生きるチカラ (集英社新書)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087205497

感想・レビュー・書評

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  • どんな生き方も肯定される。

  • 題名に惹かれて読みました。そうか!こういう考え方であれば、なんでも素直にできちゃうな!って納得です。

  • 上島啓司著「生きるチカラ」集英社新書(2010)
    * 我々が生きる意味を知るのはわが身にふりかかった災難によってである。
    * 選択し、つまずくことから人生は始まる
    * 自分の命をすり減らすようなリスクをとる賭けをしてこそ、他の凡庸な人間たちには味わえない境地をさまようことができるようになる
    * 生きることは遊ぶことであり、そうなると徹底的に生きるというのは限界を超えてまで遊ぶということをと意味することになる。中途半端に遊ぶくらいなら遊ばないほうがいい。
    * 成功とはある経験が自分を強くするということである。自分に起こることをポジティブに受け入れることが出来たのであれば、それは自分にとって「成功」なのではないか。
    * 自分自身の過ちを悔いても仕方がない。「あらゆる選択は誤りを含んでいる」。正しい選択と誤った選択があるわけではない。どの選択にも行っての正しさと誤りが含まれているものなのだ。
    * 自分に不運が回ってきたときに初めて世の中の仕組みが見えてくる。
    * ふりかかった災難こそ人生のきっかけである。
    * 谷底から見ないと人生がどのようなものかはわからない。
    * 人生は短くあっという間に終わってしまう。欲張っていろいろな人生を生きて見る方が楽しいと感じればそうすればよい。可能なことは出来るだけすべてやってみる価値はある。人の何倍も生きるというのはそういうことである。

  • 「計画された偶然」

    スタンフォード大学のクランボルツ教授らが提案した考え方。
    成功した人々のキャリアを分析したところ、彼らのうちの8割は「今ある自分のキャリアは予期せぬ偶然によるものだ」と答えたという。
    つまり合理的な要素をいくら積み上げていっても、望むべき結果が得られるとは限らないが、逆に、予期せぬ偶然によって思わぬ成功があったという意外な回答。
    それならむしろ、それを積極的に自分のキャリアに取り入れるように行動すべきではないかという考え方。

    つねに洗濯の幅を広げておいて、予期せぬ偶然の出来事が起こったら、それを活用して新しい可能性に賭けよということになる。偶然は味方。

    「人間どうせ生きているうちのこと」

    「すべての選択には、それ自身、間違いが含まれている」

    一度大きな喜びを感じて、後にそれをすっかり失ってしまった者は、最初から喜びを持たなかった者とは大きく違っている。その差は人生を生きたかどうかほどの違いで、「人間どうせ生きているうちのこと」という言葉がここでも背景に鳴り響いている。
    生きるとはできるだけ大きな感動や喜びを経験することであり、破産や没落をおそれてちまちまと保身に走るようなことであってはならない。

    何も失わないで生きているつもりが、最初からすでに大事なものを失っているのだ。

  • 人は偶然に身を任せることによってはじめて自由になれる。
    大丈夫、人生なんてなんとかなるさ。
    あまり多くの選択の余地がありすぎると人は幸せになれない。
    自分にふりかかることのすべてをおもしろがれるかどうか。
    選択し、つまずくところから人生は始まる。
    何が起こるかわからないから楽しい。
    我々は人生を楽しむために生きている。
    誰の人生にも浮沈みはあるもので、そんなとき、どのような態度を取るべきか。
    まじめで従順な人よりも、ちょっと不良でよく笑う人の方が長生きする。
    人間にとってもっとも怖いのは不確かなもの。どう対応していいのかわからないものである。あらゆる選択には誤りが含まれており、成功か失敗かはそう簡単には判断がつかない。
    幸運は自分の最も弱いところに不運となって戻ってくる。
    自分がポジティブになってすべてを受け入れられれば、成功じゃないか。
    何かに対して怯えがあるうちは人は決して幸せになれない。
    たしかに谷底から見ないと人生がどのようなものかはわからない。
    ふりかかった災難こそ人生のきっかけ。
    幸不幸というのはあとからやってくる。
    常に自分を負けた側の立場において考えることが大切。
    むしろ失敗と思える状況に置かれたときのことが重要。
    人生では誰の身にも公平に怒ることを不幸と呼んではいけない。
    生きるのに正しいも間違いもない。

  • 人は困難に直面したとき、必ず何らかの選択をしながら前に進んでいる。選択が正しく成功したように思えても、幸せを長く感じることができなかったり、間違えた選択で酷い状態に陥ってもそこから這い上がることが出来れば喜びは落ち込んだ分だけ大きく感じ、落ち込んだことに感謝さえしてしまうものである。人生に起こる事の善し悪しは紙一重。ならば良い出来事は周りにお裾分けし、辛い経験はこれからの成功のきっかけだと思うことで、運をグルグル回してどちらの経験も「生きるチカラ」にしてしまおう!

  • ・生きるのには「正しい」も「間違い」もない。
    ・あらゆる選択は間違いを含んでいる。
    ・自分に起こることは全ていいことなのだ。

    思えば自分の人生をふりかえると、いつも間違えないように慎重に選択した末、予想外の損害があってがっかりする、ということが多かった。しかし見方を変えればその選択によって得たものも大きく、まったく損失のない完璧な選択を望むことが間違いだったと気づいた。この考え方をすると肩の力を抜いて、生きられるような気がする。何があっても、「どうせ生きている間のこと」なんだから。

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著者プロフィール

1947年東京都生まれ。宗教人類学者。京都造形芸術大学教授。東京大学卒業。東京大学大学院人文科学研究科(宗教学)博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデらのもとで研究を続ける。NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(人類学)客員教授、関西大学教授、人間総合科学大学教授などを歴任。四十年以上、世界各地で宗教人類学調査を続けている。主な著書に『生きるチカラ』『偶然のチカラ』(共に集英社新書)、『官能教育』 (幻冬舎新書)、『賭ける魂』(講談社現代新書)ほか。

「2017年 『運は実力を超える 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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