- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101152387
感想・レビュー・書評
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徳川三百年の礎を築いた徳川家康の生涯を描く歴史小説。
なぜか、戦国時代の司馬作品では、この作品だけまだ読んだことがなく、おりしも大河ドラマで注目されているので、この機会に読んでみました。
上巻は、信長が討たれた所まで描かれており、家康の巧みな政治力で徳川家を守ってきた苦労が伝わってきました。
また、三河の風土であったり、三河武士の特徴であったりしたものがこの時代を生き残る重要な要素であったことも理解することができました。
時折挟まれる司馬史観の余談もこの令和の時代にあっても考えさせられる内容でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【感想】
「国盗り物語」や「太閤記」でも、特に異質で不気味な雰囲気を醸し出していた徳川家康が主人公の物語。
読んでいると、家康は決して野望家ではなかったということが窺い知れる。
その独特さや不気味さ、総じて変わり者であるという点はあくまで「三河者」というジャンルが為すものであり、その中でも特に家康は現実主義で、そして悪く言えば地味で、才能や運に頼らずコツコツと物事を堅実に積み上げつつ立身していく様が見て取れた。
家康と、信長や秀吉との違いは、かの有名なホトトギスに関する一句でとてもよく分かる。
かと思えば、たまにヒステリックの如く奇抜な行動を起こし、狼狽え激情し、そして次の瞬間には瞬間冷却されたかのように冷静になる。
また、計算はするが、決して人を裏切ったり、打算的な考えは用いない。
このような変人エピソードもまた読んでいて家康のチャームポイントであり、面白いなーと思った。
家康本人の台詞やエピソードがさほど作中に多くないのも、彼の生前の本音や意見を漏らさない性格によるものなのかもしれないと読んでいて感じた。
下巻も非常に楽しみだ。
【あらすじ】
徳川三百年―戦国時代の騒乱を平らげ、長期政権(覇王の家)の礎を隷属忍従と徹底した模倣のうちに築き上げた徳川家康。
三河松平家の後継ぎとして生まれながら、隣国今川家の人質となって幼少時を送り、当主になってからは甲斐、相模の脅威に晒されつつ、卓抜した政治力で地歩を固めて行く。
おりしも同盟関係にあった信長は、本能寺の変で急逝。秀吉が天下を取ろうとしていた…。
【内容まとめ】
1.国人が質朴で、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる点、利口者の多い尾張衆とくらべて際立って異質だった。
「三河衆一人に尾張衆三人」という言葉すらあったほどで、城を守らせれば無類に強かった。
2.武田信玄の西上に対して
「敵がわが公野を踏みつけつつ通り過ぎてゆくのに、一矢も報いずに城に隠れているなどは男子ではない。」
何事も慎重をかさねてきたこの男が、血の気を失うほどの形相でこう言った。
家康という人間を作り上げているその冷徹な打算能力が、それとは別にその内面のどこかにある狂気のため、きわめて稀ながら破れることがあるらしい。
結局は惨憺たる敗北に終わるのだが、しかし彼ののちの生涯において、この敗北はむしろ彼の重大な栄光になった。
3.我が子・信秀(後に切腹)を陥れた家臣に対して
信長はかつて酒井忠次の詭弁を信じ、家康にその子と妻を殺させた。
それほどの目にあった家康こそ反逆すべきであるが、家康は強靭な自己防衛上の意志計算能力を備えていた。
信長も、いま目の前にいる老中の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であると思ったときには自分は自滅するという事を家康は驚嘆すべき計算力と意志力、冷静さをもっていた。
【引用】
「人よりも猿のほうが多い」
ただ国人が質朴で、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる点、利口者の多い尾張衆とくらべて際立って異質だった。
「三河衆一人に尾張衆三人」という言葉すらあったほどで、城を守らせれば無類に強かった。
p34
家康という、この気味悪いばかりに皮質の厚い、いわば非攻撃型の、かといってときには誰よりも凄まじく足をあげて攻撃へ踏み込むという、一筋や二筋の縄では理解できにくい質のややこしさを創り上げたのは、ひとつにはむろん環境である。
桶狭間によって勢力地図が変わり、家康が今川氏から解放される運命を作ったが、彼はそれでも今川氏と別れず留まっていた。
