- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087602401
感想・レビュー・書評
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<砂の本>
ボルヘスの短編集。ちゃんと筋のある小説っぽいものが多いです。ボルヘス自身の解説もあります。
【他者】
ロンドンに隠遁したボルヘスと、スイスで学ぶ若きボルヘスが出会い、その出会いについていろいろ考えるお話
【ウルリーケ】
「わたしが好きか、と聞くような過ちは犯さなかった。彼女にとってはこれが初めてでも、これで最後でもないことが分かっていた。(…)『これはみな夢のようだ。しかも、ぼくは決して夢を見ない』私は言った。『魔法使いが豚小屋で眠らせてくれるまで夢を見なかった、あの王様みたいね』とウルリーケは答えた」
ボルヘス短編の中ではロマンチックなものに分類されるのかな
【会議】
地球上のあらゆる者がメンバーである会議の結成と終末とその後の話。
【人智の思い及ばぬこと】
伯父の家に住み込んだ何者か。ホラーだと思うんですが正体がよくわからなかったです。
【三十派】
図書館の隅で見つけたある宗教流派の草案からの考察。空想の草案を作り「こんな原稿が見つかったから紹介します」というのはボルヘスのよくやる手段。
【恵みの夜】
「あのわずかの数時間のうちに、わしは愛を知り、死を見たんだからな。あらゆる人間に対して、あらゆることが啓示される、あるいは、少なくとも一人の人間が知ることを許されている限りのあらゆることがな。しかしわしはたった一晩のうちにこの二つの肝心なことが啓示されたのだ。長い年月がたって、あまり何度もこの話をしたので、今はもう、真実を覚えているのか、それとも、自分の語る言葉を覚えているだけなのか、とんとわからなくなったいまとなっては、もレイラの殺されるところをみたのが、わしだろうと他人だろうと、どちらでも同じことだ」
【鏡と仮面】
王の戦勝のために死を捧げる詩人。1年ごとに削ぎ落とされて作られた詩は、人が知ってはならない美の極致へと行きついてしまった。
【疲れた男のユートピア】
遙か未来の世界を訪れた男の話。
【贈賄】
二人の男の虚栄心から起きたある出来事。
【アベリーノ・アレドンド】
完全に世間との関わりを経った男の目的は?
最初に主人公の行動を書き、最後に目的が明かされる手法は「エンマ・ツンツ」などもそうなんですが、ボルヘス流ミステリーなのか。
読者としては、謎とも思ってなかったことが最後の種明かしと同時に謎と分かるの感覚が好きです。
【砂の本】
開くたびにページの変わる永遠の本を手に入れた男の希望と絶望。
<汚辱の世界史>
悪役として名を残す男たちの研究と紹介。ボルヘス流悪党列伝。
「ある男に成りすますために、まったく本人に似せなかった詐欺師」とか、ボルヘスの好きそうな逆説が現れています。
吉良上野介も書かれているんですが、参考にした書物が悪かったのか(A.B.ミトフォード翻訳「実録忠臣蔵」らしい)誠に僭越ながら一言申し上げたい。
作品内では、吉良上野介が浅野内匠頭に作法指南役として赤穂に赴き、赤穂城内で刃傷事件、本丸の中庭で切腹、介錯は大石内蔵助、と紹介されている。
…そもそも江戸時代の大名には参勤交代というものがあったわけで、赤穂城で誰を饗応するつもりだったんだ浅野家、「松の廊下」もできないし、介錯は城代家老ができるもんでもやるもんでもないし…
<エトセトラ>
古今の言い伝えを基にしたちょこっとした書き物など。
地域や年代が違っても伝承は似た話が多いものですね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
夏の初めのころ、区立図書館でこの本を予約した。
「返却待ち」の状態だった。予約順は1番め。
ほどなく返されるだろう、と待つことにした。
ところが、前に借りた人からなかなか返却されない。
一カ月がすぎた。それでも返却されない。
しだいに、借りてるのはどんな人だろう? とも考えるようになった。
未返却でひと月半がすぎたころ、図書館の予約状況が「調査中」の表示に変わった。
これはきっと紛失扱いになったな、と思う。
それから一週間ほどすぎたころ。
突然、予約したこの本を用意出来たという連絡がメールが届いた。
なんだか、不思議な気がした。
この本、どこか遠い場所を巡ってかえってきたような気もしている。
そんな経緯も、似つかわしい。
「砂の本」は、そんな小説である。
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標題作の『砂の本』が、やはり秀逸。
書物そのものが、魔のもののようである。
この書物の正体は知れぬままである。
無限の深淵につながる底なし沼のような本。
悪魔の棲むところをのぞくような、しずかな戦慄がある。
あるいは本来、書物は一般に、
底知れぬものを秘めている魔のような存在なのかもしれない。
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『他者』。
これも印象に残った。
一九六九年二月、ボストン近郊の川べり。
わたしが出会ったのは、若き日の自分自身であった。
面白いのは、わたしと「自分」の同一性を確認するための会話。
自宅書斎の本棚にある本を問う。
レイン訳の『千夜一夜物語』が三巻、キシュラのラテン語辞典、ガルニエ版の『ドン・キホーテ』…。etc. etc.
