今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方 (講談社現代新書)
- 講談社 (2022年12月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065304587
作品紹介・あらすじ
権力はあらゆる関係に遍在し、私たちの生を規定する。そうした権力が織りなす現実を耐えがたいと感じたとき、状況を批判的に捉え、いまとは違った社会を、自分を、実現する道はどこにあるのか。
私たちはなぜこのような状況に置かれているのか?
何に我慢がならないのか?
こんなふうに統治されないためにはどうすればよいのか?
[本書のおもな内容]
●権力は誘惑し、行為を促す
●学校・会社・病院は、人を「最適化」する装置である
●完全競争実現のため、新自由主義は社会に介入する
●私たち「ひとり企業家」の能力(スペック)向上の努力に終わりはない
●政治とは、自他の統治が入り乱れる「ゲーム」である
●主体には、つねに別の振る舞いをする力が備わっている
●批判とは、「このようには統治されない技術」である
●哲学的に生きるとは、社会を批判的に捉え、真実を言い、自分自身を変えること
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100ページで教養をイッキ読み!
現代新書の新シリーズ「現代新書100(ハンドレッド)」刊行開始!!
1:それは、どんな思想なのか(概論)
2:なぜ、その思想が生まれたのか(時代背景)
3:なぜ、その思想が今こそ読まれるべきなのか(現在への応用)
テーマを上記の3点に絞り、本文100ページ+αでコンパクトにまとめた、
「一気に読める教養新書」です!
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感想・レビュー・書評
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フーコーを100ページでまとめるとどうなるのか?
ということにはやはりならず、「後期」フーコーの入門書です。
個人的にフーコーで関心があるのは、権力論、主体論、統治論で、本でいうと「監獄の誕生」〜「性の歴史」、コレージュ・ド・フランスの講義でいうと76年の「社会は防衛しなければならない」〜84年の「真理の勇気」のあたりなので、この本で取り扱われているところとほぼ重なる。
フーコー関係を初めて読む人、あるいは、「後期フーコー」の著作なり、講義を全く読んだことがない人が、どの程度、これを読んでわかるのかどうかは全く不明だが、私的には頭の整理になった。
後期フーコーのキーワードの一つは、「生政治」。
その概念は、著作では「性の歴史」の「知への意志」、講義では78年の「安全・領土・人口」で概論的なところは示されるのだが、さていよいよ本論という期待が高まる79年の「生政治の誕生」では、なぜか話しは新自由主義とか経済学の話しに脱線して、翌年の「生者たちの統治」では、研究計画の大きな変更がしめされて、結局、「生政治」とはなにかがわからないまま、ギリシャ〜ローマ時代の話になって、そのままフーコーはなくなってしまう。
ここは哲学史上の謎みたいなもので、それ自体が興味の対象なのだが、個人的には、「生政治」の概念にとても興味があるので、その辺りをもう少し理解したいと思っている。(アーレントの書かれなかった「精神の生活」の第3部「判断」がどういう構想だったのかというのに匹敵する謎ですね)
この本は内容的には、後期の著作と講義のわりとあっさりとした要約で、苦労しながら読んだものの再確認というところなのだが、面白かったのが、「生政治の誕生」などででてくる「新自由主義」の議論の位置付け。
フーコーの議論は、「今、当然と思っていることが歴史的にみると必ずしも当然のものではない時代があった」ということを具体的に昔のテキストを解釈しながら進めていくもので、それが現代にどうつながるのかはかなりのところ読者に委ねられている。
「生政治の誕生」は、めずらしく当時の「今」の話題であった「新自由主義」の起源を経済学の歴史や20世紀の社会変化のなかから議論するもので、それ自体は面白いのだが、「生政治」の話からは大幅な脱線と思えていた。
たしかにそれは脱線なのだが、著者は、「新自由主義」の議論をまさに「生政治」の現在形として読み込んでいる。
ある意味、わたしたちは、「新自由主義」がたどり着いた荒涼とした世界に生きているわけで、そこでは、市場と自己責任、ひとり企業家としての生を強要されているわけだ。
