峠(下) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101152424

感想・レビュー・書評

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  • 明治維新の以前から長岡藩と牧野藩主を守るために何をなすべきか、スイスのような永世中立国的な立場になれないか、また当時としては高価な近代兵器購入などに尽力した河井継之助の生涯。男としてかっこいいと思う。

  • 【書評】映画『峠 最後のサムライ』の原作を読む:司馬遼太郎著『峠』 | nippon.com
    https://www.nippon.com/ja/japan-topics/bg900419/

    司馬遼太郎 『峠〔下〕』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/115242/

  • 下巻にきて、これまで上巻、中巻で圧縮されてきた河井継之助のパワーが一気に爆発した感じだ。これまでの上巻・中巻がどちらかと言えば「静」の感覚だが、下巻にきて一気に「動」へ転じる。小説としても、最後の最後でドカンとクライマックスを迎える感じだ。

    河井継之助という名前は、世にあまり知られていない。歴史の教科書には出てこなかったからだろうか?少なくとも自分には記憶がなかった。

    また、大河ドラマに取り上げられたこともなく、「なぜ取り上げられないのか?」との疑問の声も多い。

    圧縮されたパワーが爆発したとはいえ、この爆発の形は、河井自身が考えていた理想とは全く異なる形での爆発だった。強い意思を貫いてきた彼だが、最後は時代の流れに飲み込まれ、彼にとっては魔の力とも感じたであろう意思に反する力に引きずり込まれての、やむにやまれぬ戦いに巻き込まれてしまった。

    小説の紹介文には、「西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の陰にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑、維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯をを描く力作長編」とある。

    中巻で、福澤諭吉との対話シーンがあるが、当時の時代の大きな流れに逆らうかのような印象を受けた。時代に流されず自身の信念の姿は人としての強さを感じる一方、この巨大な流れに耐えらるのかとの不安を常に感じながら読み進めた。

    大政奉還後も、薩長を中心とした官軍と、旧幕府軍との戦いは続き、これを「戊辰戦争」と一言で表現されることが多い。官軍と旧幕府軍との闘いは、鳥羽・伏見の戦いや、上野戦争、函館戦争がクローズアップされることが多いが、もう一つの大きなキーとなる東北戦争に、とりわけ局地戦であった北越戦争に焦点を当てられたのが、この「峠」の下巻だ。

    ここまで壮絶な戦いであったというのは、この「峠」を読んで初めて知った。河井はこのときは、藩士、家老というよりも、一人の軍総司令官であった。

    河井は幕府系の長岡藩に生まれ、忠誠の心を貫くということと、倒幕・維新という時代の流れとの狭間で、それらを両立させるためには、長岡藩を中立的な存在としてそれに耐えうる力を持たねばならないと考えたのかもしれない。

    しかしながら、彼の中立国の理想は、最終的に魔の働きによって捻じ曲げられ、結果として官軍と壮絶な戦いをせざるを得ない宿命の中に投げ込まれた。長岡藩の民衆を守りたいという理想とは全く真逆の結果、民衆をことごとく戦いに巻き込んでしまうという結果を導いてしまった。

    彼があるいは、長岡の出身でなく、薩長に生まれていたとしたら、西郷、大久保や勝海舟らと歴史に名前を並べていたかもしれない。

    同じ幕末を読むにしても、違う角度から読んでみると、なんとなく時代が立体的に見えてくるように感じるものだな・・・という感想だ。

  • 【2022年の読書振り返り】

    自分の愉しみとして10作選びます。

     

    ■実書籍■誰がために鐘は鳴る(ヘミングウェイ)

    ■実書籍■ドクトル・ジバゴ(パステルナーク)

     

    この2作が頭一つ抜けて圧巻でした。パチパチ。

     

    ■実書籍■ロバート・キャパ写真集

     

    正直、「誰がために鐘は鳴る」「ちょっとピンぼけ ローバト・キャパ自伝」との3点セットの味わいなんですが、やっぱりこの人の写真は魅力が尽きないなと思いました。

    これは岩波文庫が素敵な仕事をしていくれていると思いました。

     

    ■実書籍■マノン・レスコー(プレヴォ)

    ■実書籍■郵便配達は二度ベルを鳴らす(ケイン)

     

    今年は海外古典がマイブームだった気がします。光文社古典新訳文庫、素晴らしいですね。

     

    ●電子書籍●街道をゆく・オホーツク街道(司馬遼太郎)

     

    今更な司馬遼太郎さんなんですが…。面白いものは面白い。

    数十年ぶり再読の「峠」、「播磨灘物語」、それから「人間の集団について」「街道をゆく・陸奥のみち」も併せて、脱帽ものでした。

     

    ■実書籍■すみだ川(永井荷風)

     

