がらんどう

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087718287

作品紹介・あらすじ

【第46回すばる文学賞受賞作】
最も読む快楽を感じた――岸本佐知子
不穏な虚を抱えたパワーバランスを評価したい――堀江敏幸
(選評より)

「ルームシェアっていうの、やらない? もっと広い部屋に住めるし、生活費も節約できるし、家事も分担できるよ」
「若い人たち同士ならわかるけど……本気なの?」
「四十過ぎた女二人が同居しちゃいけないって法律はないよ」
「でも、普通はしないよ。あと、わたしまだ三十八だよ」
人生で一度も恋愛感情を抱いたことがない平井と、副業として3Dプリンターで死んだ犬のフィギュアを作り続ける菅沼。
2人組「KI Dash」の推し活で繋がったふたりのコロナ下での共同生活は、心地よく淡々と過ぎていくが――
恋愛、結婚、出産、家族……どんな型にもうまくはまれない、でも、特別じゃない。
《今》を生きるすべての人へ、あらゆる属性を越えて響く“わたしたち”の物語。

■著者紹介
大谷朝子(おおたに・あさこ)
1990年千葉県生まれ。2021年『がらんどう』で第46回すばる文学賞を受賞。

感想・レビュー・書評

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  • アイドルの推し活で繋がった2人の女性。
    42歳と38歳、若くはない2人がルームシェアをする。
    特に個性が強いとは思えないが、フィギュアを作る菅沼は珍しい人だとは思う。
    平井はどうか、となると普通なのかもしれない。
    本人曰く、「わたしは、普通じゃないことを選ぶのが怖い。なるべく地味で、目立たないでいることは楽だし、そうやって過ごすのにわたしの性質も見た目もぴったりだと思っていた。」
    その彼女が一緒に住むことを選択し、決心するまで日数を要した。

    そうして一緒に生活して思うことは…。
    突き詰めて考えることでもなく、穏やかに時間は流れその時間の少しを共有していくことが、一緒に生活していること。
    きっちりと型におさまることをせずに。
    …ということなのか。

    ただ、平井は恋愛し、結婚し、出産もという望みはあったのだ。
    そう、いわゆる普通の、一般的な女性としては。
    だが、どうしても普通にはいかないもどかしさを感じながら埋まらない心の穴をどうにかしたいという思いが伝わってきた。
    こういう表現し難い感情が溢れていたように思った。

  • 四十手前の「平井佐和子」は、四つ年上の推し活仲間である、「菅沼」から、コロナ禍で人と会えない寂しさが募ったことでルームシェアを提案された事に、最初こそ躊躇いを覚えるものの、結局は承諾する事になる。

    その躊躇いは、平井にとって、『菅沼との同居を決める=諦めるということ』であり、彼女の人生は承諾した時点で、既に何かが終わってしまった感を受けそうだが、その後もそうした雰囲気を、例えば、3Dプリンターで死んだ犬を作る事が、菅沼の仕事であることや、平井がいつも歩く、通りの街路樹の重なり合った葉が『嘘みたいに』鮮やかな緑色に感じられたこと等からも察せられるように、どこか生と死の境界線が曖昧になった空虚な世界で、ひとり孤独に生きているような、そんないたたまれなさを感じさせられ、それは『まやかしの身体をフィギュアとして現世に残し、あの世では魂の尻尾を振りながら駆け回る』といった、平井の思いからも酌み取れる。

    また、そうした思いに至る、ひとつの理由として、本書では『結婚』があり、平井も菅沼もそれぞれに、母親の結婚に対するマイナスの影響を意識していることから、菅沼はそれを、『負ける可能性の極めて高いギャンブル』と感じており、平井は、十五の時に母親が再婚した男に嫌悪感を抱いているものの、彼女の価値観としては迷走している点もあって、それは『「わたしにも」と「わたしには」が混じり合う』や、『したくない。でも、できる、かもしれない』といった、揺れ動き続ける思いに表れていて、こうした葛藤に、きっと共感できる女性もいるのだろうと思わせる、その切迫感に襲われる様には、人生とは何なのだろうと、思わず感じさせずにはいられなかった。

