歴史の屑拾い

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 212
感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065293713

作品紹介・あらすじ

歴史をどう語るのか。
こぼれ落ちた断片の生が、大きな物語に回収されないように。
戦争体験者の言葉、大学生への講義、語り手と叙述……。
研究者である自身に問いかけながらの試行錯誤と、思索を綴るエッセイ。


【目次】
プロローグ ぎくしゃくした身振りで
1章 パンデミックの落としもの
2章 戦争体験の現在形
3章 大学生の歴史学
4章 一次史料の呪縛
5章 非人間の歴史学
6章 事件の背景
7章 歴史と文学
エピローグ 偶発を待ち受ける

感想・レビュー・書評

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  • 【イベント&オンライン(Zoom)】『歴史の屑拾い』(講談社)・『植物考』(生きのびるブックス)刊行記念 藤原辰史×猪瀬浩平トークイベント 「土、泥、そして屑と植物をめぐって」 | Peatix
    https://peatix.com/event/3386023

    『歴史の屑拾い』(藤原 辰史)|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000369686

  • 歴史家としての真摯な姿勢。一次史料から生まれうるさまざまな叙述。
    大きな物語に絡め取られてしまいがちな、人々の営みの歴史。

  • 屑拾いが大事であるというのは歴史に限ったことではなく、例えば自分が日々の中で感じる「無名の人間の日常を描いた感動的ではない小説が読みたい」という欲求や、「インターネットってなんでもわかるようで意外と生身の人間の意見って少ないよな」という気持ちに通じるものがあると思う。

    そもそも小説の中の日常もネット上の個人の感情や意見の表明も大きく見れば歴史の一部であるという言い方もできそうだ。

    私のこの文章も取るに足らない屑の一つとして今ここに存在しているのである。

    感想全文は
    https://west-wing.hateblo.jp/entry/2023/10/15/031502

  • 偶発性、偶然、道草から出会えるもの、得られるもの、与えられるものって
    人生そのもの
    紹介されている本が読みたくなりました。
    日常生活、ささやかな発見や驚きがあるとそれだけで幸せ。

  • 著者は「食と農」の歴史研究者。
    著作に『ナチスのキッチン』、『給食の歴史』など。
    本書は大きな歴史ではなく、歴史の屑ほどの小さいな事実に視線を向け記すエッセイ集。歴史、社会、研究生活などを語る。N

  • 記録

  • ふむ

  • 「歴史学とは本来的に、体系の学問というよりは、感情を安易に共有できない、人や出来事との出会いの学問であり、何かと出会うたびに感じる驚きと違和感の堆積のようなものではなかろうか。」

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  • 勉強で大切なのは、方法論なんかじゃなくて、自分が惹き付けてやまないテーマと出会って、それにどれだけ振り回され続けるかだと言っておきながら、延々と語られるのは歴史学者のあるべき研究姿勢について。

    ベンヤミンにとって、歴史の断片集めは、ボードレールが描いた屑拾いをモデルとしていて、著者もそれをあるべき「歴史に向き合う態度」として賞揚する。
    顔を上げ前を向き、堂々と拾い、整然と仕分けるのではなく、下だけを向き、よろめき、覚束なげに屑を拾うのだと屑ゆえに誰も所有物でもなく、どんな小さく些細なものだろと敬意を払えと。

    どのように歴史は語られるべきか。
    読者をたやすく感動させるのではなく、どこか不安を覚え、何かしらの違和感を残すような物語でなくてはならない。
    そう、予定調和ではなく不穏なもの、受け身になってただ消費するのではなく、自ら探り当てて、想像力を刺激するもの。
    わかりやすく、確固として完成した物語ではなく、つぎはぎだらけで、揺らぎ不安定な物語を。
    雄弁で、論理的で、大きなナラティブに包摂されるのではなく、細切れの、非合理で、生々しい矛盾を孕んだものだからこそ、安住した自身の思い込みを打破し揺るがせるのだ、と。

    一貫して副詞が多く、「丹念に」「大事に」「丁寧に」、歴史の断片と向き合い続けるのだとか。
    伊藤亜紗の『手の倫理』を読んだ時にも感じたが、独特の身体感覚の表現もどこか空疎で白々しく、頭でっかちに感じてしまう。

    読んでてハロルド・ブロドキーの『ごまかし』の一節を思い出した。

    「理解していると言いながら見るからに冷静な人、感情移入して書いていると言いながら、冷静に思い出を連ねる人、そう言う人は嘘つきだ。理解するということは、震えることだ。思い出すということは、再びそこへ入っていって引き裂かれ、掻き乱されることだ」

    一次史料の取り扱いの厄介さは共感を覚えた箇所。
    体験者にしか伝えられない独特の空気感を持つ証言や、講演に呼んでいざ語ってもらう段になって気が重くなるといった率直な感想、呆れるほど膨大な史料の山を前に途方に暮れる気持ち、ひょっとしたら嘘・偽りなのではないかという疑心など、様々な思いが交差する。
    ナチス農業省指導者の書簡の中の、読み飛ばしてしまいそうな「封鎖という」一語の背景にある、途轍もない過去のトラウマなど、先入観や思い込みに囚われていてはたちどころに足下を掬われかねない危うさをもつ。
    一次史料は呪縛であり、呪いでもあるのだが、それでも驚くべき力を秘めている。

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著者プロフィール

1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)で日本ドイツ学会奨励賞、2013年、『ナチスのキッチン』(水声社/決定版:共和国)で河合隼雄学芸賞、2019年、日本学術振興会賞、『給食の歴史』(岩波新書)で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、『カブラの冬』(人文書院)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『食べること考えること』(共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)ほか。共著に『農学と戦争』、『言葉をもみほぐす』(共に岩波書店)、『中学生から知りたいウクライナのこと』(ミシマ社)などがある。

「2022年 『植物考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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