- Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087735208
作品紹介・あらすじ
リリアン28歳、人間嫌い。自己肯定感はかなり低め、将来への希望もない。
1995年、春の終わりに、そんなリリアンのもとに友人のマディソンから手紙が届く。おもしろい仕事があるので、彼女の暮らすお屋敷まで来てほしいという。それで、頼まれたのは10歳の双子のお世話係。なりゆきに任せて引き受けたけれどーー子供たちは興奮すると〈発火〉する特異体質だった!?
全米ベストセラー作家ケヴィン・ウィルソンが涙と笑いで〈リアル〉に描く、ほろ苦い愛情と友情の物語。
ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、USAトゥデイ紙、タイム誌、ピープル誌ほか、10の全米主要メディアが年間ベストブックに選出!
【著者略歴】
ケヴィン・ウィルソン
1978年テネシー州スワニー生まれ。フロリダ大学美術学修士課程修了。デビュー作の第一短編集『Tunneling to the Center of the Earth』(2009)でシャーリイ・ジャクスン賞と全米図書館協会アレックス賞を受賞。2011年に発表した『The Family Fang』はジェイソン・ベイトマン監督、ニコール・キッドマン主演で映画化された。その他の作品に『Perfect Little World』(2017)、短編集『Baby, You're Gonna Be Mine』(2018)がある。妻で詩人のリー・アン・クーチと二人の息子と共にスワニー在住。サウス大学で英文学の准教授を務めている。
【訳者略歴】
芹澤恵
東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。訳書にR・D・ウィングフィールド〈フロスト警部〉シリーズ(東京創元社)、O・ヘンリー『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編』(光文社)、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(新潮社)、ケヴィン・ウィルソン『地球の中心までトンネルを掘る』(東京創元社)、エレナ・ファヴィッリ他『世界を変えた100人の女の子の物語』(共訳、河出書房新社)など多数。
感想・レビュー・書評
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自暴自棄な生活を送っていたリリアンのもとに、高校時代の友人マディソンから頼みたい仕事があると連絡を受ける。マディソンは将来を嘱望されている上院議員のジャスパーと結婚し、子どもが一人いる。そのジャスパーと前妻の双子のこどもたちの家庭教師兼世話係になってほしいという。10歳になる双子は、興奮すると発火するという特異体質だった。
子どもたちの体質の設定が突飛過ぎてコメディーかと思ってしまうが、なかなか深い話だった。一癖も二癖もある登場人物ばかりだが、読み進むうちそれは必然と思えてくる。何よりもリリアンと双子たちが愛おしい。
脇役のカールとメアリーがステキだ。 -
図書館の新しい本コーナーに置いてあったから、てにとって少し読んでみるとおもしろかったので、そのまま借りる事に!家でとても読み老けてしまいました(笑)
(特に、興奮すると発火するところ) -
リリアンのアメリカらしさあふれるクセ強めの語り口調がド日本人のわたしには馴染みにくかったけど、のんびりと読んだ。子ども嫌いのリリアンと発火する双子の一夏、という設定がおもしろかった〜。リリアンとマディソンの簡単に説明ができない仲もよかったです。
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1ページ目からすでに面白い
p18
「力を手に入れたいから。わたし、大きなことを成し遂げられる人間になりたいの。たくさんの人に、それぞれの人たちが一生かかっても返しきれないほどの恩義という名の貸しをたっぷり押しつけたいの。とんでもない大失敗をしちゃっても、ぜったいに罰を受けることのない、超がつくほどの重要人物になりたいの」
