- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065277508
作品紹介・あらすじ
日本人は誰もが「攘夷派」だった!
「尊皇攘夷vs.公武合体」という幕末史の定説を覆し、日本人の対外認識の原型を抉り出す、画期の書。
[本書の内容]
序 章 幕末のイメージと攘夷
第一章 東アジア的視点から見た江戸時代
第二章 幕末外交と大国ロシア
第三章 坂本龍馬の対外認識
第四章 攘夷実行と西国問題
第五章 攘夷の実相・朝陽丸事件
終 章 攘夷の転換と東アジアの侵略
感想・レビュー・書評
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著者の言いたいことは、幕末の政争を“尊王攘夷"vs.”公武合体“と捉えるのでは見誤ることになる、主たる対立軸は、「攘夷」に関する時期や方法についての違いであり、言い換えれば「未来攘夷」か「即時攘夷」かの対立である、とする。
本書前半では、そもそもなぜ攘夷なのか、経世家や為政者の対外認識、理論的、思想的背景としての「日本型華夷帝国」思想が論じられ、また18世紀後半からのロシアの脅威が直接の引き金となって、国防・海防意識が醸成されていった経緯などが説明される。
後半では、主として文久年間に焦点を当て、攘夷がどのように、どの程度実行されたのか、どのような影響を政局にもたらしたのかが描かれていく。
この部分が読み応えがあった。
当時の朝廷は、即時の破約攘夷を主張し天皇親政を目指す廷臣が主導権を握り、そこに長州激派が結び付いていた。そして攘夷実行を指示する"勅命"と、横浜鎖港の交渉中であり、日本側から先制的な攻撃はするなとする"台命"との政令ニ途の状況に、西国諸藩は板挟みとなる。
なるほどと思ったのは、長州藩とは対岸の位置関係にある譜代藩、小倉藩との関係について。通行する外国船に対して、下関海峡を挟む両藩が同時に攻撃をしなければその実効性は上がらない、そのため長州藩は、朝廷の権威を盾に、小倉藩に圧力をかけていく。それに対し、隠忍自重する小倉藩。
両藩の緊張高まる中勃発したのが、朝陽丸事件。寡聞にして本事件のことは知らなかった(一般書のレベルで本事件は取り上げられているのだろうか?)。
著者は、この事件が八月十八日政変決行の大きな動機になったとする。すなわち、長州藩の暴発を抑え、政令二途状況の解消を目指す勢力が、廷臣激徒と長州藩を追い落とすものであった、と言う。
幕末史は、大きな事件が相次いで起こり、立場が入れ替わったりするので分かりにくさがあるが、文久年間における大きな流れは掴めたような気がする。
ただ、「第三章 坂本龍馬の対外認識」は、一般に龍馬は開明的で、攘夷思想とは縁も無さそうとのイメージを持たれているため敢えて取り上げているのかもしれないが、全体構成の中では少し据わりが悪い感じがする。
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これより先に石井寛治『明治維新史』を読んだんだけど、こっちのが平易だったから先に読めば良かったな〜と思った
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尊王攘夷って良くわからなかったので、この本を読んだ。尊王攘夷と公武合体の対立軸ではなく、大攘夷と小攘夷の対立軸なのは理解できた。
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戦前の日本の膨張主義がすでに幕末期に萌芽が見られたこと、攘夷実行において関門海峡を挟む長州藩と小倉藩が対立し幕長戦争から維新回天にまで繋がっていくこと、一般にあまり知られていないこの辺が読みどころ。ことに後者は、勅命と台命間で揺れ動く(結局ほぼ日和見に徹する)西国諸藩、また互いに責任を押し付け合う上層部など、国是は攘夷ながらも国情はバラバラだった状況が描かれている。とはいえその間の幕府と諸藩、その後内戦を経て樹立された明治政府は、外国の内政干渉を一貫して排しており、つまり幕末における攘夷は成されたと評価し得る。その一内幕を見れる一冊。