美人とは何か? 美意識過剰スパイラル (集英社文庫)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087464382

感想・レビュー・書評

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  •  美人とブスは何がどの点で違うのか、なぜ容姿に対する美意識が過剰に強いのかなど、女性ならではの視点で「美しさ」を語る。著者は過去に何度も整形をしたが、これは不特定多数の人のためにではなく自分の為だと、繰り返し強調してるのは印象的である。容姿の良し悪しを求められる女性特有の悩みや葛藤が本書から伝わる。とはいえ、他人を愛する能力は容姿とは無関係に重要なことで、人間が最終的に獲得すべきことだと言って締めくくる。

  • 我々が「美醜のヒエラルキー」から完全に解放される道はない、
    と断言する著者。その事実に対してどう戦っていくか。

    美人やブスを語るとき、我々は多かれ少なかれ
    そこに無意識に自分を投影していると彼女は分析する。
    「美人」は「理想の自分」であり、
    「ブス」は「ネガティブな自分」の投影像なのであると。

    最近強く思うのは、お笑いブームのなかで、
    おかずクラブ、横澤夏子、平野ノラ、ブルゾンちえみのような女芸人は
    異性よりも同性から圧倒的な人気がある。
    共通するのは強烈なナルシシズム、自己陶酔を笑いの対象にしていること。

    自分はこうだ、という強い思い込みや願望があり、
    それが客観的に的を射ているかどうかは関係はなくて、
    セルフイメージにふさわしい行動や言動を続けることで満たされている。
    「現在になっても、バブルを引きずっている女」と、
    「異性や同性に羨望の的になっている」という本人の思い込みの痛々しさを嘲る。

    自分を傷つける視線を持つ他者を、自分の世界から閉め出してきた結果、
    著しく客観性を欠く孤独な勘違い女性は、
    次世代の女性たちから笑いの対象になってしまった。

    「自閉的かつ個人主義的な自己実現の欲望」
    「他者に支配されることを恐れるあまりに、
     他者の視線を拒絶し、他者をアクセサリーの一部と見なす、
     究極の『唯我独尊』の世界なのであった」

    という分析は素晴らしい。
    特に、最終章の「美醜自意識過剰の根底にあるもの」は
    教科書に載せてもいいレベル。

  • くどいほどの自意識、美意識にまみれた作家のエッセイ。うーん…。

  • 「己を守る」ということは、「攻撃を跳ね返す」だけではなく、「攻撃を受けにくくする」ことでもある。

  • 感想というか、近況とともに「美人とは何か」なんて考えてみる。


    新しい職場で仲良くしてる50歳男の人(既婚)がいるんだが、よく私をからかってくる。

    私の外見から人となりを想像し、

    すごく遊んでるとか、チャラチャラしてるようなイメージを持っていると思っているみたいで、でもやっぱり「女の子」なんだろう、ってな感じのからかい方。

    よく分からんな。

    「自動車教習所の教官とか、なってみたら?」

     「なんで?」

    「ほら、若い男がいっぱいいそうだから、結婚相手探すのに困らないじゃない。」

    っていうような会話をしてきたりする。

    セクハラだわ!とも思うけど、ま、おもろい人だからいいや、と受け流す。

    最近、
    「ま、かわいい顔してるよね。」とか、
    「大丈夫。顔可愛いから。」とか言ってくる。

    わたしが、その言葉を、本気に受け取らないから、そのようなことを言っているんだろう。

    でもさ、そんなこと言ってくれる人、他にいないし、
    「勘違いさせてくれよ。」って、思うくらい弱っちゃってる時もある。

    片意地はって生きてるけど、人にしなだれかかりたくなる時くらい、あるんだよ。

    しなだれかかったら、すっといなくなるくせに、耳触りのいい言葉ばかりをはいて、私の前で笑うの、やめてくれよ、と思う時がある。


    元彼は、しなだれかかることが、できなかった。6年も付き合ったのに、できなかった。

    彼は、泣くからだ。

    私が泣くのを見て、泣くからだ。

    誰かの前で泣くっつうのは、
    その誰かが、自分の流す涙を、受け止めてくれるっていう安心感があるからこそ、できるもんだと思う。(まぁ、いいわけだけどね)

