- Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087461701
感想・レビュー・書評
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あの大江健三郎の講演録です。
難解なことで有名で、それ故高尚な印象が強い大江の文章ですが、講演で「語られた」口述の形であるため比較的容易にアプローチすることができるので入門書的読み方も可能でしょう。
文庫本なのもお手軽でありがたいです。
6月30日にTUTAYAに併設された書店で見つけて買いました。手にとって発行日をみたら6月30日でした。
私はかなりの本を毎日読みますが、読む本以上に大量の本を買います。読書より本を買うのが趣味なのかと思うぐらいですが、それよりさらに書店の中を散策するのはもっと好き。だから、「おや」と気づいた本が出版されたばかりのホヤホヤであるだけで嬉しくて買ってしまいます。大抵の場合は実際の出版日より何日か先付けの日付で設定されていて、手にとった日の一週間先が初版の出版日などということも多いですが。
で、大江健三郎のこの本ですが、とことん考え抜かれたムズかしい事を、かなりわかりやすく語ってくれている良い本です。
人にどんな風に思想を伝えようとするか、伝え方を一生懸命工夫して努力する。そんな行為を「エボラゲーション」という言葉の解説を通じて冒頭に平易に説明してくれています。たとえばこんなところも「難しい事を解りやすく」の実例です。
また、印象的だったのは第Ⅲ章「語る人、看護する人」
「看護と文学」とかいう、いかにも解ってない人が考えたテーマで講演させられているにもかからず、看護とは「語りかけること」と喝破し、看護と物語という風に、大思想家が看護学生に向かい今ここで語ることの必然性をものの見事に説明しています。まさしくエボラゲーションです。
さらには、ドストエフスキーの『罪と罰』を取り上げ、主人公とともに流刑地に流されたソーニャが、手に負えない主人公に苦しめられながらも互いに成長する様子が紹介されています。他の受刑者たちからも慕われ、しまいには「病気で具合いが悪くなると病気を治してもらいに彼女のところに来るものさえあった」との引用もあります。
別な機会に読んだM・メイヤロフ『ケアの本質』とも併せて読むことをお勧めしたい本です。ケアとは何なのか、ケアする自分にとって、相手にとって。それを考えながら読むことができる本です。
ともかくまだ全部は読めていないので、ご紹介はこれぐらいにして、続きを読むことにいたします。 -
大江健三郎の講演集である。多岐な領域のわたる。どこで紹介されたか忘れてしまった。最後の2章で、教育基本法について、さらに憲法との希求という言葉について自分の体験からも説明している。この部分だけでも教員養成系大学の学生に薦められる。
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やはり主義主張、政治的立場の面などで彼の言葉を丸々受け入れられない自分もいるものの、彼の物を書く人間としての姿勢や、真摯に人間と向き合っていく感覚等には強く共感し、また感銘を受けることが少なくない。学ぶ所の多い一冊だった。
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憲法や教育基本法については共感。でも、大江さんの文章って読みにくいんだよ。
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http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/408746170X
── 大江 健三郎《「話して考える」と「書いて考える」20070628 集英社文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/
── 大江 健三郎《「話して考える」と「書いて考える」20041005 集英社》
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途中から飛ばしてしまった。
あまり大江さんを知らないのと、講演集だったために、今のタイミングで入ってこなかった。 -
大江氏の講演集。「語る人、看護する人」と題した聖路加看護学会での講演、「病気と死についての深い知識の向こうにあるもの」と題した日本麻酔学会での講演、「暗闇を見えるものとする」と題した日本精神神経学会など医療にまつわる場で話したものも含まれている。総じて、それぞれの場を考えながら思索を巡らし準備をした誠意あふれる話がなされているように感じた。改めて、医療や看護は何と微妙で、それゆえに面白い世界だなと思った。
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わたひはつくづくと「時」ということを中心に自分の子どもの頃の心の経験をよみがえらせるようだったし、そこからはっとわれにかえるようにしていまの年齢の自分の心のありさまをみつめかえすようだったんです。
私に「子どもの本を大人としてかつ自分の中の子どもと一緒に読む」
「戦いを続けるように、同僚たちとのつまらない個人的なすれちがいを乗り越えて、書いたり演技したりしなさい。それも、終わることなしに続けてゆくように。それがきみのできることだ。」
一冊の小説を読むと、自分の想像力に勢いがついて、いまいるここ、いまある自分から一歩前へ進み出るように感じる。とにかく、心も頭も身体もじっとしていられなくなる。その感じがなにより好きだったんです。そして自分はこれを読んだことで「想像力の勢い」をかちえている、と感じる自分を、誇らしく思っていたのでした。今、私は老人ですが、それでもひとつの小説を書き終わった後で、自分の想像力に勢いがついていると、感じている。そしてそこから前に出て「新しい物語」を作り出さずにはいられない。そのことはさきに実例をもってお話しました。これは私にとって必ずしも自分で書くというのではなく、優れた小説を読むときににも同じように自覚されて、心の、頭の、そして体全体の「想像力の勢い」の表れなんです。そして、私はとくに若い皆さんにそのように一冊の本を読み終わっての、自分の中の「想像力の勢い」をしっかりと感じとっていただきたい。それはね、小説を読んでだけじゃない。言葉で書かれた良い本についてどんなジャンルのものにも「想像力の勢い」を強める力があるということを私はいいたいんです。
私たちはー私のような老人でも皆さんのお父さんお母さんのような働き盛りの大人でも、。そしてあなたたちのような子どもでも、いつかここでしか生きることはできません、しかし、過去と未来に向けてそこへ行き来するように、心を開いて考えたり感じたりする訓練は、なにより私たちのいま、ここで生きる力を豊かにするものなんです。そして過去についてのーそれは日本人のここ百五十年の歴史というようなことから自分の対目の前の出来事というようなことまでふくみますがーしっかりした実感のある判断ができるように私たちを高めてくれます。その同じ「想像力の勢い」で、自分たちの未来がどうなるか、自分たちの未来をどうするかを、考える力を獲得することでもできるのです。そうでなければ私たちはその力を手がかりにいくらかでも自分お望む未来に、自分らの現実を近づけるために働こう、という気になるでしょう。私はとくに若い人たちにとっての、そのような過去、未来への向かい方にそして「二百年の子供」の中に書きたかったのです。