    やはり数十年ぶりの再読なんですが、今回は復刻シリーズで旧かなを堪能。

    打ち震えるくらいの快楽でした。旧かなマニアなので…。

     

    ■実書籍■「細雪」とその時代(小林信彦)

     

    小林信彦さんの新作を愉しむというのが歳月を考えると感無量。

    そして「細雪ファン」としてはこれまた鳥肌モノ。

    関西が懐かしくなりました。

     

    ●電子書籍●人生が変わる55のジャズ名盤入門(鈴木良雄)

     

    失礼ながら大きな期待なく読んだんですが、鮮烈に愉しみました。

    数年ぶりに「猛烈にジャズが聴きたいっ!」と思わせてくれました。

    現役のジャズ巨匠、それも日本人の、という視点がこれほど興味深いとは。

    名盤入門なんですけど、鈴木良雄さんの半自伝という楽しみですね。

     

    ●電子書籍●ジャック・リーチャー・シリーズ(リー・チャイルド)

     

    村上春樹さんが「このシリーズは好き」と言っていただけで読んでみたんですが、

    いろいろ突っ込みどころも満載だけどとにかく楽しめてしまいました。

    「奪還」「パーソナル」「宿敵」「ミッドナイトライン」「葬られた勲章」の5作。

    敢えてひとつなら「パーソナル」がラストまで楽しめて印象的。

     



     

    以上で10作になります。

    上記で言及していない、次点みたいな心残りを挙げると

     

    ・新宿鮫Ⅻ 黒石(大沢在昌)

    なんだかんだ、また全作再読してまった挙句の新作は痺れました。

     

    ・世界の歴史23・ロシアの革命(上山春平)

    このシリーズは好きなんですが、特にこれは夢中になって読みました。

    かなりエンタメでのめりこめました。

     

    ・ヨギ・ガンジーの妖術(泡坂妻夫)

    とぼけた味わいとひねった仕掛け。脱力感溢れるキャラクター世界が秀逸。

     

    あたりでしょうか。「失敗の本質」もこれまで何度も読み切れなかった(読み始めるタイミングが無かった)んですが、面白かったですね。

     

    来年も、愉しみです。

  • 下巻一気読み。
    戦国時代モノや、幕末あたりの読み物好きだなーー。

    最初に買ってもらった本が織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の伝記だからかなー??

    河井継之助、惚れるなぁー。

    映画の公開が楽しみです。

  • 越後長岡藩・家老、河合継之助の一生を描いた作品。
    陽明学徒で非門閥の家柄ながら、才覚と能力で出世し藩家老まで上り詰めた開明論者。幕末の世に、佐幕でも薩長でもなく、第三の道を探った河合の構想は、官軍相手の北越戦争で霧散する。
    変わった人物だ。と、一言で表せぬほどの異能の侍である。全国を遊行し妓楼で遊ぶ上巻の散文的な日々から、中巻では黒船襲来、慶喜の大政奉還と世情が騒がしくなったころに、継之助の才覚と先見が頭角を現す。そして下巻における北越戦争。この時代の時勢の結末を知っていても、なぜか河合継之助に、越後長岡藩に、奥羽越列藩同盟に、声援を送りたくなる。そう読者に思わせるところが、司馬遼太郎という小説家としての凄さだろう。

  • 「長岡に死ににきたぞ」
    悲壮感漂う長岡奪還戦をクライマックスに、負ける結末を知りながら、死に花を咲かせる継之助と長岡武士たち。
    悲しい中にも爽やかをもって、長かった話は終わった。
    現在、長岡に行くとシャッターを閉めた店が多く、寂しい限りだが、今度訪れる時は、昌福寺に行ってみようと思う。

  • 『功名が辻』を読んでから、どうも司馬遼太郎の作品にノレなくなってしまったのかもしれない。
    主人公の時代を俯瞰する目の確かさに、確か過ぎる目に、ちょっと食傷気味というか…。

    河井継之助は、幕府の構造や武士という存在は過去の遺物となるであろうことを見越し、経済で長岡藩を存在させようとした。
    先祖伝来の財物を金に換え、大砲や最新式の銃を買った。
    武装中立国であるスイスを見習ったのである。
    だけど、広大な平野に広がる長岡では、山の中に位置するスイスと同じようにはできない。
    それは素人の私にもすぐにわかったこと。
    古来、戦は地勢を考慮して行われたものだけど、北越戦争すら最終的には地の利を考えて攻め、守ったのに、なぜ長岡の地理的特質を考えることなくスイスに倣ったのかがわからない。