(出会った直後のマディソンの言葉)
p37
とはいえ、こと愛に関して、わたしは目利きではないという自覚はあった。なんせ、それまで生きてきて愛というものを経験したことはおろか、ただの一度も眼にしたことさえなかったから。
p50
事態の深刻さの程度がわかり、問題の根底を理解したので、その深みにおりていっても、たぶん無事にまた這いあがってこられるだろうと思えた。わたしはべらぼうに坐り心地のいいソファの背もたれに寄りかかった。ちょうどいい位置に身体がおさまった。それからすぐにまたすばやく身を起こして、サンドウィッチをもう二切れ食べた。
(サンドウィッチ食べすぎだろ…w)
p116
でも、そういうものかもしれない、とも思う。そう、大枠となるものがあまりにもぶっ飛びすぎている場合、人は得てして小さな奇跡にしか眼がいかなくなるものなのだ。
(双子と出会った直後のシーン)
p122
愛されず、顧みられず、さんざっぱらまわりに振りまわされてきたこのふたりは、わたしだった。この子たちが必要とするものは、それがなんであれ、すべて必ず手に入れさせるつもりだった。(略)
ふたりのことを愛しているわけではなかった。わたしはなんせ身勝手な人間だったし、自分以外の人のことをそれほど深く理解できているわけでもなかったし、ましてや愛などという込み入った感情を本当の意味で感じたこともなかった。それでも、このふたりに対しては柔らかくて温かい気持ちが生まれていた。それは、わたしのちっぽけな心には、一種の進歩であるように思われた。
p135
「そう、ここが家だよ」とわたしは言った。私の家ではないし、子供たちの家でもなかった。それは承知のうえだった。でも、盗んでしまえばいい。ひと夏かけてこの家を乗っ取り、わたしたちの家にしてしまえばいいだけのことだった。だって、誰に止められる?悪いけど、わたしたちには炎という武器があるんだからね。
p140
これが子育てにおける気分の"波"というものかもしれなかった。急激に高まったかと思えば、すとんと落ちる、乱高下というやつだ。それで以前、母さんが言っていたことを思い出した。母親業というのは"後悔することと、ときどきその後悔をわすれてしまうこと"でできあがっている、と言っていたことを。
p159
(「おやすみ、リリアン」のシーン 泣くだろ…)
p166
もっと愉しい物語を書けるようにしなくては。あの子たちのためにも、わたしのためにも、まわりのみんなのためにも。
p244
あの子たちも燃えているあいだ、こんな気分になるんだろうか?わたしにはわからなかった。だけど、個人的には、この感覚が永遠になくならなければいいのに、と思った。
p252
「あたしたちのことなんて、誰も気にしちゃいない」、「図書館にいたあいだ、ぼくたち、普通の家族みたいに見えたね」のシーン
(このスリルと笑いの直後でこの言葉が出てきて、なるほど彼らにとって「他の人から普通に見えること」ということがこんなにも…とじんわりあたたかくなった)
p254
(リリアンが双子に向ける愛がまぶしい…!)
p312
そのことでわたしの心は粉々になった。そして、自分は人生の大半を、こうして心が粉々になり、それでけりがつくのを待つことに費やしてきたのだと悟った。
p318
その小さく震える青い炎をベッシーは持っていた。両手を丸めて、包み込むようにしながら。愛というものに形があったら、きっとこんなふうに見えるんしやないかと思った。かろうじて存在してはいるけれど、いとも簡単に消されてしまいそうだったから。
p324
(このページでようやくあの医師がどうして一族のかかりつけ医だったのかを理解した)
(このまま悲しい結末へ一直線…にならなさそうでとても嬉しい。そうこなくっちゃあな!って思った)
p379〜最後まで
(最高…!不必要で過剰な明るさとか持ち上げとかじゃなく、平坦というか、嬉しいはず、嬉しく感じるのが普通なのではと思いながらも悲しさを抱くというリアルさがすごくよかった) -
特殊な設定、環境にも関わらず、さくっと読める物語でした。
主人公の思い切っちゃう感じや双子の賢さがよかった!切ない面もあるけど…
なにより好きなのは家政婦のメアリー。彼女の作る料理を食べてみたい。
物語の後、リリアンと双子たちはどうなったのか。 -
とってもおもしろかった!!
