- Amazon.co.jp ・本 (56ページ)
- / ISBN・EAN: 9784082990152
作品紹介・あらすじ
まえからうわさはながれていた。アメリカが水爆という爆弾をつくって、それをどこか南の島でためすかもしれないと。マーシャル諸島のビキニ環礁で、3月1日夜あけまえに爆発させたのだ。広島で14万人をころした原爆より、1千倍も大きい爆弾だ。リトアニア生まれのアメリカ美術の巨匠と、アメリカ生まれの日本語詩人が、歴史の流れを変えた日本の漁師23人といっしょに乗り組んで、海に出る。
感想・レビュー・書評
-
季節モノ、などという呼び方はとても出来ない圧倒的な名作。
でも、今のこの時期だからあえて記録しておこう。
前述したアーサー・ビナードさんによる詩のように優しい文章だが、その内容は、1954年(昭和29年)3月1日遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」(乗組員23名)が、太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁近くで、米国の水爆実験による死の灰を浴びるという被爆事件を扱ったもの。
リトアニア生まれの米国人画家ベン・シャーンさん(1898~1969)の、遺作とも言える作品に、50年以上経ってから詩人のアーサー・ビナードさんが文章を添えて世に送り出したのがこの一冊である。
ヒロシマ・ナガサキからわずか9年後のこの事件で、日本は何と三度も被爆したことになる。
ここから、日本人は徹底的な核アレルギーとなっていくのだが(そう言えばこの後ゴジラも生まれたね)「恐ろしい!」「核絶対反対!」などと叫ぶだけでは単なる思考停止になってしまうので、それはなんとしても避けたいところ。
この本の見所は、そこではない。
第五福竜丸の乗組員の中で、一番先に亡くなったのは無線長の久保山愛吉さんという方。
被爆後日本への帰港コースを取るが、久保山さんの判断でSOSは発信しなかったのだ。
SOSを発信した場合は、米国の飛行機や艦艇により証拠隠滅の為に撃沈射殺又は拉致されると考え、低速5ノット(時速9キロ)で3000キロ以上も離れた日本をめざしたのである。
この間、どんどん身体に異変があらわれ、恐怖との闘いだったことが、ベン・シャーンさんの絵でじゅうぶん過ぎるほど伝わってくる。
そして話は、ここからが圧巻である。
その年の9月23日に久保山さんは亡くなっているが、「被爆者救助」に対して米国側から一切情報提供が無かったことと、慌てた医師たちが大量の輸血をしたための急性肝炎で亡くなったらしいということが、後ほど判明している。
しかし、被爆したのは紛れも無い事実。
甲板に白い灰が降り積もり、足跡が残るほど降ったのである。
もちろん、この日被爆したのは第五福竜丸の乗組員たちだけではない。
米兵28名とマーシャル諸島の住民約200名がこの実験で被爆したという。
又,第五福竜丸以外にも、当時太平洋上にいた900隻にものぼる日本の漁船も被爆したと考えられている。
この後も核実験は世界各地で千回も二千回も続けられているということも、この本は付け加えている。
さて、読まれた皆さんは何を思われるだろう。
各ページの文章は短いので、約12分ほどで読み終える。
でも、読み終えた後の沈黙と思考が、それはそれは長くなる一冊。
第12回日本絵本賞受賞作品。編集者の熱い思いが伝わってくる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ベン・シャーン展の図録の冒頭に、福島県立美術館館長の酒井哲郎氏が書いている。
「ラッキードラゴン」の連作は、政治的なあるいは社会的なブロテストではなく、日本人とその生活の側から、個々の人間の次元で、その悲劇性がシンボリックに表現されている。
(略)
第五福竜丸は、アメリカでは「ラッキードラゴン」と訳された。福島を英訳すれば「ラッキーアイランド」である。どちらも放射能汚染というアンラッキーな運命を共有することになった。さらに、「ラッキードラゴン」という作品を福島県立美術館が所蔵するという不思議な偶然が重なっている。
しかしいま福島は、「ヒロシマ」「ナガサキ」とならんでローマ字やカタカナ表記によって世界中に知られることになった。「ヒロシマ」「ナガサキ」は戦争という非日常の状況の中で、人間の決断の結果起きた悲劇であるが、「フクシマ」は平和な日常の中で起こった災害である点で異なり、いつかどこかで起こり得る普遍性を持っている。いわば現代文明が生んだ災害である。いまわれわれは、ベン・シャーンと共に少し立ち止って、人間の運命や未来について考えてみてもよいのではないだろうか。