    その一方で、藩主には義に殉じる人であってほしいと願う。
    最後まで佐幕の他藩と手を繋ごうとはしなかったが、薩長に与することだけは頑として拒否した。

    この矛盾。

    藩の有能な若手に「牧野家とその藩が、継之助一個の思想的美意識で滅ぼされてはかなわない」と言われ、論理的に反論することはできなかった。
    「おまえにはわからん」と黙らせようとした継之助は、「気概だけでも(謙信を)見習え」と言った継之助は、「空想です」と切り返される。
    まったく、この若い侍・安田正秀の言うとおりだ。
    結局継之助は安田正秀を就寝蟄居に処する。言論封鎖だ。

    どこに敵のスパイがいるかわからない状況で、誰が寝返るかわからない状況で、継之助のビジョンをどこまで明らかにしていいのかは確かに難しい。
    しかし、あまりにも一人の頭に納め過ぎた。
    風雲急を告げる時代ではあったけれど、だからこそもっと人を育てなければならなかったのではないか。
    若かった頃に他人を見下して、自分が認めた人としか付き合おうとしなかったつけが、最後の最後にきいてきたということか。

    北越戦争での河井継之助の戦いぶりを見る限り、彼は卓越した戦術家ではあったと思う。
    しかし薩長の戦略に負けたのだ。
    長岡藩を残したい、薩長には与したくないと思うのなら、奥羽列藩と組むべきだったのだ。
    蓄えた金を奥羽列藩に貸し与え、薩長とイギリスの関係を面白く思っていない商人を紹介して最新式の武器を準備するように提言するべきだったのだ。

    最後に藩主を落ち延びさせるとき、「会津に頼め。会津がダメなときは米澤に行くな。庄内に行け」と言ったと作中にあるが、これがもし本当なら、継之助の目の確かさに驚かされる。
    そしてなおさら、会津と庄内と仙台とだけでも事前に手を組んでおけば、幕府が倒されたとしても、薩長のやりたい放題は防げたのではないかと思う。

    河井継之助はその独断のせいか、当時も今でも地元にアンチが多い。
    それはなぜか…ということをこの作品には書かれていない。
    そういうところがフェアじゃないというか、史実を知らない人が読めば、時代に恵まれなかった完全なヒーローに読めてしまう。

    10さんの地元が舞台なので、北越戦争の火蓋が切られてから知ってる地名がたくさん出てきて、位置関係が分かるので、結果を知っているのに手に汗握ってしまった。
    だって、最後の20ページくらいまでは、互角以上に戦っていたんだよ。
    ひとりだけが抜きんでていても、それで国造りは出来ないなあと『銀河英雄伝説』を思い出しながら本を閉じた。

  • 河井継之助の生き方を読むと、

  • ここまで思想に生きることはできないなと感じた。行動原理が確固としてありぎる。。

  • とうとう官軍との戦いに巻き込まれていく。本来は戦いたくなかっただろうに、ボタンのかけ違いから戦わざるを得なくなってしまう。
    この小説を読むまでは、幕軍の方が戦力あるのに何故官軍が圧倒したのか理解出来ていなかったが、時代の変革の流れには逆らえないものだと理解出来た。
    河井継之助が、もし違う藩に生まれていたらとか、明治維新を生き延びていたらとか考えると、惜しい人を無くしたものだと残念に思う。

  • 幕末から明治初期の混乱期、貨幣経済の発達につれて、武士の世が終わり、商人の世になることにいち早く気づきながら、自分は譜代大名家臣として、藩を守り、官軍への服従を拒否した。彼にそうさせたのは、武士としての美学か。

    薩長と佐幕派の視点で論じられる時代を、鳥羽伏見の戦い、大政奉還後の混沌とした動きの中で生き残ろうとする各藩の姿も、とても興味深く読めた。

  • 上中下まとめての感想と評価。
    幕末の長岡藩、河井継之助のお話。
    司馬遼太郎さんの小説は恥ずかしながらあまり読んでこなかったが、歴史的な事実と人物像を形作る空想の世界のバランスが絶妙。流石は司馬さん。
    個人的にはこの歳(おじさん)になってからよんだからこそ感じられた面白さもあるかなと思う。
    自分の経験、知識に基づいて考えた結果の士農工商がなくなる未来の形と、小藩の武士という自分自身の境遇に板挟みされながらも必死に足掻いて生き抜く様がかっこいい。

  • 読み進めるにつれて凄みのある人物であることがわかる本
    常に先のこと・最悪の事態を見据え、その上で人としてあるべき姿を貫く姿に強く感動した。

  • 面白い。上巻、中巻で丁寧に描写されていた河井継之助の終わりが怒涛で描かれている。また読み返してみたいと思える一冊でした。

  • 読み応えのある内容。河井継之助という人物の複雑さがうまく表現されている。

  • p.444
    そして作者は、河合が死後にまで自藩の者にうらまれた話ははぶいてしまっている。

    どんな恨まれることをしたのかを楽しみにしていたので、ちょっと残念でした。

  • この下巻は、読んでいてとても辛かったです。

    継之助は、あくまでも中立を目指して動いていたけれど、世の中の戦いの渦が強く大きく渦巻いて、結局戦わざるを得なくなってしまい、本意ではない思いが伝わってくるようでした。
    本当に中立が出来ると思っていたのか、ちょっと疑問が残りました。