これにいかに対抗して生きるか、ということなんですね。
そう、これが私がフーコーから学びたいことのナンバー1だったのだ。
という地点に連れて行ってくれたことが、この小さな入門書。
ここ数年、読んでいる新自由主義のイデオローグともいえるハイエクと議論が絡み合ってくるところがあって、わたしのなかのいくつかの問題意識の系統がつながってきた感じ。
一般的にお勧めできるのかはよくわからない「入門書」だが、ナラティヴ・セラピーを勉強している人たちには、よい「フーコー入門」になるかもしれない。 -
意味不明
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ミシェルフーコーの基本ワードを知見のある学者の言葉で再度復習したいと思い。
フーコーが開示してみせた権力概念の刷新とは人間の思考、社会認識の大変革を促し、社会や性、トランスジェンダーを語る上で特に重要なツールとなる。
権力は生産する。その透明なまなざしを内面化する作業をわれわれが機械的に、無意識のうちに行うことの気づきと理解。
集団思考が強く、現状維持を金科玉条にする日本人にとって、フーコーは一度触れるべき偉大な思想家ではないでしょうか。 -
●フーコーは、戦後、フランスの左翼知識人としはかなり珍しく、若い時から共産党にも社会主義国家にも批判的だった。虐げられた人々の代弁をし、普遍的に法や正義を語ると言う伝統的な知識人のあり方を退けた。そしてその代わりに、当事者自身が語ることを重視した。
●権力とは「関係」である。権力とは制度でも構想でも、ある人々に備わる力のことでもない。ある社会における、複雑に入り組んだ戦略的状況のことなのだ。
●権力は、人々を上から無理矢理押さえつけるのではなく、人々によって下から呼び寄せられることで、人々に直接作用する。権力を解体すると言うこともまた難しいのではないか。
●権力の主要な働きとは、ある振る舞いを禁止したり、抑圧したりするのではなく、個人と集団に働きかけて、一定の振る舞いを課したり、促したりするところにある。下から従属的に形成される。
●規律権力の始まりがキリスト教にある。
●領土ではなく、人を統治する方法。国家理性、古典的自由主義、新自由主義の3つに大別。フーコーは、とりわけ新自由主義に注目。社会の構成単位を「企業」とする一方で、完全競争を実現されるべき理念として捉え、それを実現すべく、市場の外の社会と言う環境に積極的に介入する新たなタイプの統治性であったからだ。
●今、私たちがどのように組織されているのかを分析した上で、別の形で自らを組織することに目を向ける必要がある。 -
統治論を主に取り扱うということで、フーコーについて寡聞な中で知っている用語以外も多く見られた。
短くても難解なものは難解というべきか、接地する部分が自分には少ないのか。 -
フーコーの統治論に絞った解説100ページ.ニッチな企画が通ったことに感謝.ありがたい.
解説は通常2、30ページで扱われるところ100ページに紙幅が増えた関係で期待していたよりは分かり易かったです.とはいえ最近の解説書は特に平易なものが多く,そうした傾向を踏まえると本書は硬派な部類にはなりますが,現時点で彼の議論をこれ以上噛み砕いて平易に説くことは難しいのかもしれません.
1点.「権力の言いなりにならない生き方」というハウツー本のようなサブタイトルはいったい….ここに関わる本文の記述は駆け足になってイマイチですし,そもそもハウツーを導くには彼の議論は抽象的で距離があるように思えます.不要だったのでは. -
100ページで要約してもらおうというのがむしのよすぎる話だった
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20世紀の哲学者、ミシェル・フーコーの入門書として、予備知識が全くない状態で入門書として読んだ。しかし入門書として読んでしまうとあまりにも発展的で引用も短く、正直分かりにくかった。まずはフーコーの著書を読んでおくべき。しかし、フーコーの哲学をざっくりと知ることができたのは大きな収穫だった。観葉植物にはある程度人の手による干渉が必要なのと同じで、自由主義経済にもある程度の干渉が必要だという「新資本主義」の考え方には一考する価値があると思った。元に今の社会は多少そのような状況に向かっていると思うが、まだまだトップ企業の独占が強すぎるほど蔓延っていると思う。
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