- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087200980
作品紹介・あらすじ
長野県上田市の郊外に建つ、コンクリート打ち放しの平屋建て、建坪百二十坪の、十字袈形をした小さな私設美術館「無言館」。日中戦争、太平洋戦争で、卒業後、もしくは学業半ばで、戦地に駆り出され戦死した画学生の、遺作や遺品が約三百点、展示してある。建設のきっかけは、著者と画家・野見山暁治氏との出会いだった。「戦死した仲間たちの絵」の話に共感し、全国の戦没画学生の遺族を訪問する旅を、氏といっしょにはじめたのだった。
感想・レビュー・書評
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◆「無言館」は青春の美術館でもある。◆
上田市郊外に建つ私設美術館「信濃デッサン館」、その分館「無言館」は一度訪れてほしい、オススメの美術館です。(館主はこの本の著者)本書は戦没画学生慰霊美術館「無言館」について、建設のきっかけ、その経緯、全国各地から寄せられた意見、来館者の言葉等が綴られています。文中「戦後五十年」の文字が幾度も出てきますが、この本が刊行されてから時が流れ、今年は「戦後七十年」の節目。青春真っ只中の学生の皆さんに読んでほしい1冊です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
太平洋戦争の戦没者の画学生の絵を集めた美術館、無言館の館主の著書。
卒論かいてるとき、ほんの少しだけ「無言館」というものを目にしたこともあったのですが、
ただ「戦没した画学生の絵の美術館」というぼんやりとしたイメージだけを抱いていた。
そして、どちらかというと慰霊のための、記念館的なものであるのだろうと。
しかし、この著書を読んで印象が変わった。
ここは、確かに先の戦争を忘れないための施設であるけれども、
それ以前に主の方向性は、あくまで「美術館」であるということだ。
美術館であるからには、そこに飾られるのは「作品」であって、「遺品」ではない。
同じものであるけれど、受け止め方が大いに違ってくる言葉だ。
この問題は、戦争画も、同じような問題をはらんでいると思う。
つまりは(現時点から見て)プロパガンダであるのか、美術品であるのか。
美術であれば、そこで問われるのはそのタッチであり、描写であり、マチエールである。
その人がどのような思いでその絵画を描いたかは、二の次だ。
言うなれば、戦没者の書いた絵だから、そこに「戦争の不条理さ、悲しさ、残酷さ」がプラスされて
何かおごそかな絵画のような印象になっていく。
もちろん、生きるか死ぬかの最後の懇親の力を込めて描いたものも多いから、「厳かな絵画」であることは
間違いないのだろう。けれども、書かれた絵画はとても穏やかで明るく、人生の楽しさや生命を感じるものも多い。そこには、純粋に絵が好きで、絵の楽しさを閉じ込めた本当のその絵画の魅力があり、それを感じることこそ、絵画を描いた作者に対する敬意ではないだろうか、とも思った。
絵描きは絵だけを描いてください。
それを難しくしているのは、鑑賞者である一般の私たちなのかもしれない。
もし、無言館に行く機会があれば、静かにその絵画と対話をしてみたい。
生きている幸せを、ありがたみを純粋に感じてみたい。 -
[ 内容 ]
長野県上田市の郊外に建つ、コンクリート打ち放しの平屋建て、建坪百二十坪の、十字袈形をした小さな私設美術館「無言館」。
日中戦争、太平洋戦争で、卒業後、もしくは学業半ばで、戦地に駆り出され戦死した画学生の、遺作や遺品が約三百点、展示してある。
建設のきっかけは、著者と画家・野見山暁治氏との出会いだった。
「戦死した仲間たちの絵」の話に共感し、全国の戦没画学生の遺族を訪問する旅を、氏といっしょにはじめたのだった。
[ 目次 ]
はじめに 「後ろめたさ」の美術館
第1章 「無言館」縁起
第2章 「無言館」の画家たち
第3章 「無言館」懴悔録
第4章 「無言館」その後
第5章 「無言館」への手紙
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