でっちあげ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101311814

作品紹介・あらすじ

「早く死ね、自分で死ね。」2003年、全国で初めて「教師によるいじめ」と認定される体罰事件が福岡で起きた。地元の新聞報道をきっかけに、担当教輸は『史上最悪の殺人教師』と呼ばれ、停職処分になる。児童側はさらに民事裁判を起こし、舞台は法廷へ。正義の鉄槌が下るはずだったが、待ち受けていたのは予想だにしない展開と、驚愕の事実であった。第六回新潮ドキュメント賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 小学校の先生をしている知り合いに本書を読んでもらったところ、「自分も思い当たる節がありすぎて、読むのが辛かった」と漏らしていた。教師という仕事は、親に絶対逆らえず、身に覚えのないことであっても「私がやりました」と言わざるをえない。自らの言葉によって追い込まれた川上と自分の立場を重ね合わせて、「他人事ではない」と感じたとのことだった。

    本書は、全国で初めて「教師による児童へのいじめ」と認定された事件の裏を辿ったノンフィクションである。
    主人公は、「史上最悪の殺人教師」として全国のワイドショーに報道された川上譲(仮名)。
    教え子の裕二に対し、10秒以内に帰り支度をできなければ、「ピノキオ」(鼻をつまんで血が出るほど引っ張る)」やミッキーマウス(耳を割けるほど引っ張って持ち上げる)といった「刑」を執行。また、「お前のような穢れた血の人間は生きている価値がない。早く死ね、自分で死ね」と罵倒して自殺を強要させていた。
    まさに全国の親子を震撼させた事件であったが、その真実は、被害者とされた浅川裕二(仮名)の親である和子と卓二によるでっちあげであった。

    読んでいてゾッとすると共に怒りが沸いた。
    どうして無実の人間が、ここまでへりくだらなければならないのか。何故やったこともない体罰を認め、親の一方的な言い分に頭を下げ続けないとならないのか。

    その理由は、教師と親の間には王様と農民ほどの身分の違いがあるからだ。

    いまやモンスターペアレントという言葉が有名になっているが、そもそも、相手が悪質なクレーマーでなくとも、教師は親の言うことに絶対服従を強いられる。保護者トラブルは言った言わないの水かけ論が常であり、また、最低でも1年間、最長では6年間も同じ人間を相手にし続けなければならない。そのような閉鎖的な環境では、例え身に覚えが無くとも「私が悪かったです」と言うことが、トラブルを避けるためのテクニックになる。

    「保護者と教師は同等じゃないんですよ。教師の方がなにごとも一歩下がって対処しないとうまくいかないんですよ」
    文中で川上が語るこの言葉こそが、教師という職業の厄介さを物語っているだろう。

    またそれと同時に、校長や教頭など上の立場の人間は、現場の物事を理解しようとせずに謝罪を強要するきらいがある。彼らにも「保護者は絶対だ」という意識が刷り込まれているからだ。
    本書では、校長が最初から「わたしに責任は無い」と決め込んだのが混乱の発端だった。生徒と教師を統べる人間として、自らの責任も追及されることがあれば、より正確な現状把握に努めるはずである。しかし、結局のところ管理者責任を被ることなく、川上という一教師を切って騒動を鎮静化しようとした。その結果が、全国のワイドショーを賑わせ裁判にまで発展する事態となった。

    教師という弱い立場の人間を、保護者という立場を利用して痛めつけ、自分が望む行動を強いる。周囲の人間も、「大人と子ども」という力関係から、教師のほうが嘘をついており、体罰はあったに違いないと決めつける。こうした虚言と思い込みが暴走する恐怖は、川上の陳述書にはっきりと記されている。
    「本件に関与している専門家の集団である弁護団も、裕二君の精神科の診療に関与した医師も、マスコミも、福岡市も……、まるで、裕二君自身の問題点や、ご両親自身の問題点などについては、それがまるで聖域であるかのように、一切検証することなく動いています」