    『苦しくならないで、何もかもすべて諦めて、生きていくことはできない』

    タイトルの『がらんどう』は、第四十六回すばる文学賞を受賞した時の、「空洞を抱く」を改題したものであるが、それらに込められた意味は、まさに上記の平井の絞り出した思いに集約されているように感じられ、人には何かを為したいといった、心の意思を持っていて当然の存在であるはずなのに、その意思が、がらんどうの状況である事には、本来、諦めるというのは、どこか吹っ切れた感を覚えて、清々しささえ感じるような充足感があるのだが、平井の場合、自ら捨て去ってしまった、それは本来、望むべくした事では無かった事がとても辛く苦しいのだと言っているようで、この諦めるということを許してくれないような、見えない闇の存在というのは、おそらく、現代社会のそこかしこで、未だに燻っているのだろうと思うと、多様性やジェンダーフリーなどと謳われる今だからこそ、より考えさせられるものもあり、そのあまりの闇の深さに気が遠くなりそうになる。

    しかし、平井の『がらんどう』に対する思いは、新たな視点によって見直される事になり、そこで見られたのは、どこか自分から離れていきそうな距離感を持った菅沼とは違い、まるで鏡に映った自分自身の心の中を見出したような愛おしさであり、そこには過去に抱いていた、『あきらめる=苦しくなる』から解き放たれたかのような印象を受けると共に、何かを手放してしまったかのような悔恨めいた思いも覗えそうだが、それは、誰も咎めたり嘲笑したりする事の出来ない、彼女自身の生き方であることを決して忘れてはいけないのだと思った。

  • 読んで良かったと率直に思いました。
    平井と菅沼、お互い40歳を過ぎて、仕事一本で
    結婚せず、お互いの好きな事で生きてきた。
    ある時、お互いが好きな同年齢の男性アイドルの一人が、15歳年下のグラビアアイドルとデキ婚した。人と違うと分かっていても中々その事を自分で認められない、お互いが、次に進むために、婚活を始めるのだが。


    多様な現代で、人と違った価値観を持つことが当たり前になってきてるが、中々世間一般の価値観に取り残される方が多いのも現実問題としてある。
    過去のトラウマで、男性に苦手意識を持ってしまった平井も次に進むために、マッチングアプリを使って、男性と会う段取りをつけたが、その相手が、マルチ商法の類いだと分かった。
    マイノリティに優しい世の中になってほしいとあらためて実感しました。

  • 第46回すばる文学賞・受賞者インタビュー 大谷朝子 | 集英社の月刊文芸誌「すばる」
    https://subaru.shueisha.co.jp/bungakusho/history/interview/

    半径2メートルから 第46回 すばる文学賞 受賞作「がらんどう」大谷朝子 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
    https://shueisha.online/culture/88983

    がらんどう/大谷 朝子 | 集英社 ― SHUEISHA ―
    https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-771828-7

  • 生き方がこんなに多様になった現代でも、
    生物としての根本である出産を、
    その前提である恋愛を、
    人生のノルマ、あるいは宿命、
    あるいは願望として意識せずに生きるのは難しい。
    出産にはタイムリミットがあるから余計に。
    そういう「まっとう」なゴールを目指せないことが生むがらんどう。
    結婚や出産がゴールでないことは
    本当はみんな知っているし、
    その先にある生活にこそ空虚さを感じることもある。
    人は、どうなれば満たされるのだろう。
    人は、なんの拠りどころもなくても健やかに生きられるものなんだろうか。
    自分の中身についてなんだか不安になってしまった。

  • 読み終えて、心の中の気持ちや言葉はうまく纏まらない。何か特定の感情では終わらない話なのだと思う。実際の生活の中でふとした時に、このふたりのことを様々な感情と共にきっと思い出すだろうなとは思う。なんだかスマホの連絡先に入っている知り合いかのように。

    ネタバレのフィルターをかけずに書くので、未読の方でまっさらな気持ちで読みたい方は以下の部分は読まずにそっと閉じてください。


    感じたことを思いついたままに書き連ねていこう。

    コロナによって今までの生活が一変した時に、猛烈な寂しさを感じたことはとても良くわかる。その時までの友達や知り合いの関係性や繋がりを色々と考えさせられた。誰が支えになってくれるのだろうか、その逆で誰かの支えになれるのだろうかと。それは家族に対しても。誰かと暮らすことを選ふことができるのは、それはちょっとした意思次第なのかもしれないが強さでもあるように思う。それでも誰かと暮らすことを選べない人もいるはず。ひとりを選ぶことが強さなのだとしたら、同居を選ぶのもまた強さだと感じる。

