- Amazon.co.jp ・本 (486ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101332918
作品紹介・あらすじ
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン…音楽室に並んだ「楽聖」たちは、なぜドイツ人ばかりなのか?実際には、17‐18世紀の音楽の主流はイタリアにあり、ベートーヴェンでさえイタリア語でサインした。にもかかわらず、こうした史実を隠し、西洋音楽史をあたかも「ドイツ楽聖伝」のように書き直したのは誰だったのか。既成の音楽史を覆す画期的評論。山本七平賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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ずっしりとした大作だけど、面白かった。
モーツァルトがなぜ生涯不遇だったのか。
それは彼が音楽の後進地であるドイツ(オーストリア)人だったから-ということらしい。
イタリア人でなければ、音楽家でないという時代においては。
ルネサンス以降、音楽の中心地はイタリア。
オペラが発達して、その花形は歌手。
楽器の演奏家や作曲者は影の存在だった。
これが、十九世紀までの基本的な構図だったのだそうだ。
イタリアがその栄華を謳歌している間に、言語的にイタリアオペラを享受できないフランスやドイツで、器楽の存在感が増してくる。
楽器の機能も向上し、名人芸を持った演奏家も登場してくる。
革命期を越えて市民が聴衆の中心となっていくにつれて、イタリアとドイツ・フランスの地位は逆転する。
そして、ドイツの愛国主義と結びついた、様式中心の音楽への評価軸を作り出したのがシューマンと、そのエピゴーネンたち。
・・・と、こういった百年余の西欧音楽の歴史を解きほぐしていく。
同時代のさまざまな資料が出てきて、それらも非常に面白い。
筆者はドイツ中心主義の音楽学者の「陰謀」を弾劾したいようだ。
ジャンルを問わず、人々をひきつける何かを持った音楽こそが評価されるべきだという立場は共感できるが・・・。
個人的には、評価軸が同時代とは変わってしまうのは仕方のないことだし、ある価値観に覇権が移ってしまって、バイアスがかかるのも避けられないことだと思う。
だから、どうも、そこまで力瘤を入れて、ドイツ中心主義を排斥しなければいけない気持ちになれなくて・・・。 -
正直言って、がっかり…。
特に目新しいことが書いてあるわけではないし、
何だか書き方に悪意を感じてしまう個所もチラホラ。
現代音楽を皮肉っぽく書いてある所は共感する所もあるけれど、
やっぱり好きになれない本でした。
ピアノ専攻の学生が田園を知らない?
誰に聞いたんでしょうね。
少なくとも私が学生だった数年前は、オペラからシンフォニーまで、
あらゆる音楽を聞いていたけどなぁ。 -
権威的な常識に意義申し立ててくれちゃう一冊。面白かった。モーツアルトも大バッハもグルックもベートーベンもぶった切り。いや、私はこの時代の音楽大好きなんですけどね、でも面白い。
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シューマンを始めとするドイツ人による音楽史再構築を批判。18世紀のイタリアには豊穣な音楽文化があったことを教えてくれます。
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全てのクラシック音楽好きに読んで欲しい
専門家には周知のことらしいが僕は目から鱗の連続だった
音楽史観が大修正されること間違いなし
ただし著者にミューズの息はかかっていないと直感してしまった
老研究者の癇癪は割り引かなければ毒に当たるよ
気をつけて! -
諸田氏の「遊女のあと」に付いていたミニリーフレットで発見!早速購入。
以前から日本の音楽教育は戦前のドイツとの親密度が弊害を与えていると認識されているので、この本でその感を一層強めるのか。。今から楽しみ。
クラシック音楽好きが集まるサロンでいろいろ聞いているけど、フランス音楽が最近好き。偏った音楽情報ばかりに捉われず、これからも色々聴いていきたい。この本はどんな影響を与えてくれるか、今から楽しみです。 -
なかなか「普通のこと」をこうして本に出すとは、著者もいいが、出版社も偉い。フリーメイソンと音楽家というのは今ではよく知られた事実だが、ほんの分量もあってかわずかしか作曲家が出てこないのが残念ではあるが、他にも裏の事実のようなものはあるので、そちらで読めばいいことだし。
音楽は理屈をこねるものでも、楽譜を云々言うものでもなく、音で人に伝えるもの。そんな普通のことをわかっていない現代音楽家に物申しているのだろう。