- Amazon.co.jp ・マンガ (186ページ)
- / ISBN・EAN: 9784091354600
作品紹介・あらすじ
それぞれの想いが交錯する、衝撃の11巻!
修学旅行で奈良へ向かった秋姫達。
秋姫は、瞬との奈良町行きを楽しみにしていたが、
奈良に住む鬼の一族に狙われてしまう。
友達が狙われるのを防ぐため、タケルは
うららと共に、鬼の宝を見つけるために吉野へ向かう。
それを知った秋姫・瞬もタケルを追うが……
吉野で待ち受ける、秋姫の衝撃の運命とは――!?
【編集担当からのおすすめ情報】
秋姫と瞬の想いが交錯する、奈良修学旅行編です。
好きな人を、友達を守りたい、そんな想いで吉野に向かった秋姫達を
待ち受けていたものは…!?
鬼の宝を巡り、秋姫の運命にも大きな変化が訪れる11巻、見逃せません!
感想・レビュー・書評
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コミック
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瞬くんが天狗になりたかった理由。みんなからのメール。お母さんからの言葉。周りの優しさや思いに囲まれて、納得できる終わりに向かっていますように。
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戦闘シーンは、もうちょっとなんとかならなかったんですかね。一番、盛り上がるシーンで迫力ない、コマ割り? おかしい、表現力ないって不味いでしょ。いくら少女漫画とは言え、このシーンばかりはヨソから専門の編集さんを借りてきて指南してもらうこと出来なかったんでしょうか? 腐っても天下の小学館でしょうに。本当に良い作品だけど11 巻だけは、編集さんの力不足としか言い様がない。少年漫画ほどとは言わなくても、せめてそこそこ見れる戦闘シーンであったならば、間違いなく最高傑作になったであろう漫画だっただけに非常に悲しい。
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ミドリちゃんの誰にも言ったことの無い話って何!?
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「あなたがいるこの世界の陽差しのやわらかさよ」
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うららちゃんをどう消化したらいいかわからない自分がありますです。
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天狗と鬼と変人たちのユートピア。
ゆるゆるとした恋愛ファンタジーもいよいよ佳境です。
天狗の力に呑まれそうな秋姫の運命は?
ツンデレ瞬の想いは叶うのか?
物語の終わりが見えてきました。
世知辛い現実を完全に忘れさせてくれる恋愛漫画は貴重なので、名残惜しいです…。 -
一気にシリアス(&バトル)に!夫々の想いを胸に闘う。表紙は今の秋姫の心象風景か。最後の台詞、続きがメッチャ気になります。続きは冬か…
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泣いたよー!
泣かせてくれたよー!
しゅんちゃんがいる風景が愛おしく感じる。主人公の気分にひたった。
お母さんのセリフにも泣けた。
いいなぁ。 -
なんか・・・
ついていけなくなってきた・・・(;´Д`A ```
でもそろそろ終わりそうだなぁ。 -
鬼の宝を探すため吉野に向かうタケル。それを止めようとする瞬たち。そして秋姫。けれど鬼が甦ってしまい、絶体絶命のピンチに…。
戦いがメインの話。秋姫がどうなってしまうのか非常に気になるところで終わってる。次の発売が待ち遠しい。 -
怒涛の展開になってしまって、ついこの間まで普通の高校生のように悩んでいた秋姫たちが懐かしく思えるほどの。
瞬ちゃんが天狗になりたかった理由。
秋姫が瞬ちゃんとの間に感じていた温かさ。
タケルくんの純情。
それだけでも相当胸が一杯だったのに、37通のメールに、最後に付け加えられた一通のメール。
それが瞬ちゃんでも眷属でも両親でもなかったことに、いい意味ですごく泣けたのだけれど、
最後の最後に…!
ホントにやられました…!
きっとご両親はどういう形かは分からなくても、いつかはこの日を迎えることを知っていたんだろうなぁ…。
どうなるのかなぁ、どうなるのかなぁ。
でも、この話をずっと読んでいて良かった。
そしてうららちゃんが二度目に開いた古墳の扉から出てきた動物たちの美しさに打たれました。
何というか…岩本さんは本当に動物を描くのが上手いですね。
どんなリアルな絵より心に響きました。
でも、ここで終わるなんて…!と思ったけど、これより前だったらもっと暴れたと思うので、ここだったことに良しと思うことにします。
ってか、このおまけ漫画の三郎太と赤沢ちゃんの関係は何なのっ!?
それに付随した周囲の時間の経過はどうなっているの!?
それがめっちゃ気になる…
12巻はよ! -
表紙が不穏ではらはらしたけど、最終的には周りの人のあたたかさを思い知らされて胸がいっぱいになった。
秋姫、大丈夫だよね。。 -
“「瞬君はさ なんで天狗になりたいの
かっこいいから?強いから?長生きできるから?」
「最後の最後で あいつの手を離さないためだ」”
ちゃんと理解するために一度は読み返したくなる。
ミドリちゃんのメールの本文が好き。
うららちゃんとタケル君が気になる……!
“「あ 西城」「なんだ」
「お前 俺が意識してる子ほど名前呼べないの知ってた?」
「お前保育園のときマスミ先生のこと「先生」とも呼べなかったじゃねえか」”[P.146]