    この事件は、「自分に都合のいいように物事を進める」人間たちが生んだ惨劇である。
    親である和子や卓二の虚言はもちろん、センセーショナルな記事を書いて国民の関心を焚きつける一方で、間違った報道に対しては反省もしないメディア。また、自己保身に走るあまり、教師を切って事を収めようとする校長と市教委。全ての人間が川上を「殺人教師」と決めつけ、事実とウソの境界が曖昧になっていく。もはや引くに引けなくなった結果、「茶番」としか言えない民事裁判が行われてしまった。

    現職・前職が教師の方はぜひ読んでみて欲しい。気分が悪くなるかもしれないが、それほどこの事件は骨身に染みる。そう思える本だった。

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――
    余談だが、この事件、「どうしてそうなるんだ」とツッコみたくなることがいっぱいある。
    例えば和子が証言するミッキーマウスやピノキオ。「体が宙に浮くほど強く耳を引っ張って持ち上げる」だとか、「鼻をつまんで鼻血が出るほど強く振り回す」だとか、聞いただけで「そんな無茶苦茶なことしてればバレるわ」と言いたくなる。また、小学校に近づくだけでPTSDが発症する子が、友達と校庭で元気よくサッカーしていたり、川上が撮る写真に笑顔で映っていたりだとか、「少し考えればおかしいと分かるだろう」と言いたくなるほど嘘が粗い。550人の弁護団は途中で不審に思わなかったのか謎である。

    極めつけは和子と卓二。嘘を嘘で塗り固めていた彼らだったが、相手に謝罪させるだけでは納得せず、裁判を起こすなど正気の沙汰ではない。裁判で真偽が問われれば、見せかけの嘘など平気で暴かれる。バレたらまずい、などとは考えていないのだろうか。
    しかも、この嘘をさらに厚塗りするために、裕二に転校を強いて、インターナショナルスクールにまで通わせているのだ。どういう思考回路なのだろうか。

    読んでいて、本当に恐怖を感じた。
    1人の教師がいじめによって追い詰められていく様と、関係者たちが嘘によって狂気的な行動に駆られていく様の、2つの理由で。

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    ●浅川裕二:他の子どもに暴力をふるい、問題行動を起こす問題児。
    ●浅川和子と卓二:「川上先生は裕二に体罰をふるっている」とでっち上げ、民事裁判まで起こした筋金入りのモンスタークレーマー。

    「血」の問題で生じた裕二への漠とした負い目と、他人に異を唱えられない生来の気の弱さ。そこへ執拗に、「体罰をやっただろう」「子供が見とった」と追及され、川上は困り果ててしまった。さらに、自分のことで校長や教頭に面倒をかけたという気兼ねもあいまって、彼らの望む方向へ迎合する心理が働いた。
    そして、「自分が謝れば丸く収まるから」という理由で、消極的ながらも体罰の事実を認めてしまったのだ。

    川上の謝罪を見た和子と卓二は、「体罰があった」という情報をマスコミにリーク。A小学校には全国からマスコミが押し寄せるようになった。
    A小学校の校長は、このマスコミ対応で最悪の行動を取る。川上を軟禁状態にし、マスコミとの窓口を自身に一本化した校長は、川上に不利な証言をし、トカゲのしっぽ切りを図ったのだ。校長と市教育委員会のコメントを得たことで、ほとんどの記者たちは、体罰は事実なのだとほぼ断定してしまった。

    川上は、全く身に覚えのない言いがかりをつけられ、何が何やらわけがわからないままにあれよあれよと大騒ぎになり、マスコミにまで叩かれた揚句、とうとうA小学校を放逐されてしまったのだ。

    その後の市教委での事情聴取は、一転して「自分はやっていない」との立場に回るも、下された処分は「6か月の停職」。相当な重さであった。

    朝日新聞、西日本新聞、週刊文春などが川上を「殺人教師」と報道し、全国に「福岡殺人教師」事件が知れ渡ることになった。

    そして、浅川裕二とその両親は、裕二のPTSDを理由に、川上と福岡市を相手取って約1300万円の損害賠償を求める民事訴訟を福岡地裁に起こした。

    驚くべきはこの偽の証言に加担した人間の数。校長、教頭、市教委、主治医、550名の原告人弁護団(福岡県弁護士会のほぼ1/3)、週刊誌、新聞記者、ワイドショーのコメンテーターなど、ありとあらゆる人間が川上を「殺人教師」と見なし、嘘の報告・報道を行っていたのである。

