- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087471922
作品紹介・あらすじ
人気作家・モンクは友人のミュージシャンたちとテレビの取材でバリ島を訪れる。撮影はスタートするが、モンク自身の躁鬱と、スタッフの不手際や不協和音に悩むが、呪術師を取材し超常現象を体験した後、モンクも落ち着きスタッフもまとまる。帰国したモンクは親しい友人たちを誘い再びバリを訪れるのだが。リアルに迫りくる幻想体験を通じ、なぜか読むほどに心安らぐ小説。
感想・レビュー・書評
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らも記という感じだな〜と思って読んでて、あとがきでほぼノンフィクションって言ってたから、そうだよな〜と思った。
真理に近づいていくモンクが、端々のくだらない会話でバランスを取っているような不思議な本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょい難しい。理解しがたいけど、こんなにリアルに薬物について書かれると体験しなくて良い派の僕には勉強になります。
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バリに行った余韻に浸りたくて。行く前に読んでいたら、空気感が想像できなくて入り込みづらかったかも?
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まあまあ
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2005.8頃
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ノンフィクションだそうで、たしかにバリ島の色彩とか匂いとか現地の人の表情とかがリアルに描かれている。以前読んだ同著者の「ガダラの豚」と比べてとてもすいすい読めたし心地よかった。ソトさんがいいキャラしてる。
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中島らもによるバリ島紀行小説。アル中の躁鬱病持ちの主人公「モンク」は中島らもその人であり、ノンフィクション作品としても読める。実在するであろう登場人物に対する愛着ある描写が暖かい。
前半は作家のモンクが友人の音楽家(ゴンチチ)とテレビの取材でバリ島を訪れる。モンクの躁鬱と、TV業界の実情、呪術師による超常現象体験などが散漫な筆致で描かれている。
後半は帰国したモンクが親しい友人達を誘い再びバリ島を訪れ、呪術師との邂逅を果たし、「人間とはなにか」など、より潜在的な自問が展開される。なんというか、支離滅裂な構成だ。
本書のあとがきにも書いてあるが、前半は躁状態、後半は鬱状態で執筆を進行していたようで、読者にもそのテンションの落差が如実に伝わってくる。小説の体を成していないという批判は真っ当だが、全編に通じる幻想的な揺らぎがなにより心地よい。 -
躁病の著者と躁病が去って塩たれた状態の著者の2人の人間が書いた、リアルに迫りくる幻想体験ノン・フィクション。
86頁からの“地獄のミーティング”の章は痛快ですね。
174頁からの“ディレクター業に関するコツについてのレクチャ”も参考になりますね。
「普通の人間は、かちっと固まってしまっているから、大賢にも大愚にもなれないんだ」(P150)、「たいていの物事は、慣れてきた頃に終わる」(P164)は、示唆に富んだ指摘だと思う。 -
「アポーツ」って、えっ、今まで意味を取り違えとったわ。
てっきり、らもさんがプロレス好きやから、「アポーッ」って、ジャイアント馬場の声マネかと思てた。
すんません。でも、こんな読み方でもかまへんですよね、らもさん。
「そのカン違い、あんま、おもんないな。
でもまあ、かまへんか。
あんまりカチっとした読み方せんでもええで。」
…って天国のらもさんなら許してくれそうな気がする。
(2007/8/10) -
小説の形態をとっているけれど
内容は複雑怪奇なバリ島的人間探求のドキュメントである
二元論とか無限とかこの世の始まりとか意識などに
好奇の目を光らせている人達には捨てがたい本である
一般にはバリ・ヒンドゥーと呼ばれているが
その真髄には大乗仏教とアミニズムが流れている
中でもアグン残のベサキ寺院は大乗仏教に傾倒しているという
過去生から現在などの占いや個人に向けたお守りも創るらしい
ベサキ寺院のテジャ師は三という数を完璧として大事にする
祈りとともに涙が出だして怒りの涙から始まり
哀しみの色に変わり最後は無色透明になる
一般にバリの音楽をガムランと言う
鉄琴やドラによる強いリズムとメロディーで陶酔へと導く
この鉄琴は新しいもので
その昔はジェゴグという音楽で竹琴を使ったのだそうだ
大きいものだと四メートルもあるという
それを復興したのがサンカンアグン村のスウェントラさんだという
スウェントラさんの連れ合いはニホン人だそうで
普段はデンパサールに住んでいる
聖なる右手で湖水をすくい汚れた左手にふりかける
人生の汚物を拭くために余土してしまった左手
すべてのガラクタじみた奴らのために何度でも重なる汚辱で
棍棒のように固くなってしまった左手
その左手のために涙を流していたのではないかと〜
三+六で九・三✕三が九・三✕四が十二・一と二で三・三✕五で十五
一と五で六・三✕六で十八・一と八で九・三✕七で二十一・二と一で三
三✕八で二十四・二と四で六・三✕九で二十七・二と七で九・・・
数字で位階(ヒエラルキー)があるように色でもあるだろう
金色から白・水色・ブルー・赤・緑・土色・黄色・黒と並ぶと著者は言う
無色というのはこの世にない
人間は島だとテジャ師は言う
水が引けば島は繋がる
そこでは島と島が繋がって一つになっている
人間も同じかもしれない
一人ひとりも全体の底では繋がって一つになれる
人間は時間軸と空間軸に沿って点在している
皮膚によってお互いが外界と遮断し合っているけれど
全体観を取り戻せばシェアによる共生感覚を得られるのではないだろうか