また、家康はあくまでも今川氏への信義立てを装い、岡崎城が空城になるまで入らなかった。
無論ただの正直者ではなく、正直を演技するという、そういうあくの強い正直であった。
結果、西の織田と東の今川に対し、同時に自分の律儀さを感心させたこととなった。
家康のような弱小勢力としては、律儀さを外交方針にするのがもっとも安全の道であった。
p63
・武田信玄の西上に対して
「敵がわが公野を踏みつけつつ通り過ぎてゆくのに、一矢も報いずに城に隠れているなどは男子ではない。」
何事も慎重をかさねてきたこの男が、血の気を失うほどの形相でこう言った。
家康という人間を作り上げているその冷徹な打算能力が、それとは別にその内面のどこかにある狂気のため、きわめて稀ながら破れることがあるらしい。
彼は全軍に出陣支度をさせた。
結局は惨憺たる敗北に終わるのだが、しかし彼ののちの生涯において、この敗北はむしろ彼の重大な栄光になった。
p218
本能寺の変後、堺にて其の報を聞いた家康は大いに狼狽え、自害しようとさえ考えた。
同席している穴山梅雪を一人取り残し、三河者だけで協議を行った。
家康の奇妙さは、梅雪にその重大情報を明かす時すでに、激情が去っていたことである。
「国へ帰ります」と、家康は穏やかに言った。
家康の性格のおかしさも油断ならなさも、そういうところにあった。
彼は自衛のための構造計算を平素精緻にしておくくせに、それが一旦崩れると人より数倍狼狽え、しかもその彼を破滅的な行動に追いやる激情が、すぐに沈静してしまうのである。
復讐を思い立ったものの、織田家の他の軍勢と違い、家康のこの場の状態は誰よりも哀れであった。
この言葉で自分を絶望から救い出そうとし、気力を鼓舞してみただけで、さしあたって言葉そのものに重い意味はない。
それよりも、この危険な上方地域からどう脱出するかである。
p222
「穴山殿、是非ご同行なされ候え」
家康は言葉を尽くしてすすめたが、梅雪の表情が優れない。
(家康めは、このどさくさにまぎれてわしを殺すつもりであろう。)
「梅雪、多知ノ男ニテ」
当時言われていたように、武田の族党の中では知恵があり、その知恵を勝頼を裏切ることに使い、家康を仲介者として織田方に寝返り、巨摩郡一つをもらった梅雪は、危険を感じた。
が、この甲州人は家康についてもっと知識を持つべきであった。
家康という男はその不透明な見かけのわりには意外なところがあり、それは年少から一度も人を謀殺したことがないということであった。
家康はこの時期よりあとも、そういう所行はない。
梅雪は、このとき不利な判断をした。
梅雪は、この場で家康一行と別れた。
この行動は、おそらく三河人どもの不気味なばかりの団結の様子を見て、彼らが信じられなくなったのであろう。
梅雪はさほどもゆかぬうちに明智方の警戒線にかかり、その場で首にされてしまった。
p232
村重や光秀からすれば、反逆はむしろ正当防衛であったであろう。
殺さねば、いずれは殺されるのである。
信長はかつて酒井忠次の詭弁を信じ、家康にその子と妻を殺させた。
それほどの目にあった家康こそ反逆すべきであるが、家康は強靭な自己防衛上の意志計算能力を備えていた。
信長も、いま目の前にいる老中の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であると思ったときには自分は自滅するという事を家康は驚嘆すべき計算力と意志力、冷静さをもっていた。
p237
「いずれ物事が煮えてから」
やがて起こるであろう織田家の諸将間の権力闘争が泥沼の状態になり、強者たちがヘトヘトになってから立ち上がっても遅くはなかった。
p242
「復讐戦のため、京にのぼる」
そのような颯々とした行動は、家康の性格では無理であった。
ところが復讐しなければ、世間への顔が立ちにくいという困った課題がある。
このため、せめて復讐に出かけたという事実だけを作っておかねばならなかった。
でなければ、世間への声望を失うし、さらにはかれの士卒に対してもまずかった。
人に将たる者は、士卒の心につねに自分が英雄であることを印象させておかねばならない。
このために、「形だけ西上の姿を見せておく」という、いわば演技的行動をしていた。 -
「覇王の家 上」 司馬遼太郎(著)
1973年 初刊 (株)新潮社
2002 4/20 新潮文庫
2020 6/20 31刷
2020 9/9 読了
次回、読書部のネタとして
宿題に出された「徳川家康」
まずは家康嫌いとも言われている
司馬遼太郎の描く徳川家康。
ぼくの知らない個性的な家康像がここにありました。
無骨で中世的だと書かれている三河武士。
裏で糸を引いていたのではないか?
