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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784101356617
作品紹介・あらすじ
日本、百姓、金融……。歴史の中で出会う言葉に、現代の意味を押しつけていませんか。「国名」は誰が決めたのか。「百姓=農民」という誤解。そして、聖なる「金融」が俗なるものへと堕ちた理由。これらの語義を知ったとき、あなたが見慣れた歴史の、日本の、世界の風景が一変する。みんなが知りたくて、誰も教えてくれなかった日本史を、中世史の大家が易しく語り直す。日本像を塗り替える名著。
感想・レビュー・書評
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日本語に隠された歴史を読み解く。意外なことがたくさんありました。百姓は農民のみを指すのではない、金融は当初神仏と通じていた、被差別呼称の真実、落とし物の意味、切手の手とは、自由や自然の意味合い、など目から鱗の体験ができました。
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ことばから日本史を探った良書。
網野さんの歴史観は大変面白い。勉強になる。
例えば、日本という国名。日本の国名が決まったのはいつか?正確に答えられる人がいまの日本にどれほどいるだろう。日本という国名が決まったのは、浄御原令(きよみはらりょう)という法令が施行された689年。この時期は同時に藤原京の造営を始めた頃である。それまで「倭」という国名を使い、隋以前の大陸に朝貢していたヤマトの支配層が、このころ朝貢国からの脱却を試み、自らの帝国を作るのだという姿勢を明確に打ち出した。「日本」は当時のヤマトの支配層が中国大陸に対抗意識を燃やし定めた国名であり、大陸から見て東の方向、つまり日出づるところ=「日本」と名を定めたという。
663年の白村江の戦いで、日本は唐・新羅連合軍に百済とともに敗れ、朝鮮半島での地位も失った。しかし、これが契機となり漢語圏からの独立気運が高まり、日本は独自にかな(仮名)文字を発明する。こういった他国に対する劣等意識や敗戦体験などの負のエネルギーが、国のかたちを作るきっかけになる。ここが日本のおもしろさであり、日本史の肝所だろう。
一番おもしろい、興味深いのが「市場」ということば。中世の日本で、市場(いちば)は「市庭」と表記された。相場も「相庭」。これは「庭」という文字は私的関係を超えた特異空間を指す言葉だったという。つまり共同体を超え、物と物を交換する場を示す言葉だった。
人々が市を立てた場所は、みな人間の力を超えた聖なる世界と世俗の世界との境(お寺)であった。お寺は祈るだけでなく、世俗の縁の切れる場所=無縁の場でもある。(そういや縁切り寺というのもあるしねえ・・。)人も物も縁が切れた状態、つまり神仏の世界(聖なる世界)に属し、誰のものでもなくなる。人の力を越えた場所に物を投入することで、人は物を神に委ねる。委ねるがゆえに縁が切れ、切れるがゆえに誰でもないモノになり、交換できる。
ここからお寺がオークション会場や金融の役割も果たすようになる。信仰の中心地が金融セクターも兼ねていたとは驚きでもあるが、おもしろい。最近の金融危機を考えると人間は市場を制御できるのか、という難しい問題に直面するけど、こうした歴史は思考の補助線として役に立つ。
日本史を読み解くなかで、ことばをその時代に使われていた文脈に即して捉え直し、過去を探る。その営みを続ける者を歴史家というのだろう。と、読後の感想。 -
落ちる=世俗との関係が切れて無主物となる。(落書き=匿名投書)
支配=割り当てる、配分する
「募る」が多義的で、「権威を笠にきる」「贖う、充てる」を、同じ「募る」で意味する理由が上手く説明出来ない、云々とあったが(P189)、記載されている用例だと、いづれも、temporary use という語感で統一的な印象。 -
「百姓」「自由」などの言葉の意味を、字面から判断したら見誤る。歴史を見つめる私達の視線は、現代的価値観によって作られたもの。それを常に頭に置いておかなければならない。言葉の奥底に込められた本当の意味を知れば、新しい中世日本が見えてくる。そんな「歴史を考えるヒント」が満載の本。
