからの可能性を教えてくれる
●教養人の知識は、つねに「哲学」に裏付けられている
●苦手なもの、嫌いなものこそ可能性の泉となる
●大江健三郎と村上春樹から考える「教養の継承」
●難解な長編小説を読むコツは、冒頭三十ページの二度読み
●英語を学ぶことで失うもの、母語の重要性
●検索エンジンでの複数の語をぶつけあって生まれる「知」
●豹変を恐れるな、隣人の「愛」を模倣せよ
●老いをどう乗り越えるかーーエネルギー源としての「忘却」
本書の内容
序章 人は信念とともに若く
第一章 「教養」、すこやかな喜怒哀楽
第二章 少年時代 「私」という書物1
第三章 青春時代 「私」という書物2
第四章 「私は外国語が苦手」
第五章 モンタージュ的思考
第六章 実践の技法
第七章 俯瞰的思考
第八章 老いの作法
感想・レビュー・書評
-
ドストエフスキーといえば亀山郁夫氏。
東京外国語大学、名古屋外国語大学の学長を務められていたとは知らなかった。
教養とは「共通知」とも言える。
「知の取得は、おおむね探求型から選択型に代わり、それと同時に『共通知』の体系は根本から揺らぎはじめ」た。
そこには、情報の点的な取得があって、継承という線的な流れが機能しなくなっている課題がある。
一冊の本を読んでも、教養がなければ見過ごしてしまう、感じ取れない節がある。
お互いにそうと分かっていて進むような、深い対話を実現するためには、母語でなければ困難を伴う。
「教養知、すなわち教養人と呼ばれる人々における知は、『全人』的という表現に値する、ある有機的な結びつきのなかで披露されるわけです。すなわち哲学です。教養と常識は、裏づけとなる哲学があるか、ないかによって二つに分岐する、といってもよいでしょう。哲学が、最終的には、『人格』の理念と深く呼応していることはすでに述べた通りです」
後半のリーダーシップ論も面白い。
今の自分にとっても「黙過」は主題になりえる。
「問題は、いっさいを『黙過』せず、すべての問題にコミットすべきなのか、それとも問題によっては『黙過』も可とするのかという点にあります。組織全体の名誉を考え、黙過することによって汚名から逃れる場合もないではありません。誰しも、汚名を恐れています。しかし、黙過によってたとえ組織が救われても、個人の良心は痛みつづけます。その痛みに敢えて目をつぶるのか、つぶらないか。理性は、むろん、つぶらないという選択肢を指示していますが、本能は、つぶりたいと考えている。全体か、個人か。その場合、上から見下ろすか、横から凝視するか。すべての組織、すべてのリーダーを悩ませる根本問題です。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
やっと読み終わったー。時々、積読していたので、半年かかってしまった。
外語大学長にして、ドストエフスキーの研究者。作者の教養と博学と、癖のあるものの考え方に蹴躓きながら、(凡人の私とは悩みのレベルが違いすぎるぅー)終章までたどり着いたら、いつのまにか卒業生への餞の言葉になっていた。
とはいえ、沢山折り目をつけているので、参考にしたいことだらけだったことは確か。
例えば「読者とは他者を受け入れること」。書くと身もふたもないが、作者の体験を通じて提示されるので、ごもっともですと敬服致すのです。 -
ロシア文学者であり東京外大学長である著者における教養とは?何が語られるのか、興味を持って読み始めた。人生百年と銘打ったタイトルから、どんな提言が出てくるのか、教養について、一般論的に本質論が展開されるかと思ったが、そんな期待は肩透かしにあった。著者の人生を辿る形で、ドストエフスキーとの関係性を底流に、個人史的な歩みの中で教養というものを捉えている。教養は個人の中で閉じるものでなく、他者との関係性をもって初めて生きるものである、という論旨は納得できる。
還暦を過ぎたあたりからの教養に基づく人生観が語られ暗い印象が落ちてくるが、最後の段になって、ロシアのウクライナ侵攻に触れる段落には警句とすべき文言が見出される。 -
「変えられることと変えられないことの境界を区別できること」「そして変えられないことは受け入れること」
この人の話を聞いていると、文学や音楽というものが、将来自分を振り返ってみた時、かなり大事なものになる、それらから何を得たのか、見ることができたのか、考えることができたのか。自分も後半に入ったのは間違いないのだから、大袈裟でなく、残りの一日一日を考えながら生きたいと思った。 -
ドストエフスキーの訳書などで知られる亀山氏の教
養について語られた自伝的著作です。
そもそも教養とは何か。から始まり、自身にとって
その教養を身につけるためにどのような人生を歩ん
できたかを語ります。
納得させられたのは、高校生の時からの読書量とそ
の中身です。
重厚な文学小説に挑んでいます。
やっぱりその頃の読書は後の人間を形づけるのだな
あと思い知らされます。
ちなみに亀山氏の「教養とは?」の問いに対する答
は「もっとも高価だけれど、もっとも安く手に入る
最高のブランド品」だそうです。 -
亀山氏というと、ドストエフスキーの翻訳が有名だね。いくつか本を読んでいるし、佐藤優氏との対談も読んでいる。本書は、亀山氏の読書を中心とした知の変遷。興味は惹かれつつ、ドストエフスキーとかロシア文学から感じられるカタサのようなものから、退屈なんじゃないかなぁなんて思ったものだけど、予想よりも面白かった。学生運動が華やかだった亀山氏の学生時代から、研究に向かう懊悩、ソ連に行ってスパイと間違えられてほんとに殺されるんじゃないかと思ったような体験など、引き込まれて読んだな。俺自身は夏目漱石の『こころ』は教科書以外未読なんだけど、十代で読んだときと、大人になってから読んだ印象がまったく変わっていたというあたり、読書人の成熟を感じられるエピソードだった。音楽や、大学人としての話、英語とのつきあい方など、話題も幅広く、楽しかった。
-
最初はとっつきにくい本だったけど、内容の幅広い厚みのある人生の指南書て感じ。ドストエフスキーを縦糸に人生を横糸にして書いたしてあるが、色路教えられ勇気をもらい本を紹介してもらっている。
これからも人生の伴奏者として百歳に向けて我々の檄文を寄せてほしい。
若いころは酒とかけ事にのめりこんだと書いてあるけど何にのめりこんだのだろう。 -
亀山郁夫先生が、若い頃、賭け事やアルコールに依存したこともあったとは。そんな過去の苦い経験も含めて、これからこの困難な時代を生きていく後輩たちに送った書。
温かく真摯な書だと思った。
神という絶対的な存在を持たない我々には、芸術がそれに置き換わることができること。
目から鱗!
大人であるには、「公共の嘘」を受け入れるしたたかさが必要であること。
リアルな助言。
村上春樹や大江健三郎を読むにあたって、ドストエフスキーの知識が基礎となること。
ドストエフスキーはやはり避けては通れぬか…。わかってはいるのだ(笑)亀山先生が言うのなら読もうではないか。
「桃李成蹊」
なにはともあれ、これからもバリバリ本を読もう! -
あるロシア文学者の半生と教養との向き合い。今の流行りの教養論。自分のコンプレックスとかも正直に吐露している。
音楽と外国語推し。文学との付き合い。自分という書物。一元化を強いるグローバリズムへの対抗として日本の伝統文化への回帰。実学志向への批判。