とも言われいる本能寺の変以降
秀吉との関わり
物語と言うより歴史書の色合いが濃い。
そして下巻では関ヶ原
大坂夏の陣、冬の陣に続いて行く。
楽しみ。 -
司馬遼太郎ならではの徳川家康の話。
覇王の家、というタイトルとちょっと印象が違いますが~面白く読めました。
三河の小さな大名の子に生まれた家康。
今川に人質に出されている間に父は亡くなり、不在のまま跡を継ぐが、実質的には領国を支配できない。
三河の人々はそれに耐え、気の毒な若君を思い続けたという。
実直でやや排他的だが、一丸となって戦う三河武士。
もともと農民である分、地縁に恵まれた関係だったという。
尾張は都会なので、気風が違うのだそう。
織田信長はもちろん、身分の低い出の豊臣秀吉でさえ、ずっと合理主義者だったのはそのせいだという考察が説得力あります。
家康は信長よりも武田信玄のほうに親近感を抱いて尊敬していた形跡があるそう。
そういわれれば‥
織田信長には正妻と長男を殺すように命じられたしね。
しかし、この件については、妻の築山殿のことをえらく悪く書いていて、何か資料もあるのでしょうが、作者の嫌いなタイプだったの?
長男も猛々しすぎて家臣の信頼を失った経緯があるそう。
家康自身は戦った相手のほとんどを許し、反乱を起こした家臣も降伏すればそのまま許し、戦国大名には珍しく?誰かを謀略によって殺したこともない。
自分で手を下して誰かを殺したことは一度もないほどらしい。
さすが、「鳴くまで待とうホトトギス」?
家康は最初から天下を望んだのではないでしょうね。
大河ドラマ「真田丸」が始まる頃に、予習のひとつとして読みました。
あまり真田について詳しくなりすぎても、かえって文句言いたくなるかもと思って、この辺から。
本能寺の変の後の伊賀の山越えの話など詳しく書いてあり、ドラマではほとんどスルーの小牧長久手の戦いも詳しかったので、ちょうど良かったです☆ -
大河ドラマが始まって家康についてタヌキおやじぐらいのイメージしかなかったのでこれは読まねば!と。
正直今まで司馬遼太郎作品を読んで家康は好きになれなかったけどやはり読んでみるとイメージはかわる。確かに「奇妙な方」だ。 -
八月の「100分de名著」は司馬遼太郎『覇王の家』をやるらしい。
『どうする家康』×司馬遼太郎生誕100年、と云ったところか。
因みにだが僕の祖父(故人)は、司馬さんとおなじ大正12年生まれ(関東大震災の年だ)で、やはり生誕100年にあたる。
司馬作品は二十代の頃、貪るように読んだ。さいきんは遠ざかってしまったが、この『覇王の家』は読んだことがなく、ちょうどいい。たしか司馬さん、家康きらいだったよな。どう描いてるか気になる。というわけで、手に取る。
上巻は、幼少期から本能寺〜小牧長久手前夜あたりまで。
家康を描いていることは間違いないが、その周辺世界にも主人公と同等以上の紙幅が費やされる。多声的である。その声の内には、もちろん筆者自身も頻繁に顔を出して愉しい。
正室築山殿と嫡男信康、宿老酒井忠次、武田信玄・勝頼父子、織田信長、穴山梅雪。周縁から家康という人物に迫っていくが、決して中心に辿り着くことはない。
人間は人間関係に依って成り立っている。その関係性からは、日本人とは何か、といった精神構造まで浮かび上がる。あるいは家康が天下を取ったから、かれらの精神性が日本人の典型を成した、と云えるかもしれない。
久しぶりに司馬遼太郎を読むが、あまりの巧さに一々仰け反っている。
ことば選びのセンスは殆ど純文学だし、語りのリズムや長短は講談を聴くように心地いい。時間空間の伸縮は自由自在、何よりも事象の積み上げが見事すぎるほどに論理的で、こうだったにちがいない、という納得感がある。つまり説得的である。歴史的事実と、そこから産みだされる内面の想像がシームレスに繋がり幻惑する。
これは小説なのか?