今年の個人的ベスト5に入るし棺桶本としても追加したい一冊。
大好きな作家さんがおもしろいと仰っていたので息をするようにポチッとしたのだけど、本当に読めてよかったと思えるいとおしい物語。
人間嫌いのリリアンが10歳の双子と過ごす一夏の物語と言ってしまえば、どこにでもあるような物語に聞こえるけれど、これはどこにもない唯一の物語だし、発火体質という特異な要素がありながらも、ファンタジーではなく、あくまでリアリティのある物語。
子どもの描かれ方もとても好きで、余計な美しさもわざとらしい子どもらしさもなく、双子たちの描かれ方がナチュラル。アンナチュラルな発火という要素があるのにナチュラル。それがすごいよね。
『発火』と特別なのように思えるけれど、子どもって実際に燃えないだけでこの発火に匹敵する心の炎が燃えるときがある。だからとてもナチュラルに感じたのかもしれない。
わたしはリリアンとマディソンの関係性も好きで、女同士ってこういうとこあるんだよね、と時折頷きながら読みました。
またこうして死ぬまで大事にしたい一冊に会えて幸せだなぁ。
これから何度も読み直すとおもう。
三人がこの先も『悪くない』日々を過ごせることを祈ってしまうし、時々勝手にこの先を想像して楽しんでしまうだろうな。
年齢性別問わず楽しめる一冊だとおもう。 -
この本が言いたい事をまとめれば、
多くの大人は子供たちと出来る限り関わらないようにしたり、自分の都合を押し付けてばかりいる。
しかし、子供たちの人格を尊重して付き合えば、子供たちも懐き信じてくれる。
くらいでしょう。それをストレートに物語にしたら、なんだか重苦しいばかりの話になりそうなところを、主人公の双子を発火する子供(文字通り燃え上がります。服も焼けるし火事にもなりますが、本人はダメージを受けません)にしたので、なんだか楽しい話になりました。そして登場人物を片っ端から「一見xxだけど実は・・・」とした事も成功の一つでしょうね。端役なのですがメイドのメアリーのキャラなど、なかなかです。
どこかにアメリカと日本の視点のズレみたいの物が有って、疑問符が浮かぶことも時々あるのですが、なかなか面白い小説でした。
原題:Nothing To See Here(見るべきものはない)。このタイトルだと手にしなかっただろうな。 -
貧困から抜け出すために私立の名門女子校に入学するも、ある事件がきっかけで中退し、その後はうだつの上がらない人生を送る28歳の主人公・リリアン。彼女のもとへ、女子校時代の親友で、現在は上院議員の妻であるマディソンから手紙が届く。その手紙には、10歳の双子の世話をリリアンに頼みたいと書かれていた。そして、その双子は情緒不安定になると「発火」する特異体質の持ち主だった・・・
この作品は主人公・リリアンの視点で物語が進んでいくので、リリアンの思いや考えがストレートに表現されている。そして私はいくつかの点で、リリアンに強く共感した。
まず、他人との関わり方について。『わたしは本気で人間が嫌いだ。なぜなら、人間が怖いから。』という彼女は、他人に自分を理解してもらうことを諦めて、ただの幽霊のようになりたいと思っている。
そして次に、自分の将来についてなんの希望も抱いていない。いわば余生を過ごすように、投げやりな態度でその日暮らしを送っていること。
そんな彼女が、世間からは特殊だと思われている双子と向き合うことで、これまでの「わたしの人生」が終わり、誰か別の人生に入り込んだように感じていること。そのうえで、その人生を生きてみたいと感じるようになったこと。
これらの点で主人公に共感した私は、なんとかリリアンや双子のベッシー&ローランドに幸せになってほしいと、妙な感情移入をしながら物語を読み進めた。結末は読んでからのお楽しみだが、さすがアメリカというか、ハリウッドの映画を見ているかのようにきっぱりした読後感だった。