今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて (講談社現代新書)
- 講談社 (2022年10月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065300138
作品紹介・あらすじ
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約100ページで教養をイッキ読み!
現代新書の新シリーズ「現代新書100(ハンドレッド)」刊行開始!!
1:それは、どんな思想なのか(概論)
2:なぜ、その思想が生まれたのか(時代背景)
3:なぜ、その思想が今こそ読まれるべきなのか(現在への応用)
テーマを上記の3点に絞り、本文100ページ+αでコンパクトにまとめた、
「一気に読める教養新書」です!
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経済学者・宇沢弘文は、半世紀も先取りして、行き過ぎた市場原理主義を是正するための、新たな経済学づくりに挑んだ。すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できる。そのような社会を支える経済体制を実現するため、「社会的共通資本の経済学」を構築した。
この小著では、経済学の専門的な話はできるだけ避け、宇沢が「社会的共通資本」という概念をつくりだした経緯や思想的な背景に焦点をあててみたい。宇沢が環境問題の研究を始めたのは半世紀も前であり、地球温暖化の問題に取り組んだのは30年あまり前からだった。先見の明というより、問題を見定める際の明確な基準、つまり、思想があったからこそ、これほど早く問題の所在に気づくことができたのである。
ロシアがウクライナに侵略して戦争が始まったとき、欧州のある金融機関が、武器を製造する企業への投資をESG投資に分類し直すという動きがあった。ふつう、ESG投資家は人道主義の観点から、軍需産業への投資には抑制的だ。しかし、アメリカなどがウクライナに武器を供与する現実を目の当たりにして、「防衛産業への投資は民主主義や人権を守るうえで重要である」と態度を豹変させたのである。
ESGやSDGsに先駆けて「持続可能な社会」の条件を探求した宇沢なら、このようなESG投資を認めることは絶対にあり得ない。思想が許さないからだ。「ステークホルダー資本主義」「ESG投資」「SDGs」を叫んでみたところで、一本筋の通った思想がなければ、結局は換骨奪胎され、より歪な形で市場原理主義に回収されてしまうのがオチだ。
資本主義見直しの潮流が始まった直後、世界はコロナ・パンデミックに襲われ、ウクライナの戦争に直面した。危機に危機が折り重なって、社会は混沌の度を深めている。
宇沢の思想に共鳴するかしないかが問題なのではない。生涯にわたって資本主義を問いつづけた経済学者の思考の軌跡は、かならずや混沌から抜け出すヒントを与えるはずである。(はじめに より)
感想・レビュー・書評
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新古典派経済学の批判者としての宇沢の、簡潔な一般向けの評伝。ケインズ以降、1970年代ごろまでの、手軽な経済学史としても読むことができる。
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人の世には市場に任せてはいけないものがある。
それらを社会的共通資本としてとらえる。現状とは異なる資本主義の向き合い方だ。どうしてこの考え方が主流にならなかったのか。人間の欲望とはかくも強大ってわけだ。 -
宇沢弘文氏のことは全く知らなかった
が、この本で知の巨人であると認識した。
市場原理主義に対して何十年も前に問題に気付き、解決する方法を考えてきた人がいたことは嬉しい。
現在、この問題に多くの人が気付いているというが、社会全体の総意になってはいないように思う。 -
新古典派経済学は社会的価値判断を疎かにした。ゆえに、戦争や公害に対して、彼らは無関心である。しかし、宇沢は社会的価値判断を経済分析に持ち込んだ。そこで登場するのが「社会的共通資本」である。新古典派では十分な分析ができない外部性の問題を捉えるため、宇沢はこの概念を導入した。
また、宇沢は「社会=市場+非市場」とし、非市場である社会的共通資本のネットワークを整備することで、市場は機能すると論じている。
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331-S
閲覧新書 -
とある講演会で、国土交通省の方が宇沢弘文『自動車の社会的費用』を紹介していたので、気になって入門本を読んでみました。
生い立ち以降は、経済学の教養ないと理解が難しいです。少なくとも私は無理でした(笑)見えないものを定量化するのは難しいと思うので宇沢さんはすごいなあと思ったのとカーボンクレジット(この仕組みも私はイマイチ理解できてないけど)とかの議論でも活躍する姿を見たかったなぁ思いました。 -
こんな人だったんだとおもろきの1冊。
宇沢さんといえば、数学が得意で、経済学の科学化に貢献した人。でも、市場原理主義ではなくて、社会資本、公共財といったところにも、議論を広げた人という印象だった。
が、これによると、もともと数学科だったのが、マルクスにいき、その後、アメリカで行動主義的な経済学者として業績をだしたのち、日本に帰ってからは、公害問題などに関心をもって取り組んだ人。
つまり価値中立的ではなく、価値判断をいれるしかないということをやった人なんですね。
これはすごいことだ。
そして、それを定性的に語るのではなくて、定量的、経済学の一般均衡論のロジックを使って、その理論の内在的なロジックをつかって、一般の経済学が範囲外にした社会的価値について議論するという立ち位置だっただな。 -
●1960年代、ミルトンフリードマンと直接対決を繰り広げていた日本人!宇沢は、アメリカの市場原理主義的な傾向を批判した。これを是正するため、社会的共通資本の経済学を構築した。
●河上肇の貧乏物語。「1はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらずと言うが、この物語の全体を貫く著者の精神の1つである。思うに経済問題が真に人生問題の1部となり、また経済学が真に学ぶに足るの学問となるも、全くこれがためであろう」→「富を求めるのは、道を聞くためである」
●昭和31年28歳の時にアメリカへ旅立った。スタンフォード大学。
●宇沢は、市場社会主義の最も重要な理論家はラーナーであると認識していた。ラーナーはコントロールされた経済を主張していたが、それは生産手段の国有化と言う、ソ連型の中央集権的な社会主義ではない。市場経済を活用した社会主義であり、現実には存在しない社会主義だった。近年話題のMMT(現代貨幣理論)と源流は、ラーナーが唱えた「財政機能主義」である。
●宇沢2部門成長モデルの前提。資本財と消費財と言う2部門の経済を想定。資本財は、生産活動に投入される財。さらに労働者と資本家の2階級社会を想定した上で、労働者は賃金を全て消費し、資本家は利潤の全てを投資に回すと設定していた。
●大統領のブレインとなった仲間への違和感は、アメリカがベトナムへの政治介入を深めていく過程で、不信感へと変わっていった。
●南ベトナムの共産化を恐れたアメリカは、1950年代半ばから南ベトナムへの直接援助を始めていた。国家予算の大部分はアメリカが賄うようになっていたものの、支援金はキックバックしたアメリカの製品の輸入に費され、南ベトナムの経済発展にはつながらなかった。
●キル・レーシオ。ベトコン1人殺すのにいくらかかるかと言う計算。1人30万ドル。金額よりその概念自体が冷血だと思った。
●市場は社会に埋め込まれている。社会的共通資本の外伝は独特。インフラを社会資本と呼ぶのはいいとして、「自然資本」や「制度資本」と言う呼び方は一般的とは言えない。
●フィッシャーの資本概念を用いれば、資本を時間で微分したものが投資で、投資を積分すれば資本となる。 -
経済学を人類の幸福に繋げる 社会的共通資本を考えるための入門書
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親族の戦死体験、数学にのめり込んだ学生時代、経済学への転向、米国での成功と失望による帰国、公害問題への取り組みと、まるで大河ドラマを観ているかのような、1人の人間の生涯を描いたドラマチックな新書でした。