    こうして口頭弁論が始まったが、和子の証言に疑わしい部分が見つかっていく。結局、いじめの原因とされていた「裕二にはアメリカ人の祖父がいる」は真っ赤な嘘であった。
    また、裕二のPTSDは、和子の話の中でのみ存在している疑いが次第に強まっていった。

    裁判の判決は、「福岡市は、原告裕二に対し、220万円を支払う。原告裕二と卓二と和子の請求は棄却」だった。川上がしたとされる行為は、「原告らの主張するいじめ行為に比べて相当軽微なものであり」、PTSDを引き起こすほどのものではなかったと判断されるも、体罰やいじめの一部が認定される結果となった。

    どうしてこれほどの大騒ぎになったのか。マスコミは、校長が認めた、市教委が認めた、精神科医がPTSDだと診断したからだと言うが、真相を探る方法は他にもあった。にもかかわらず、誰もが思い込みと憶測で話をし、裏を取らなかった。バイアスのかかった一方的な情報が人々を思考停止に陥らせ、集団ヒステリーを煽った揚句、無辜の人間を血祭りに上げたのだ。

    教師という弱い立場の人間を、保護者という立場を利用して痛めつけ、自分が望む行動を強いる。周囲の人間も、「大人と子ども」という力関係から、教師のほうが嘘をついており、体罰はあったに違いないと決めつける。こうした虚言と思い込みが暴走する恐怖は、川上の陳述書にはっきりと記されている。
    「本件に関与している専門家の集団である弁護団も、裕二君の精神科の診療に関与した医師も、マスコミも、福岡市も……、まるで、裕二君自身の問題点や、ご両親自身の問題点などについては、それがまるで聖域であるかのように、一切検証することなく動いています」

  • なんだか終始「?」って感じることが多かった本。初代モンスターペアレントとも言える生徒の両親から、とことん追い詰められていく担任がとてもかわいそうであった。モンスターペアレントの元に生まれてしまった子どもは、何を思っているのだろうか。

  • 19/1/2読了。

    より多くの人に読んでほしい。
    これを読んで何かを考えるきっかけにできた方は、ぜひ清水潔さんの著作も手に取ってもらいたい。


    さて、帯に読者コメントが紹介されていた。
    「(本書を読んで)マスコミが信じられなくなった」そうだ(匿名の40代女性のご意見)。
    本当にそう思ったのか?

    本書を読み終えた上での私の理解は、これはマスコミの問題ではなく、与えられた情報をただただ鵜呑みにする私たちのリテラシーの低さによるものではないだろうか、ということだ。

    少なくとも私にとっては、マスコミの報道する内容は、信じるか、信じないか、と考える対象のものではない。
    この取材をした人(あるいは組織)はそのように捉えたのだな、そういう見方もできるのだな、と受け取る。

    テレビやインターネットの普及により、自分の眼で見ようとしなくても、見ることのできる景色は増えた。
    その分、いま見えている景色がどんな過程を経て見えているものなのか、誰が・どういう気持ち(意図)を持ってそれを表現した結果なのかということは受け取る側が考えなくてはいけない。

    その意味で、同じ事件を伝える記事であっても、それが新聞なのか、テレビなのか、週刊誌なのか、によって我々は受け取り方を変えなくてはいけないと思う。
    あるいは、単に新聞といっても読売なのか、朝日なのか、日経なのか、によってもその記事を掲載する意図は異なるはずだ。

    メデイアが真実を伝えていないということではない。
    それぞれがそれぞれの出来る範囲で事実を集め、それぞれの立場から見えた真実を、読者や視聴者に対して提供しているのだ。

    「事実」と「真実」。その間にある「解釈」。
    AIなどの技術発展が目覚ましい今だからこそ、僕らはその違いについて真剣に考えなくてはいけない。

    マスコミから流れてくる情報だけではない。
    目の前の誰かが話しているその内容は、その人にとっての真実だ。
    真実は人の数だけある。
    真実を追い求めてはいけない。
    あるのは事実と解釈だけである。

