雪のうちに春はきにけり
うぐいすの氷れる泪いまやとくらむ
二条后
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくご愛顧いただきたいと心から思っております。読者の皆さんにも元気な一年でありますようにお祈り申し上げて「週刊読書案内」2019年版を始めたいと思います。
さて、今年はちょっと格調高く和歌からスタート。
快晴の初日の出の便りがフェイスブックとかで届いた2019年の元旦ですが、雪の正月の歌です。高校生に案内を渡していたころから年の初めはこの歌。まあ、好きだからしようがありません。
作家の丸谷才一が数々の名著を残して、この世を去ってもう何年たったのでしょう。過去の人なんていって忘れ去られるのは何といっても惜しい人。この案内では、今後、最多登場回数を記録するに違いない人ですが、今年の始まりは「新新百人一首(上・下)」(新潮文庫)。そのはじまりの三首目にのせられている二条の后の和歌です。
二条の后といえば、高校時代の古典の教科書に出てきたに違いない「伊勢物語・芥川」で鬼に食われてしまった、あの女性のモデルということで名前ぐらいはみなさんご存知のことでしょうが、この女性、若い頃は平安朝きっての色好み在原業平との艶聞が世間を残してにぎわし(?)やがて伝説化され、その後、清和天皇の女御として入内し、陽成天皇の母となった人。ところが清和帝亡き後、善裕という坊さんとこともあろうに密通して后位を剥奪されるという波乱の生涯をおくった人で、その名を藤原高子、「たかいこ」と読むそうです。
まぁこんなコトも丸谷さんのこの本にはみんな書いてあることなのですが。
ところで、お正月といえば「百人一首」。中学校や、今では小学校でも「三学期にはカルタ会」が恒例行事になってきているようですが、ご家庭で「百人一首」をなさるなんてことはあるのでしょうか。
江戸時代に始まった遊びらしいのですが、普通「百人一首」といえば「新古今和歌集」の選者のひとりで平安朝屈指の歌人、藤原定家が選んだもので彼の住まいの呼び名を取って「小倉百人一首」というのですが、今回案内しているのは「新新百人一首」。
本書の前書きによれば、百人一首のような形式のオムニバス詩集は定家のものに限らないらしく、たとえば室町幕府九代将軍足利義尚による「新百人一首」というのもあるそうです。
しかし、知名度と大衆的人気において問題にならないらしく、なによりもその後800年にわたる文化的影響力を考えると、やっぱり「小倉百人一首」しかないようなものなのだそうです。その向こうを張って現代の小説家丸谷才一が選んだのが「新新百人一首」。
「新新」とついているのは、「藤原定家」と「足利義尚」とに敬意を払ってのことであるらしいのですが、万葉の歌人から平安末期・鎌倉の歌人までを対象とした王朝和歌秀歌集であるところは「小倉百人一首」と同じ体裁になっています。
当然かさなる歌人は多いのですが、同じ和歌は多分ありません。日本文学史を独特の視点から書き直した文芸批評家としての自信と遊び心のなせる技でしょうね。
この本のよさは一首ごとにつけられた詳細な解説。≪オモシロ国文学講義≫とでも言うべき綿密さで、これこそ読みどころですね。エッセイの達人の洒脱な文体で読み物として書かれている文章なので、どなたがお読みになっても、大丈夫だと思います。
僕のように和歌なんて知らない、「源氏物語」は眠くなるという古典文学音痴にとっては、実に勉強になる本なのですが、欠点は、お調子者が読むと妙にわけしりの気分になって、やたら薀蓄を傾けたくなることですね。
「うぐいすの泪ってわかる?うぐいすは鳴くでしょ、だから泪ということになるのが和歌的想像力なの。」
「じゃア、泣かない魚を相手にして芭蕉にこういう句がありますね。」
行く春や鳥啼き魚の目は泪
「彼はこの句を詠んで奥の細道に出発したらしいけど、その句はどこがしゃれてるかわかりますか?」
なんて調子で、際限がなくなる。もちろん本書に其の解説はありますから、「えっ?」と思われた方は、本書のほうでどうぞ。
ところで、本家「小倉百人一首」について書かれた解説は、江戸の歌人の解説書から謎ときまで山のようにあります。
その中でオススメは田辺聖子「田辺聖子の小倉百人一首」(角川文庫)。「かもかのおっちゃん」に講義している名調子の文体で、笑いながら読めます。しかし、内容は超一流、且つ、用意周到。彼女は古典文学の名ガイドのお一人、まだお元気だと思いますが、
「なにっ?かもかのおっちゃんをご存じない?」
そりゃ、こまった。(S)