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「もののけ姫」の着想にも影響した歴史家の、講演をもとに執筆された、晩年の著作。
言葉や字義(の変化)に真摯に向かい合うことで日本史を追求することで見えてくるものの多さ。
そもそも「日本」とは?からはじまり、その「日本」国がどこからどこまでの範囲を規定する言葉だったのか、に唸り、すっかり侮蔑語扱いを受けるようになった「百姓」の指し示す範囲の広さを知る頃には、物語的な政治史や人物の伝記の面白さとは全く異なる歴史学のアプローチにのめり込むに違いない。 -
歴史を考えるヒント
日本史観をまるっきり変えてしまう名作。
まず、日本という国の出自についての話がある。歴史を紐解けば、近代という時代が作り出した、「日本」というゆがんだ見方を相対化することが出来るのだ。そもそも、日本はアジアと不可分のものであり(地理的に見てもわかる)、日本国内で見ても、非常に多様である。関西と関東は異なり、朝廷のある関西という権威に挑戦した平将門を、鎌倉幕府の源流とみなす歴史の見方に、感動を覚えた。歴史の「もしも」として、藤原純友の乱の時期がずれていれば、朝廷が崩壊し、全く違う現在が作られていたと考えると、これまた面白い。
空間のはなしもさながら、身分の話が面白い。百姓=農民ではなく、百姓は普通の人であるということが網野説である。百姓を農民と考えれば、日本の江戸時代は大変な農業国家であるが、百姓が必ずしも農民ではなく、第二次・第三次産業の就業者であると考えれば、江戸時代像はまるっきり変わる。第一次→第二次と産業の発展を見るマルクス主義的な歴史観によって、江戸時代がある種の未開の時代とすることで、明治を神聖化する以前の歴史学の考え方は、網野が強調する江戸時代と明治時代の連続性によって違う見方もできるのである。不可触民の歴史も、商業の歴史も、面白いほど西洋中世史と似ている部分もある。不可触民は、天皇直属の身分であり、必ずしも下位とは言えない。人類学的な境界侵犯の原則によって忌避されているのであろう。商業についてだが、商業以前の時代では、物と物を交換する営みに、縁という考え方があった。これは贈与論のマルセルモースも指摘するものであるが、一種のハウとみなせる。物の持ち主の魂の一部が宿るという考え方である。しかし、商業の俎上に載せられれば、そんなことは言っていられない。交換を活発化するためには、そこは縁のような呪術的なものを停止する必要がある。それが「無縁」である。無縁の空間で初めて、自由闊達な商業取引ができる。そのため、縁をコントロールできる神に近い身分の人々が初期の金融や商業には携わっていたのである。このような無縁空間というかつての日本人のルールは、人類学的に見ても、その他の時代に共通するものを見つけられるのではないか。商業で使われる「切る」や「割る」という動詞の目的語は、縁である。
日本の歴史を紐解く上で、今の考え方を一度括弧に入れて、その時代に流通していた言葉や考え方で歴史を見直す必要があると、筆者は述べている。そのような観点から見た日本史はとても面白いものであった。 -
日本の国名が決まったのはいつか、百姓とは何をする人か、などなど、ちょっとした豆知識が増える本でした。(知識、というよりは筆者の解釈、ですが) お気に入り豆知識→「昔、虹が出た場所に必ず市を立てるという慣習があった。虹はあの世とこの世、天の世界と人間の世界との架け橋であり、その下で交易を行うことによって神を喜ばせなくてはならなかった」
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私が信じていた歴史は、事実と違うものも結構あったとのでは、という衝撃。
目の前のものを鵜呑みにせず、ちゃんと一次情報にあたりに行くのが大事なんだなと思った。 -
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タイトルからは歴史上の事象に対する考察を想像していたが、言語学の本だった。現代でも使われている言葉がいつ、どのようにしてできたかと、昔と使われ方が変わってきたものなどを歴史から解説している。タイトルは広くとらえれば「歴史を考えるために言葉の歴史を探る」だろうが、分かりづらい。
