- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087207972
作品紹介・あらすじ
2500年前、釈迦が本来説いた仏教によれば、出家とは世を捨てることではなく、社会からの支援を前提に、やりたい事を一生かけて追求することを意味した。精神的成熟を実現するための出家的生き方。
感想・レビュー・書評
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インターネットのことを「邪悪な匿名の鬼たち」つていうのがツボ 使っていきたい
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仏教に興味を持つ人の多くは悩んでいる人だと思います。そして、やりたい事だけをしたい、というより殆どが、現状がイヤだけどやりたい事も見つからない、と言う人でしょう。
そんな人たちでも出家的人生は可能でしょうか❓この本を読んだら、ぼんやりと可能性を感じました。
サラリーマン生活に疑問を覚え、複業の小さな会社ビズフォリオを始めました。ビズフォリオがサンガのような存在になってくれたら良いのになあ、と思っています。『自分の頭で考えなさい』と仏陀は言いました。この先、出家的複業生活を模索していきます❗️
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自分がやりたい事をやりたくて転職したはずなのに、結局自分の意思に反してやらなきゃ行けない事が出てくる。
いっそ会社を辞めて自分の好きな勉強や仕事だけやって過ごせたらとも思うが、金銭欲と言う煩悩がどうしても消せず、実行に移せない。
今年は、哲学の勉強とボランティアでの税務支援を実行し、出家的生活に少しずつ近づいていきたい。
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釈迦の仏教、サンガの規律の律について。
ニートやひきこもりを頭ごなしに批判するのもよくないという点に脱帽。
出家的な人生を歩む人もいる。そういう人もいるから世の中が成り立っている。それも含めて多様性だなぁ、と考えさせられた。
折をみてまた読みたいと思う本 -
出家的人生、なるほど。
前職の時は、ある意味近いものだったかもしれません。
こういう生き方もありますね。
大学の存在意義も、こういうところにあるという考え方にも、納得。
大学があることで、十八歳になって社会人の条件をすべてクリアした若者が、その段階で一旦立ち止まり、自分が一番望んでいる生き方とはどのようなものか、という問題をじっくり考えるための期間が保証されるのです。
だからこそ大学には、特定の専門科目だけでなく、哲学とか宗教とか、あるいは世界の様々な言語とか、とにかく目いっぱいいろいろな知識を学生に与えるための場が用意されているのです。最良の人生を選び取るための材料を提供してくれる場です。なにもそれを全部マスターして物知り博士になりなさい、という意味ではありません。人生の方向を決めるための判断材料をできるだけ豊富に提供して、間違いのない人生選びをしてもらいたいという思いなのです。
ー 152ページ -
出家的人生≒真理探究的人生とし、科学者やニートもその範疇であると。ニートは不本意ながらそうなっている人も多数いるので混同するのはどうかと思うが。
社会は出家者を支える寛容さが必要だし、出家者の方も謙虚さ(俗世的利益を求めない)が必要であると。
即効性を求めるのではなく多様性を認める事により「情けは人の為ならず」とななり、結果社会全体がよくなっていくとの理屈には賛同したいのだが、出家者のフリをしている人も多数いるので、無駄の排除の検証は必要なんだろうな。 -
日々是修行、犀の角たち、に続いて読みましたが、ほぼ重複してたので、特に新しい発見はありませんでした。
タイトルが出家的人生のすすめとありますが仏教徒として出家するのではなく、何をするにあたっても出家的精神で一生懸命(自分の生き方を自分の努力で作っていこう)という主張には共感できます。 -
仏教の教えに従った生き方をという本
なんとなくいいたいことはわかる。ただどう活かすかちょっと難しそう。
仏教と他の宗教の違い、何かに祈ることで救われるのではなく、ひたすら修行で自分の煩悩をなくすことが仏教の考え。
出家=布施で生きる。働かない、煩悩をなくす。
様々な欲からの脱却
サンガ、集まり、センターはいない。つながりと規律。
和尚、師匠、、 -
著者は花園大学文学部仏教学科教授.著者紹介によると専門は,仏教哲学・古代インド仏教学・仏教史.
工学部を卒業後,仏教学に進まれた.同じような経歴を持たれていて私が知っているのは,河合隼雄さん(理学部数学科から心理学),本多弘之さん(農学部から仏教)です.
生き方は多様であって良いし,自分の意志で違った生き方ができる.本書の主張はここにある.そして個々人が多様に生きるために,過去のインドで釈迦が考えた出家という方法が,現代に応用できるのではないか,というのが著者の提案である.いいかえるなら,普段の暮らしの中に「人生の拠り所」を見つける方法として,出家的な生き方が使えるのではないか,という提案である.
そして,議論の前提として,釈迦の創った仏教と,現代日本で広く行われている仏教(これらは中国から漢文の経として輸入された)とが全く別物であるということが丁寧に説明される.詳細は本書を確認してほしいが,簡単に述べるならば以下のようになる.釈迦の創った仏教では,この世には絶対者も救済者もなく,因果関係のみがあると考え,苦からの解放は自己鍛錬によるものとされる.その自己鍛錬の場がサンガ(僧伽)であり,サンガに参加することが出家である.現代日本で僧籍を得ることとなんと違うことか.
ところで,本書には特徴的な書き方がある.それは,「……とは何か」という設問を著者みずからが立て,たいていは直後に「……ことである」との明白な解答を示したうえで,さらに詳しい説明を行う,というものである.見本を例示してみよう.
「出家とはいったいなにか.」「世俗の暮らしでは手に入れることのできない特別なものを求めて,世俗とは別の価値観で生きる世界へジャンプすること」
「自分がどのような価値観を望んでいるかを知る方法は」「あなたは,あなたのまわりの人たちがどういった考えで暮らしている世界に身を置いたとき一番幸せを感じますか」と問う
「自分の好きなことだけやって暮らす(出家して暮らす)にはどうしたらいいか」「世の中の,働いている人たちに頭を下げて,生活の中の余った物やいらなくなった物を分けてもらい,それで生きる」
これらの議論の進め方は,すぐれて理系的であり,私にとっては非常に心地よいものだ.
本題に戻る.そのような出家的生活をするには条件がある.それを端的に言えば「布施に値する生活を行う」ということである.具体的には,「出家的人生に入るに先立って,準備的な修練を積まねばならない」「出家的人生には,社会的責任が付随する」ことがあげられている.さらに,これを現代の会社組織に応用すれば「自分の仕事分野について適切な知識を獲得する」ことが準備的修練であり,社会的責任とは「すべての情報・活動を開示する.虚偽の開示を行わない.常に謙虚である.自浄作用があることを,正しくまわりに示す.」ことである.
著者はこれらの提案のアイデアを,「律」(サンガ内部で守るべき集団規則.これに対して自己を律する道徳規範は戒と呼ばれる)の研究から得たと述べている.そしてこれらのアイデアは,古代インドに生まれた釈迦の仏教を研究して得たものを,現代社会に還元することでもあると述べている.著者の仏教についての考え方や,議論の進め方は,今までの仏教者のそれに比べると,神秘性が少なく,明晰かつ判明であるように思う.その意味で,著者が行った自然科学者との対話の記録『生物学者と仏教学者 七つの対論』も面白い.
2015.10