    先を見る目があり、侍の世は無くなるとも思っていたけれど、侍として戦う道へ行くしかない。
    長岡藩という中での自分であり、武士だったのかなと思いました。

  • ※購入したのはこれより旧版
     2002.9.7読書開始
     売却済み

  • 死に向かうのは辛いし、最後残された人々のことも気になる。3巻あっという間で、流石司馬さんと思った。とても面白かった

  • やっと完結って云うのが正直な気持ち。特にこの巻は北越戦争で長岡藩が滅ぶ前段階から継之助の最後までなので、読んでて楽しくないな。最後の小地谷での交渉のタイミングで思ったようにいかず、悲劇となったように描かれているが、それがなくとも結果は同じだったような気はする。時代や人を結局は読み切れなかったんだよなあ。とても優秀な人と思えるのにとても残念ではある。それはともかく、映画では役所さんが完璧に演じてくれるような気はする

  • 武士とは、なにか。
    「いかに美しく生きるか」

    河井継之助。かっこいい生き様でした。

  • 陽明学の人。
    結局、ぐちゃぐちゃにしてしまった。
    スイスのような独立独歩を目指したのだろうが
    結果的に、いい迷惑。
    上中と辛抱の読書。
    なんで、こんなに長く書いたのだろう?

  • 越後長岡藩一藩士の新国家構想の夢にかけた生き様、やはり高すぎる理想に感じてしまう。
    映画上映の前にもう一度読みます。

  • 下巻は、京都での大政奉還で、担ぐべき神輿(将軍慶喜)が急きょ消えた後、長岡藩でくしくもファブルブランドの母国スイスに似せた武装中立を貫こうとするも、藩内の誰にも薩長筆頭の皇軍にも奥羽越藩同盟にも理解してもらえず、結果として小地谷談判で決裂し、旧幕側に立つ存在として一瞬だけ局地勝利をえるもわずか数日で山県有朋ひきいる皇軍に長岡で民衆を巻き込む火の海の惨劇をまねき自身は銃創で戦時中に死ぬという結果に至る。司馬遼太郎は開明主義ながら薩長と同じ方向に向かなかったのは不思議だが、それが武家の美なのだろうと河合継之助を描いたそうだが、現代人の私にはなかなか理解しにくかった。

  • 戊辰戦争の中でも北越戦争ってのはほとんど知識もなく、凄惨な戦いであったこたがよくよく理解できた。これが侍の美意識かと…

  • 確実、破滅に向かっていることを理解しつつも、自らがやるべきことをやり抜く姿に、美学を感じた。

  • 3.8

  • 幕末の越後長岡藩の運命を背負った河井継之助の物語。若い頃に江戸に出て、その後諸国を歩き、三十前後まで書生として生きた。しかし、非門閥系にも関わらず継之助は将来長岡藩の藩政を担うのは自分しかいないと信じていた。諸国を巡った目的は長岡藩を時代に合わせてどうやって改革していくかを探ることにあったという。
    幕末、最も激しい戦いであった北越戦争を長岡藩執政として指揮し、壮絶な最後を迎える。西軍(官軍)に最後まで靡かなかった姿勢は新撰組を彷彿とさせるが、新撰組が旧態依然とした武士を目指したのに対し、継之助は新しい武士というか武家社会の崩壊を予想して行動した。政治にも戦にも長けた稀有な才能を持った継之助が小藩である長岡藩に生まれたことは運命であった。それでも幕末という混乱した時代に藩を飛び出して活路を見つけることはできたであろう。身分制度の崩壊を予見していた継之助だったが、最後まで長岡藩士として生きた継之助は最後の武士だったのだろうか。

  • 司馬遼太郎の作品の中でも、雰囲気がおもたーい作品。明治新政府側でないため、時代の流れとしては滅びる側にいるから。それだけではなく、主人公の継之助という、命がけで自他共に完全を求める侍の凄味が、そうさせている気もする。人として、どう生きるのか。継之助と司馬遼太郎に、問いを突きつけられているように感じる。

    戦時下、稀代の戦略家であり、ほとんどの策は当たっているが、裏をかかれることも。戦略はいつでも当たるわけではない。なぜなら、未知なる相手がいるがゆえに、狙いが外れることがあるから。どんな戦略も、できることは当てる可能性を上げることだけ。ひるがえって、戦いは相手がいない場所を探して行うに限る。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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