    世の中は、もっと多面的で多層的なのだ。


    主人公である教師の気持ちを伝える記述として、「自分の真意を言葉で人に正しく伝えることがいかに難しいかを骨身に染みて感じ」たという表現がある。
    その通りだと思う。
    人に伝える、ということはとても難しい。

    ただ、こどもを教育する立場の教師は、実は、この問題(自分の真意を人に伝えるということ)に正面から立ち向かうことが最も少ない職業の1つではないだろうか。
    教師という職業柄、自らの考えではなく、社会通念としての常識を伝える機会が多いがために、自分で考え、それを伝えるということを放棄してしまっていないだろうか。

    本書を読んで、私たちは考えなくてはいけない。
    浅川夫婦を、虚言癖のある異常な2人としてレッテルを貼り、自分とは明らかに違う存在として線引きをするのではなく、小さな子を持つ親として、自分たちとの共通点を探し、自らを顧みる努力をしなければいけない。

    ある保護者の思いとして「子供たちが大きな被害を被ったことに対する責任を、学校や市教委や、原告側の弁護士はどう考えているのかと怒りをぶちまけた」とある。
    気持ちはわかる(気がする)。
    僕も当事者になればそう思うかもしれない。
    ただ、今はまだ当事者ではない自分はこう考える。
    「でも、あなたが法廷で事実を証言してくれていれば、もっと違う結末が、もっと早く出ていたのではないか」
    自らのこどもに影響を与える事件でもあるのに、どこか他人事で、原告側夫妻からの仕返しを恐れて、見て見ぬフリをしたツケが、あとから間接的に現れた結果ではないか。
    自分の言動を棚に上げて、他者に原因を求めようとするのは人の常かも知れないが、それに対して無自覚でいることは気をつけなくてはいけない。

    著者は、この"冤罪"事件の真相として、原告側(人権派)弁護士、学校現場や教委、マスコミ、精神科医、そして原告側保護者が"史上最悪の殺人教師"を「でっちあげ」たとしているが、私はここにもう1つ付け加えたい。
    同級生(とその保護者)だ。
    これは自戒も込めて、見て見ぬフリをすることがいかに不正義であるか、そしてその結果がどのような形で自らに降りかかってくるのか、日頃から自覚しておかなければいけない。

    あとがきに書いてある通り、これは教師に対するいじめだ。
    いじめは、周囲で我関せずを決め込んだ人も含め、加害者なのだ。
    控訴審で一部の同級生とその保護者が協力してくれたことは救いだったが、時すでに遅し。
    「いま、この瞬間」に動けるかどうか、やはり日頃から自らを顧みていなければ動くことはできない。

    小さな子を持つ親として読み進めるのはなんとも心の疲れる一冊であったが、より多くの人に、特に小さな子を持つ親にこそ読んでもらいたい。

  • ⭐️4.3

  • いやぁ…
    恐ろしい…

    普段、テレビで報道されることを”真実?”などと、”?”付きで見ることをない。
    まずは正しいことという先入観で見てしまう。
    それがセンセーショナルな報道であればあるほど、信じてしまう。

    訂正報道があったとしても、それはかなり小さな報道であることが多く…
    そして、時間経過とともに放送されることは少なくなり、その後フェードアウトしてしまう。
    そして、記憶から消えていく。

    情報過多の昨今。
    何を信じるか…
    考えさせられた。

  • ただひたすら怖い話だ。ノンフィクションだがホラー・サスペンスのジャンルに分類してもおかしくないかもしれない。
    同じクラス・学校の子供も被害者だが、こういう親に育てられた子供はなんて不幸なことかと思う。
    しかし、こんな1組のモンスターペアレントの前に、担任だけでなく学校も無力とは情けない。学校というのはよほど組織力がないものなのだと改めて認識させられた。担任にすべて責任を被せようとしてるのだから、組織力も何もないというのはわかる。日本ではどの学校もこんなものだとしたら悲しすぎる。