ということであまり興味が沸かなかった一冊。 -
歴史、といいつつも「ことば」について多くの示唆を与えてくれる一冊。市民講座を元にしたということもあり網野史観のエッセンスが分かりやすくまとまっているように思う。「日本」という国名がいつ使われ始めたかという問いかけから始まり、普段何気なく使っている言葉や概念への疑義が呈される内容は穏やかな語り口ながら非常にエキサイティングに感じた。
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[評価]
★★★★☆ 星4つ
[感想]
本書を読むと日本という一つの国の中にも多様な地域が含まれているということ考えさせる内容となっていた。
特に「被差別民」に対する差別意識の東西の違いなどは関東生まれの自分からすると、そんなにも違うのかと改めて考えることになった。 -
知っている前提がどれぐらい揺らぎのあるものなのかよくわかる。
これが正解というわけではないと思うけれど必要な視座なんじゃないかな。 -
網野さんの本の中では、『日本の歴史をよみなおす』と並んで読みやすい一冊。内容は、『日本の歴史をよみなおす』と重なるところも多いので、まず読むとすればそちらのほうをお勧めする。
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言葉の起源から当時の生活を読み解くという、日本史版の白川静みたいな本
日本や関東、関西の由来、百姓=農民ではないこと、商業用語は古くから日本にあることなどどれも興味深いし、農村社会以外の側面に光を当てるアプローチとして言葉を用いるセンスは秀逸
一つこのコロナ時代になって思ったのは、差別がケガレからきているということと感染症との関係について
忌籠などの習慣はまさに感染対策そのものではなかったのかと思った
差別部落は関西で強く、関東では緩やかであり、沖縄や北海道ではない
もともとケガレを清める集団は差別されていなかったのにいつからか差別されるようになった
このことと、例えば感染症の流行や東西の人口密度の差なんかが影響しているのではと考えてしまうのはコロナの影響受けすぎだろうか?
また、新たな感染症の流行が新たな差別を生む原因になるのではないかという心配もあるかと思った -
0044 2018/07/27読了
国名とか百姓とか意味や成り立ちまで考えたことがなかった。
歴史の用語としてしか覚えていなかったな。
百姓については誤解したまま覚えてたけど、歴史の中でも誤解されていたらしい。
被差別部落については、確かに関東だとあまり気にしたことなかった。自分の周りになかっただけ?あまり知らずに生きていたなあ。 -
言葉の意味から真実を読む
所蔵情報
https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/detail?rgtn=B12265 -
網野さんの本を初めて読みました。
2001年に発刊された新潮選書が2012年に文庫化されたもの。
網野さんは2004年に亡くなっています。
歴史上「日本」という国名はいつから使われるようになったのか、という問いから話は始まります。
多くの日本人がその問いに答えることができないのは驚くべきことではないか、と。
そして、日本国の範囲の話、「関西」と「関東」の話。
我々が現代の感覚で捉えている日本という国の概念がけっして歴史上絶対のものではなかったという、考えてみれば当たり前のことが改めて思い知らされます。
本著のメインは「百姓=農民」という捉え方が誤解であることの解説。
江戸・明治以降に形作られた農本主義的な史観が、現代の歴史教育に根深い影響を与えている、と。
その他、被差別民に関する考察など、なかなか一般にはタブー視されてお目に懸らない論考にも触れることができるのが興味深いところ。
一般の人にとって歴史観というのは学校教育を通じてしか身につかないものなので、思い込みに基づいていても気がつかないもの。
もちろん、この本に書かれているのも史観の一つにしか過ぎないけど、相対的な視点を持つことは重要と思います。 -
読了
網野善彦は、初めてではないので、別のとこで出てた話がたくさん出てたけど、やっぱ面白い
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