この本で一番衝撃を受けたのは、強い風が吹くビキニ環礁の上を 怪物の黒雲が蠢いている絵だった。
「これは3.1のビキニ環礁を描いたのかもしれないが、まるで3.11の福島のようだ」
私は思った。
ベン・シャーン展で実物を見ると、この絵本の2/3の小さいものだった。白い紙にペンで力強く描いていた。
三回もビキニデーには焼津で久保山愛吉さんの墓前祭には行ったのに、この絵本を読む前まで知らなかった。
それでも 無線で
「たすけてくれ」と たのむと
なにを されるか わからない。
もっと ひどいめに
あわされてしまう かもしれないのだ
水爆という 見てはいけなかった
秘密を 見たのだから
久保山愛吉さんは、経験と感で下手に無線を打てば自分達か攻撃目標にされかねないことを知っていたのである。この咄嗟の判断が、日本の平和運動の出発点になった(原水禁運動の始まり) 。
この絵本は、2006年の発行であるが、アーサー・ビナードさんの文は、実は、3.11を予言している。多分それは偶然じゃない。アメリカの原子力政策を批判的に見えていたからこそ、書けたのだと思った。文は愛吉さんの死の後もこう続く。
「久保山さんのことをわすれない」と
ひとびとは いった。
けれど わすれるのを じっと
まっている ひとたちもいる。
ひとびとは原水爆を
なくそうと 動きだした。
けれど あたらしい 原水爆を
つくって いつか つかおうと
かんがえる ひとたちもいる。
実験は その後 千回も
2千回も くりかえされている。
わすれたころに
またドドドーン!
みんなの 家に
放射能の 雨がふる。
こういう本が、広く読まれているのは、素敵なことだ。詩集や図画集は一部の愛好家しか買わない。ところが、絵本の裾野は、広い。装丁は和田誠。かれもまた、ベン・シャーンから強く影響を受けていることを今回知った。 -
核の恐ろしさを知らしめなくてはならない❗️
-
二人のアメリカ人により、第五福竜丸の出来事が描かれています。
絵本となっていて、とても読みやすい。でも、深く心を打たれます。
「いっぺんに なん百万人も ころせる 爆弾を
いったい どこで つかおうと いうのか」
「この物語が忘れられるのを じっと待っている人たちがいる」
と本の帯に書かれています。
忘れてはいけない。さもないと、
「わすれたころに またドドドーン!
みんなの 家に 放射能の雨がふる。」 -
何回も読み返す、
という言葉がある。
その言葉は
この「絵本」の為に
用意された言葉のように感じる。
同じように
何度も読み返す一冊に
アーサー・ビナードさん作の
「さがしています」(童心社)
がある。
日本の全ての学校に常備して、
先生が子どもたちに
「読み聞かせ」をして欲しい、
そんな二冊です。 -
衝撃をうけた。ベン・シャーンさんの絵をもっと見たいと思った。絵本だからこそ大きいインパクトと共に事件のことが頭に入ってきたと思う。
-
今だからこそ読むべき。
そして絶対に忘れては行けない事。 -
(2012.01.18読了)(2012.01.17借入)
【東日本大震災関連・その48】
1月15日のNHK教育テレビ「日曜美術館」でベン・シャーンが取り上げられその中でこの本が紹介されていたので、図書館から借りてきました。
ベン・シャーンの描いた作品をアーサー・ビナードさんが選んで、文章を付けた絵本?です。
アメリカがビキニ環礁でおこなった水爆実験から大分離れたところで魚を取っていた第五福竜丸に沢山の死の灰が降り注ぎ、急ぎ焼津港に戻ったけれど、放射能を被爆したために乗組員のうちの久保山愛吉さんが無くなってしまいました。1954年のことです。
第五福竜丸の操業していた海域は、米軍が定めた危険水域の外の公海でした。
この時のアメリカの対応については、別の本を読んでみるしかありませんが、…。
アメリカは、自分たちが実験する水爆の威力をよく分かっていなかったということではあるのでしょうが、自分たちの住んでいる地域から離れたところで実験するというのは、いやらしいことです。
それにしても、ベン・シャーンの無造作に書いているように見える線書きの絵の力強さには圧倒されます。
ベン・シャーンの展覧会は、神奈川県立近代美術館・葉山で1月29日まで、開催されているとのことです。その後、以下の日程で巡回の予定です。
名古屋市美術館2月11日~3月25日
岡山県立美術館4月8日~5月20日
福島県立美術館6月3日~7月16日
(2012年1月19日・記)