  • リアルに起こった事件の真相を描いた話。

    「お前の血は穢れている」「早く死ね、自分で死ね」

    史上最悪の殺人教師は
    母親の虚言と
    マスコミの妄信で作られたものだった…。


    学校関係者なら一度は読んでおいた方がいい本。
    マスコミ関係の人にも読んでもらいたい。

    親からの学校へのニーズが
    多種多様になってきているのが現状。
    教師は親より弱い立場だとは思わないけど
    上手くやるために
    何でも聞き入れちゃう先生がいるのも現状。


    自分の記憶に自信があっても
    保護者に「私はこういいました」
    って強く言われて
    「私が勘違いしていました。」
    って言った方が丸く収まるなら
    謝ってしまうだろう。

    家庭訪問の日程なんて
    絶対私も謝っちゃう。


    この川上先生には本当に同情するけど
    この世にはいろんな親がいて
    いろんな子どもがいるのは当たり前。
    そこは割り切ってやっていかないといけないと
    改めて思う。
    特に公立の学校は。


    何か学校関連の事件が報道されると
    どうしても子どもが正義で
    教師は悪と描かれがちだけど
    本当のことは
    本人や周りの人しか知らないなんてこと
    いくらでもあると思う。
    学校の事件に限らずとも
    本当の気持ちとかは当人しか分からない。

    ネットのニュースだって
    芸能ニュースだって
    話半分で見なきゃいけないよなと
    改めて思い知らされた。

    子どもは正義ではないけども
    学校、家庭、地域、教育委員会、時にはマスコミ
    みんなで連携して
    子どもたちをいい方向に導いていくことが
    良い未来を作るために最も大事なことだと思う。

  • 福田ますみのドキュメンタリー。
    2003年、史上最悪の殺人教師と名指しされ、マスコミの報道がなされた。
    果たして、この教師とは、どういう人物なのか?

    男児が、PTSDを発症するに至り、両親は、舞台を学校から福岡地裁という法廷へと移した。

    裁判が進むにつれ、誰もがこの殺人教師に、正義の鉄槌が下されると信じていたが、大方の予想に反し、驚愕の事実が次々と明らかになっていった...。

    一読後、色々な意味で、現代のネットワーク社会の恐怖を感じた。
    それは、今の痴漢冤罪にも通じるものがあるのではないか...。

    一方的な論調で話が進むと、関係者全てがその論調になってしまい、反論を許さない空気が生まれる。

    クラスの子供達や保護者、過去の教え子達、同僚の教師達は、彼をどう思っていたのか。

    判決において、全てがシロとなった訳ではないが、大方、教師の言い分が通ったことで、ホッとした。

  • 久しぶりにノンフィクションドキュメントものを読んだ気がする。
    随分前に話題になった『文庫X』(殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―)を読んだ時は衝撃的であったが、それと同様に衝撃があり、あっという間に読み終えてしまった。

    今回は、タイトルの通り『でっちあげ』俄かに信じ難い展開で、本当にこんな事があったのかと。仮に小説であれば、そんな展開ないわ〜と思ってしまうくらい。

    表面に出ている事だけを信じることの怖さ。集団の怖さ。
    きっと今でも、こんな風な事はどこかで起こっているんだろうと思うとやりきれない気持ちになってしまう。
    他人事でなく、ちゃんと正しいことを知る。この事がいかに大切かが分かった。

  • モンスターペアレンツ、クレーマー、マスゴミ。

    被害を受けた気の弱い教師、強い意志で自分を弁護する必要。自分を自分で守る覇気が必要。流されるだけだと損をするどころか、身の破滅。

    読了60分

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著者プロフィール

専門誌・編集プロダクション勤務を経てフリーライターに。以後、様々な雑誌、webメディアへの寄稿を続けてきた。学校での「教師によるいじめ」として全国報道もされた事件の取材を通して、他メディアによる報道が、実際はモンスターぺアレントの言い分をうのみにした「でっちあげ」だったことを発見。冤罪を解明した過程をまとめた『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』で、2007年に「新潮ドキュメント賞」を受賞。他に『モンスターマザー 「長野・丸子実業高校【いじめ自殺】でっちあげ事件」』では、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞・作品賞を受賞。他、『暗殺国家ロシア:消されたジャーナリストを追う』(以上新潮社)、『スターリン 家族の肖像』(文芸春秋)などがある。

「2021年 『ポリコレの正体』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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