    そんなこともお構いなしに、わんわん泣ける人間を、
    心底うらやましくも思うけれど、そんな子供じみたことは、通用しないだろうとも思う。


    顔がかわいくて、何になる?
    私の顔を見て、
    「目力がすごいよね」とか
    「近寄りがたい」とか、
    「男からしたら、話しかけるのがおこがましいって思っちゃう」とか、そういうことならよく言われる。

    男と付き合えば、
    「冷たい」とか、
    「もっと俺に頼ってくれよ」とか、
    「怖い」とか、言われる。


    ほんとに、顔がかわいくて一体何になるの?
    自分でできることを、自分でやれば
    「俺なんか必要ない」とか「冷たい」とか「もっと俺に頼ってくれ」と言われ、

     いったい何なんだと思う。

    「わがままだからだよ。」
    「男の気持ちも考えなよ。」

    もう、うんざりだ。
    「あなたがいなくちゃ、生きていけない」女の、どこがいいんだよ。私が男だったら、ごめんだよ。

    「あなたなんか、いなくても生きていけるけど、あなたがいてくれたら、私の未来が、とても楽しくなる。」

    それじゃ、ダメなわけ?ダメじゃないでしょ。それがわがままとか、意味が分からんし。

    一人で生きていくんだ。
    孤高を貫いて、生きていくんだ。

    へりくだらなきゃ、プライド満足させられないような男なんて、うんざりだね。だったら一人でいい。プライドが高い?お互い様だわ。

    世の中には、愛情だけで結ばれてる関係じゃない関係だって、あるはずで、

    もしそこに、生きる活路を見いだせる相手がいるならば、

    私は誰かと生きていきたいと思う。

    そうじゃなかったら、いらない。男なんて、いらない。

    あ、でも、男は好きなんだけどね。女じゃないからw
    特定の誰かに結び付けることとは、縁を切って生きていきたいと、思います。

  • 中村うさぎ先生の本を初めて読んだ。
    なかなかズバズバと書いてあって面白かった。

  • 相変わらずのうさぎ節。この人の声がどうにも苦手なので、近くにいたらささーっと逃げます。でもおもろい。女たちよ、盆栽美人を目指すがいい。笑いたいけど笑えない…

  • 美人とは何か?という答の出ない問
    美人か否かの判断基準は自分の外にあると思います
    私が美人だと認識することの影響力は微々たるものだし
    実体のない世論のようなものにより美人か否かが決まる気がします
    だから、不可触な領域であり、ゆらぎやすいものだと思います

    色気について、“「拒絶しない感」を男は「色気」と感じる”
    この言葉はすごく確信をついているな~と思いました
    生物学的に雄は雌に受け入れられないと子孫を残せないから
    たぶん本能的になんだろうなと思いますが
    でもなんかそれが透けて見えることはちょっと悲しい気もしました

  • せめて内面に磨きをかけて雰囲気美人になろうと志しても、そこで目標となる気品だの知性だの洗練だのと言ったものが、これまた甚だ抽象的な概念だ。一口に知性を身に付けるたって、難しい本を読むとかドイツ語ペラペラになるとかそんなことで知的美人になれるかといったら、そういう問題でもない。しょうがないから気品、知性、洗練などを謳い文句にしている高級ブランド品を手っ取り早い記号として持って実たるするのだが、金で買える記号なんてものは所詮付け焼刃にすぎず、かえって下品さや愚かさや田舎臭さが強調されてしまったりしている。。。

  • 難しい問題ですが、結局美人には確固たる定義がない
    といううさぎさんの主張に同意して、あーだこーだ考えるのはやめにしました

    確かにこの人はだれも反論の余地のない美人だ!
    というのはいないなと思い、納得させられました

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著者プロフィール

1958年2月27日生まれ。
エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学 文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以後、エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、美容整形、デリヘル勤務などの体験を書く。

「2017年 『エッチなお仕事なぜいけないの?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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