そして、
互いに、これまでに何を読んだかを訊く。
ドストエフスキーで何を読んだかのやりとり。
(『憑かれた人びと』というか)『悪霊』、『分身』
そして、わたしは「自分」に問う。
「それらを読んでいるとき、ジョゼフ・コンラッドの場合のように、人物を明確につかめるかどうか、さらにその全作品をくわしく読みつづける気になるものかどうか、ときいた。」
おもしろい。
衒学的にスリリングなやりとりである。
ふと、思う。ボルヘスは、ドストエフスキーをスペイン語で読んだのだろうか。
こうした一節に出会える。
ボルヘスの、書物への偏愛が滲む。
著者に親しみを覚えた。
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・表題作「砂の本」を含む、短編全14編を所収。
加えて、
・「汚辱の世界史」なる、世界悪人伝の短編7編を併収。 -
”砂の本”、”汚辱の世界史”から成る短編集。だが”砂の本”自体が掌編の集まりであり、”汚辱の世界史”も史実の人物の紹介と掌編による作品なので、単に短編集と書くのは違うかもしれない。
”砂の本”は13の掌編とボルヘス自身による後書きを加えた構成である。通い慣れた公園で過去の自分と出会ってしまう”他者”。無いはずの物を在ると信じ込み、積み上げてきたものを放り出しても追ってしまう”円盤”。読むたびにページの組み合わせが変わっていく本が出てくる”砂の本”。それら奇妙な設定に惹き付けられるが、その物語から浮かび上がってくるのは人の弱さや醜さである。人の業、人間臭さを感じてしまう。
次に”汚辱の世界史”では、上述のように史実と掌編から構成されている。その掌編は架空の人物と出来事を史実のように記述する。すると史実の文章と掌編の文章の区別が曖昧になっていく。史実と架空が互いに浸食を始め、史実がまるで物語に、物語がまるで本当にあった出来事のように錯覚を起すのだ。現実が揺さぶられていく感覚が読書を通じて伝わってくる。 -
文学
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2009年2月23日~25日。
相変わらず面白い。
特に「贈賄」「砂の本」にはゾクゾクした。
併せて収録されている「汚辱の世界史」も面白いのだが、ちょっといま一つだったりもした。
吉良上野介の章なんかは、日本人作家が書いたようにも思えて、別の意味で面白かった。 -
「他者」
70過ぎのボルヘスが20歳に見たない頃の自分自身と会うという、ドッペルゲンガー。嘘か本当かわからない話。同一人物なのに、年齢が違うとわかりあえないか。
「ウルリーケ」
作者(老年)がウルリーケという女性とイギリスのヨーク市で出会い、一夜をともにするまで。
「会議」
謎の世界会議の一員になる。結局、会議の目的は果たされなかったが(しかしそれこそが目的だったかもしれない)、解散する最後の夜が貴重なかけがえのない体験になったという話。
「鏡と仮面」
王様に詩を献上する詩人は、最後にはほんの数語のみの(一行?)究極の詩に到達し、彼は自殺し、王様は物乞いになって放浪するようになったという。
「汚辱の世界史」
ボルヘスが語る忠臣蔵もある。
p234 川に死体を投げ込むということはp132(「円盤」)と共通 -
特に強く心に残ったのは、
「砂の本」より、
他者
ウルリーケ
鏡と仮面
砂の本 ★
これらとは一生つきあっていきたい。
「汚辱の世界史」は澁澤風。
「エトセトラ」は別。
無限。円環。夢。運命。セルフと他者。絶対。終わりと始まりの連結。 -
現実と非現実。幻。読んでいるうちによくわからなくなってくる。読んだ後にふわーっと考えに耽ってしまったり、取り残されて戸惑ったりする。たまに読んで、異世界に浸りたくなる。んー やっぱ買っとこうかなあ。
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作品集「砂の本」+「汚辱の世界史」+α。
『伝奇集』より読みやすかったけど、
なんというか……シュール。
一般的な意味合いとはちょっと違うニュアンスで。 -
なんという世界観。
回廊を回りながら底に降りてゆく、そんな感じ。