中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史 (講談社選書メチエ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065318393

作品紹介・あらすじ

中国の歴史は、統一王朝時代と分裂時代の繰り返しである。そして、漢族と北方遊牧民との対立と融合の歴史でもある。なかでも、秦漢帝国が滅亡した後の「魏晋南北朝時代」は、それまでの「中華」が崩壊し、「新たな中華」へと拡大・再編された大分裂時代だった。この「中国史の分水嶺」で主役を演じたのが、本書の主人公、拓跋部である。
拓跋部は、モンゴル高原の騎馬遊牧集団・鮮卑に属する一部族だった。3世紀、部族国家を築いて歴史に登場し、386年には拓跋珪が北魏王朝を開いて、五胡十六国の混乱を治めた。
北魏では、皇太子の母が死を賜る「子貴母死」や、亡き父の妃を息子が娶るレビレート婚など、遊牧社会の伝統を残しつつ、雲崗・龍門の石窟寺院で知られる仏教文化や、名君・孝文帝の漢化政策により文化の融合が進み、「新たな中華」が形成された。北魏の首都・洛陽の平面プランは、唐の都・長安に受け継がれ、さらに奈良・平城京へともたらされるのである。
北魏は6世紀に東西に分裂するが、その後、中国を統一した隋王朝、さらに大唐帝国の支配層でも拓跋部の人々は活躍し、「誇るべき家柄」となっていた。「夷狄」「胡族」と呼ばれた北方遊牧民の子孫たちは中国社会に溶け込みつつも彼らの伝統を持ち込み、「中華文明」を担っていったのである。

目次
はじめに――分裂と夷狄・胡族の中国史
第一章 拓跋の故郷――遊牧と伝説                            
第二章 部族を集めろ――「代国」の時代
第三章 部族を再編せよ――北魏成立
第四章 中華の半分を手に――胡漢二重体制
第五章 中華の中心へ――孝文帝の「漢化」
第六章 胡漢融合への模索――繁栄と分裂
第七章 誕生! 新たな中華――隋唐帝国の拓跋
おわりに――なぜ中華文明は滅びないのか
あとがき
参考文献
索引

感想・レビュー・書評

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  • 待望の「鮮卑拓跋」本、登場! 中国史のカギを握る「忘れられた部族」とは?(学術文庫&選書メチエ編集部) | 学術文庫&選書メチエ | 講談社(1/3)
    https://gendai.media/articles/-/109935?page=1&imp=0

    『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(松下 憲一):講談社選書メチエ|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000376718

  • 唐の繁栄に象徴される遊牧民の存在感と、"新しい"中華のイメージ形成は、異民族や異文化無くして今の中国はあり得なかった事実を示している。本書はやや敷居を下げた筆致ながら、その分拓跋国家に視座を据えた歴史は、所謂漢民族のそれと趣きが異なり、ユニークに映る。女性のプレゼンスもかつてないほど高まった時代で、優れた創作でも出たら、人気が集まりそうな気がした。

  • 現在漠然とイメージされる中華文明の様式のもととなった唐以降の王朝文化が、元は中華ではない遊牧民族の鮮卑・拓跋部のもたらしたものを由来とするものも多く含まれている。それらの融合の様子を解きあかすため鮮卑の淵源からその勢力の発達過程を辿り、その独自の習俗が改められ単に漢化したというのではなく、代や北魏という国家が打ち立てたられたことで元来の中原文明とどのように習合していったかを解説している。政治史を表面からなぞっただけでは知れなかった、レビレートや子母貴死の他にも金人鋳造という制度などを知ることができた。

  • 魏晋南北朝時代に活躍し、北魏を建てた鮮卑拓跋部の歴史をたどり、鮮卑拓跋部をはじめとする北方遊牧民がそれまでの中華の取捨選択を行い、胡俗の要素を加えた新たな中華を創造したことを論じる。
    世界史の授業で少し触れただけだった鮮卑拓跋部、北魏について、深く知ることができ興味深かった。鮮卑拓跋部をはじめとする北方遊牧民が現在中華文明の要素とされる様々なもの(例えば、ラーメン、肉まん、餃子など)に影響を与えていたことを理解した。
    鮮卑拓跋部の歴史をたどると、肉親同士でも裏切りや暗殺などだらけで、ちょっと殺伐とした思いに駆られた。
    本書では史料からどのように史実を復元していくかという具体的な例示もたくさん盛り込まれており、歴史学研究の方法を垣間見れるという点でも興味深かった。

  •  拓跋部の起こりから、北魏を中心に隋唐まで。北魏前期、太武帝の一時期を例外として、雲崗石窟を含め仏教も受容。官僚制度は胡漢二重体制。中〜後期は孝文帝の「漢化」と洛陽遷都。そして六鎮の乱。
     ただし、胡族は単に漢化したのではなく、胡俗が隋唐までの過程で中華世界に定着した様も本書で語られる。則天武后や楊貴妃など一部に見られるレビレート婚。煬帝の宮廷料理に見る羊、乳製品。逆に犬は食用から外れペットになる。唐の「宮楽図」に見る椅子とテーブル、胡琵琶。そして、拓跋を含む胡族の子孫たちは、胡の習俗はなくしても、なお誇れる家柄であったと著者は指摘する。

  • 拓跋鮮卑、北魏、洛陽…と聴くと、現代日本とは遠くかけはなれてると思ってしまいがちだけど、日本にも受け継がれてる制度や都城があって、つながりを感じさせ。遊牧集団と民族の違い。部族解散とは何だったのか。国史事件とは。中国文化への傾倒が語られるが実態は。大代大魏の国号はどう使い分けられたか。皇帝としての顔だけではおさめきれず、部族長、遊牧民リーダー、現世にあらわれた仏、道教の神としての側面もあわせもったこと。今の中国文化とされるものに遊牧民の文化が流れ込んで融合したこと、などなど、教わること多く。◆特に興味深かったのは、墓群で埋葬されてる遺体の頭の方向やいっしょに埋葬された動物の像から、どんな文化集団が葬られていたのかわかるのでは、というところ。◆ちょっとくだけたところでは、ラノベ仕立てで「転生したら洛陽だった件」で一節書いてたり(めっちゃ「洛陽伽藍記」読みたくなる!)、賄賂もらいまくりのクサレ鎮都大将とか、ラオウのイメージはふさわしくなかったか、「我が生涯に一片の悔いなし」と言ったか、みたいな北斗の拳ネタ。遺跡に実際に立ち、高歓に思いを馳せたところ、などが気になったところ。

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著者プロフィール

1971年 静岡県掛川市に生まれる
2001年 北海道大学大学院文学研究科博士後期課程東洋史学専攻修了
博士(文学)北海道大学
2002年 北海道大学大学院文学研究科助手
現 在  北海道大学大学院文学研究科助手
主論文 「北魏の洛陽遷都」(『史朋』32、1999年),「北魏の領民酋長制と「部族解散」」(『集刊東洋学』84、2000年),「北魏石刻史料に見える内朝官−「北魏文成帝南巡碑」の分析を中心に−」(『北大史学』40、2000年),「北魏の国号「大代」と「大魏」」(『史学雑誌』113−6、2004年)

「2007年 『北魏胡族体制論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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