    誰しも時として「がらんどう」だと感じることはあるし、時として感じないのではないかと思う。年齢や環境によってあるし、ない。幸せによってなくなるのかと思えば、果たしてそうでもないようにも思える。白いプラスチック製の赤ちゃんに、不完全なままのものを選ぶ気持ちはわかる。そこに完全な姿や形の造型を求めるのは違う気がするから。がらんどうなのにがらんどうではないような小さな差異。ただ、これもきっと年齢や環境によって変わるだろうから、もしかしたらお焚き上げにしてもらうことだってこの先あるのだろう。

    結婚や出産に関して、今まで通りの考え方ではなく個人の生き方を尊重する気風はありつつ、今まで通りの考え方を痛烈に感じずにはいられないこともまた同時に存在している。アイドルの推しや亡くした犬のフィギュアは自分の存在理由を形ある外のものに求め投影したものであり、がらんどうは自分の存在理由を形のない内なるものとして表しているのではないだろうか。どちらが必要だとか不必要だとかではないもの。自分の子供に自分の存在理由を感じることもあるかもしれない。

    何事にも変化はあるだろうから、囚われすぎず柔軟に生きていければ、受け入れて楽しむこともできると信じたい。

  • う〜ん。アラフォーのルームシェアは羨ましい。そこに異性や婚活やらが入るとバランスが崩れていくのでは。異性に拒否反応を示しつつ、赤ん坊を育ててみたい。なぜ3Dプリンターで作ったがらんどうの赤ん坊で満足できるか。勧誘と知りつつ出会い系アプリの相手に連絡するか。う〜ん❓が付きまとう。

  • 「産めよ増やせよ」ではなく「個」を尊重するようになった現代の人類。
    いまだ、雌の卵子は有限であり、繁殖には期限がある。

    女性が男性と肩を並べて、社会に参加する
    もちろん、素晴らしいことだと思う
    でもまだ、出産、育児、仕事をうまくこなしてる人は少ないように見える。

    どれかを犠牲にしないと、欲しいものは手に入らない。それが当たり前になってる気がする。それは、個人の問題というよりも、社会が痩せ細っているからかもしれないけど。

    大人になったら、結婚して、子供を産んで、愚痴を言いながら暮らすもんだと思ってた。

    仕事も楽しく。友達と遊ぶのも楽しく。へらへら生きてたら、なんかちょっと思ってたのと違った。あれ、結婚も自分で決めないと進まないのか。子供を産むことも、計画的に進めないとできないのか。あれ?

    その、思ってた未来に向かう道は、どうもだいぶ手前で違う道に進んでたみたいだな、ということにも気づいた。たぶん、気づいたのは私だけだった。

    ギリギリどうにか、死に物狂いとかでがんばれば、なんとかなるんじゃないか、という線を超えたところで、一気に気持ちが楽になった。死に物狂いで頑張るほどの熱い気持ちはもう無かった。

    ああもうあのヒリヒリした空気の中にいなくていいんだ、ってホッとした。

    ああつらいなあ。まだ現代の人類なのに、こういうこと気にしなきゃいけないのか。

    この本を読んだ時、そう思った。「犬のかたちをしているもの」を読んだ時も、そんな風に思った。「徴産制」でも同じ。女は子供の頃から雌としての身体からは逃げられない。





  • すごく読みやすく、もっともっと続きが読みたい頃に終わる。生きづらさを抱えて生きる女性が主人公であるが、普通というレールに乗ってないことが、まるで悪いことであるかのような世間の同調圧力や異性への嫌悪感の描き方など、読んでいてすごく
    理解できる。登場人物の女性達が高瀬準子さんが描くキャラクターに似ている感じがする。大谷朝子さん、これから注目していきます。

  • こういう人生もありなのかなと。
    "産まない"と"産めない"は違う。
    "産めない"の方が圧倒的に辛いと思い込んでいた。
    "産まない"に諦めの意味が含まれる場合もあると気づけていなかった。

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