いや、そのとき彼らがどう考えたか、その心の裡に迫る行為は、小説にしか成し得ないのだ。ほとんど神の所業といっていい。
俗に、司馬史観、などと云われるが、司馬遼太郎という作家は、事実を積み上げていく研究とはちがった遣りかたで、歴史、というよりは人間の(精神もふくめた)活動に、小説という独自の方法で迫ろうとしたのではないか。
この小説の中でも、事実とは別のところでしばしば共同幻想みたいなことが起こって、歴史が転換していく。
人間はときに事実を超越する。
そういう現象を、作家は想像力を駆使して描いていく。
この小説自体が、それら幻想の一環のようにおもえてくる。じつに奇妙である。 -
家康の生い立ちについて殆ど知らず、この本を読んでよくわかりました。
日本史が得意でなく、学生の時も避けていた。すごく読みやすく、文体やいいまわしが非常に上手いなあと思った。地理のこと、人物のこと、よく咀嚼できました。教科書やよくある歴史のダイジェスト版より小説の方が頭に入りやすいなと。 -
徳川幕府を開いた徳川家康の小牧長久手の戦いまでを描いた本。徳川家のバックグラウンド、家康の複雑な成長過程から彼の人格がどう形成されていったか?彼の美学がどのようなものだったのか?を教えてくれる。
結果、徳川幕府を得て日本人の美学にさまざまな影響を及ぼしたか考えさせられる。 -
再読。と言っても、前に読んだのは数十年前か…。
司馬遼太郎さんは、徳川家康が嫌いです(笑)。
やっぱり、関西人ですからね。って、そんな感覚が大阪で暮らしていっそうわかるようになりました。
そんな司馬遼太郎さんが、徳川家康の人生を描いてみた、という本。
小説なんですけど、小説というよりは、評伝と言う感じです。
なんというか、小説、と呼ぶには、熱情というか入れ込み方が少ないんですね(笑)。
ただ、別段罵倒したり感情的に悪態はつきません。
「なんかなあ…好みではないんだよな…すごいんだけどね」という。
でも、本としては実に面白い。
結果論で英雄扱いするのではなく、ほんとに戦国時代を兎にも角にも生き残った家康さん、という感じ。
それなりの豪族の長男でありながら、強国の都合で人質に出されて、更に途中で売買されてしまったり。
苦労に苦労を重ねた少年時代と、それに耐えた「田舎者集団」の三河武士たち。
その家臣団の結束を強みとして生き残っていくのですが、
一方でその田舎者な家臣団たちの限界というか、嫌らしいところも描きます。
新参者に冷たく、陰険な体質。
ただ、それを糾弾せずに、受け入れて乗っかっていく。独創やひらめきではなく、求められるリーダー像を守っていく。そんな家康さん。
実にパッっとしません。
実に地味です。
それを守り通すことで生き残っていく、そんなところに醍醐味があります。
今川の傘下から、桶狭間をきっかけに織田信長の傘下に。
信長のために「北条氏と武田氏の盾」の役割を甘んじる。
その上、謀反の疑いで、妻と長男を殺せ、と言われる。断れない。
武田信玄には負けるし、けっこうたびたび負けます。
実にパッとしません。
実に地味です。
でも、ミスをしない。内政のミスをしない。領民には悪い領主ではない。家臣団も圧迫しない。
じつにこう。
人間関係。
強弱の人間関係。
なんですね。
そこに忠実に地道に歩いていく。
そして生き残って、地道に積み重ねて大きくなっていく。
家康とその家臣団、という地味な成功者のどろどろした人間模様。
これを、珍しく東日本関東までの目線で戦国と言う時代を解剖しながら味わえます。
上巻は、信長が死んで、秀吉の台頭。秀吉との対決が始まるころまで。
有名英傑同士の政治的感情的力学が、国際サスペンスを味わうようなエンターテイメント。
そして、家康的、徳川的な、人間関係や秩序重視の世界観が、江戸期を通して日本人のある形態を作っていったのでは、という大きな視点。
毎度、司馬さんの本はするすると読めてしまいます。