富士山宝永大爆発 (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087201260

作品紹介・あらすじ

今でこそ、穏やかで美しい姿形を見せている富士山だが、約三百年前の宝永四年(一七〇七)に大爆発している。およそ一〇億立方メートルの山体が一挙に吹き飛び、偏西風にのった火山灰は江戸の町にまで及んだ。その爆発の激しさは、今でも富士山中腹の宝永噴火口に見てとれる。著者は、当時最も大きな被害を受けた東麓の須走村(現・小山町)をはじめ、村々の記録を丹念に読み込むことで、百年にも及ぶ被災地の困難と、それでも、民衆が幕府、藩を動かし復興を勝ち取っていった歴史ドラマを浮き彫りにする。ふたたび富士山の火山活動が予感される今、改めて巨大災害からの復興の歴史に学びたい。

感想・レビュー・書評

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  • 昔の大噴火は何を教えてくれる!
    1707年の富士山噴火で周囲13kmの及ぶ噴石(テフラ)が発生、多いところでは2mも積もったと言う。その除砂作業費用を幕府勘定奉行と江戸商人が結託し金49万両の内金42万両もの大金を搾取、被災地にはごく僅か(1万両)しか支援金として支給されなかったことは、現代の政治家と請負人(オリンピック諸経費の結託)と変わってはいないことに驚愕する。噴火後、住民の流出始め人足不足、二次災害(洪水で安易な堤決壊)で数年間田畠は利用不可となったという。

  • [ 内容 ]
    今でこそ、穏やかで美しい姿形を見せている富士山だが、約三百年前の宝永四年(一七〇七)に大爆発している。
    およそ一〇億立方メートルの山体が一挙に吹き飛び、偏西風にのった火山灰は江戸の町にまで及んだ。
    その爆発の激しさは、今でも富士山中腹の宝永噴火口に見てとれる。
    著者は、当時最も大きな被害を受けた東麓の須走村(現・小山町)をはじめ、村々の記録を丹念に読み込むことで、百年にも及ぶ被災地の困難と、それでも、民衆が幕府、藩を動かし復興を勝ち取っていった歴史ドラマを浮き彫りにする。
    ふたたび富士山の火山活動が予感される今、改めて巨大災害からの復興の歴史に学びたい。

    [ 目次 ]
    六二〇年ぶりの大爆発
    その日からの飢餓と訴願
    幕領に切り替える
    御厨地方、自力砂除の苦難
    伊奈忠順の御厨巡検と砂除金支給
    復興の道遠く
    生き残りをかけた入会地紛争
    酒匂川川筋一変
    田中丘隅と文命堤
    蓑笠之介の普請と足柄復興への道
    終りなき御厨地方の苦闘
    終りに

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 出版社/著者からの内容紹介<br>
    富士山噴火が近いとよくいわれる。本書は、1707年の最新の宝永大噴火の実態と100年を要したその復興作業を、当地小田原藩の資料等をもとに、リアルに伝える。被災地復興を懸け戦う人々の感動の記録。<br>
    <br>
    内容(「BOOK」データベースより)<br>
    今でこそ、穏やかで美しい姿形を見せている富士山だが、約三百年前の宝永四年(一七〇七)に大爆発している。およそ一〇億立方メートルの山体が一挙に吹き飛び、偏西風にのった火山灰は江戸の町にまで及んだ。その爆発の激しさは、今でも富士山中腹の宝永噴火口に見てとれる。著者は、当時最も大きな被害を受けた東麓の須走村(現・小山町)をはじめ、村々の記録を丹念に読み込むことで、百年にも及ぶ被災地の困難と、それでも、民衆が幕府、藩を動かし復興を勝ち取っていった歴史ドラマを浮き彫りにする。ふたたび富士山の火山活動が予感される今、改めて巨大災害からの復興の歴史に学びたい。

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著者プロフィール

1922年、大連市(中国)に生まれ、東京で育つ。1944年、東京大学文学部史学科卒業。以後、一橋大学教授、和光大学教授、日本福祉大学客員教授を歴任。2004年7月9日 没。
【主要著書】日本封建社会論 日本封建制成立過程の研究 室町戦国の社会 荘園 20世紀日本の歴史学

「2023年 『中世動乱期に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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