逆説の日本史 22 明治維新編 西南戦争と大久保暗殺の謎 (小学館文庫 い 1-37)
- 小学館 (2019年5月2日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094066357
作品紹介・あらすじ
「維新の英雄」はなぜ自滅の道を選んだのか
『週刊ポスト』誌上で四半世紀以上にわたって連載中の、作家・井沢元彦氏による歴史ノンフィクション『逆説の日本史』。文庫22巻より、いよいよ明治時代に突入します。
第一章「明治維新編」と第二章「明治政府のグランドデザイン編」では、維新を成し遂げた明治新政府面々の奮闘ぶりを紹介。
続く第三章「明治六年の政変編」では、維新の立役者である大久保・木戸と西郷・板垣の深刻な対立に発展した明治六年の政変と、その原因となった「征韓論」についてわかりやすく解説しています。
第四章「サムライたちの反抗編」は、悲運の男・江藤新平と佐賀の乱についての考察。
そして第五章「サムライたちの反抗編2」では、西南戦争における“最強”西郷軍敗退の謎に迫ります。
なお今回巻末に「補遺編」として、『逆説の日本史』第一巻の刊行以降に判明した歴史的発見を踏まえ、これまでの『逆説』の訂正や付記も収録しています。
感想・レビュー・書評
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1巻から読み続けたがこの巻が限界かなぁ
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この巻から明治時代に入ります。大久保を中心に有司専制を強めていく政府に対して、不平士族たちが反乱を起こします。本書ではとくに江藤新平と西郷隆盛に焦点をあてて、両者が新政府の方針に対してどのようにかかわり、どのような思いで反旗をひるがえすようになったのかを解き明かしていきます。
巻末の「補遺編」では、連載開始から25年以上が経ったことを踏まえて、その後の歴史学の進展や著者自身の見解の変化などについて説明がなされています。著者はこれまでもたびたびアカデミズムの歴史学の史料絶対主義を批判しています。それに加えて本書では、「人間の行動の集積が歴史だが、それを真の学問として確立するならば“何をやったか”だけでなく“なぜそんなことをしたのか”までを考えなければならないはずだ。しかし、今の日本の歴史学はそういう真理を追求する構造になっていない。だからこそ私はこの『逆説の日本史』で、その方法論を確立しようとしている」と述べられています。ここから、史料にもとづいて判断しうることだけを追求するのがアカデミズムの歴史学であり、著者のいう「方法論」にもとづく歴史についての探求は、アカデミズムの歴史学とは異なる営みであるということを著者自身も明瞭に理解していることがわかります。
また著者は、「信長は天才ではない」という歴史学者たちの理解に対しても、くり返し反論をおこなっています。ただこの点にかんしては、おそらくフランスのアナール学派など以降に強調されるようになった社会史的な歴史解釈が、歴史学者たちの議論の背景にあるように思います。著者の主張も理解はできるのですが、歴史上の人物や事件に対する評価が無手勝流だと感じてしまいます。 -
☆☆☆2021年1月レビュー☆☆☆
江藤新平が可哀そう。今回読んで最も感じたのはそれだ。
江藤ほどの熱意、実力がありながら、あのような不幸な死に方をしたのは辛すぎる。ライバルの大久保による残酷な処理。大久保ほど非情に徹しきれる政治家は他にいないあだろう。
西南戦争の事については
もし、熊本城の天守閣が戦争前に焼失していなかったらどうなったのだろうと思う。
あれがあったから「熊本城はすぐに堕とせる」と薩軍は勘違いしたのかもしれない。 -
前巻でも書いたように思うが、本編では井沢節はトーンダウン気味。やはり、資料が多い近世は通説に寄りがちなのかもしれない。
一方、本編終了後の過去の話題の修正編では、井沢節が見られる。
言霊信仰、怨霊信仰がこの人の説の通底なので、その影響が少なくなったと見られる近代では、新説が出にくいのかもしれない。 -
先日の記事で、このシリーズに一貫して貫かれている「言霊信仰」「怨霊鎮魂説」について、歴史学者呉座勇一が痛烈に批判をしていた。
歴史書としてみるから「資料軽視」として批判したくなるので、フィクションとして考えればそれほど目くじらたてることもないと思う。
実際(特に天皇や朝廷は迷信深かったので)そういった要素もあっただろうし、しかし実際の政治(特に武士)はリアリズムだから、それほど大きな影響はなかっただろうというのが現実だろう。 -
20190511読了